第4話 世界で一番安全な二人(3)
ラムウィンドス、と呼ばれた青年は、地を這うほどの低い声をもらしてゼファードに視線を流す。
一方のセリスも「従者?」と、まったく予期せぬ話に目をしばたいていた。
「『幸福の姫君』である君の前には、今日から引きもきらず求婚者が群れをなすだろう。中には力ずくで手に入れようとする輩もいるかもしれない。王宮の者も十分注意は払うが、君の警護が女官達だけというのでは心許ない。そこで、私とこの男だよ。君にとって、世界で一番安全な二人、というわけだ」
「せ、世界で一番安全な二人……?」
「そうだ。君と同じ血を持つ私は、幸福の姫君に求婚を許される身分や能力を持ち合わせていても、決して求婚することは出来ない。ああ、わかっていたこととはいえ姫がこれほど愛らしい方だと知っては、我が身の不運を呪わずにはいられないよ。君の幸福の恩恵を浴びられるのは、世界でたった一人の男だけ。これからは、君に選ばれなかった男たちの嘆きと怨嗟の声が王宮に響き渡ることになるのだろうね」
「殿下。不吉なことを言ってないで、わかるように説明するように。それと、重い」
一体いかなる身分にある者なのか。ラムウィンドスは一国の王子に対して慇懃無礼そのものの態度で言い放ち、肩の上に置かれていたゼファードの腕を邪険に払った。
ゼファードは、不満げに片目を閉じてラムウィンドスを睨みつけていたが、セリスに向き直ったときにはすでに溢れんばかりの笑みを浮かべていた。
「かくなる上はこの私が、十五年前に父上が国家事業として打ち立てた『姫に悪い虫近づけない大作戦』の急先鋒となろう。下らぬ男が姫に言い寄った場合は、兄として全力で叩き潰させてもらうよ」
口ぶりはほがらかだが、セリスの背筋にはぞくっとした悪寒が走った。
(……悪い虫近づけない大作戦って、国家事業なんですか。権力者たちが「叩き潰す」宣言するって……わたしに近づく男性を虫のように処刑する、ということ?)
それを口にして確かめることは、恐ろしくてとてもできなかった。
ちらりと見ると、ラムウィンドスは非常に嫌そうな表情をしていた。だが、ゼファードは彼に一切視線を向けることもなく、セリスを見て微笑んでいた。
「とはいえ、私も四六時中、姫と一緒にいるわけにはいかない。そこでこの男だ。ラムウィンドスはさる事情から、決して姫に手を出そうとは考えないはずだからね。安心して姫を任せられるよ」
「さる事情?」
「そう。精神的な意味でも肉体的な意味でも、男しか愛せないんだ。これ以上君の身辺を守るのに適当な男がいると思うかい?」
そう言うと、ゼファードはラムウィンドスの肩に手を置き、囁くように唇を寄せ、頬に口付けた。
「……まぁ!」
セリスの後ろではマイヤが息を呑む。ゼファードはそのマイヤに悪戯っぽい目配せを投げた。
セリス自身は目の前の光景の意味がわからずに、ただ見入ってしまっていた。
一方、無言のまま凍れる視線をゼファードに投げつけたラムウィンドスは、手の甲で荒々しく頬を拭った。
「ラムウィンドス、そんなに照れなくても」
「照れてはいない。そして殿下、嘘はいけない。俺は誰も愛さない」
視線があまりにも辛かったのか、ゼファードは笑みを固まらせたまま一歩、ひいた。
「……傷つくぞ」
「傷つけばいいだろう」
「どうしてお前はそうなんだろうね」
「そっくり返す、バカ王子」
「姫の護衛は、引き受けてくれるだろう?」
「拒否はできないのだろう。仕事だ」
ゼファードの声が豊かな感情を湛えたものであるなら、ラムウィンドスの声はその対極にあるものだった。ときどき掠れるほどに固く、低く、感情の存在をうかがわせない。表情もまたゼファードのそれと比べると、極端に乏しい。いかにも鷹揚なゼファードに比べると、神経質な印象すらある。
(怖い……)
セリスは、できることなら涙ながらに嫌だと訴えたかったが、ゼファードの笑顔の前に言い出すことはかなわなかった。決められたことに逆らうのは「わがまま」で、きっと嫌われてしまう、その一心で。
「そういうわけで。我々はこれから姫の忠実なる守り手として、姫にふさわしい伴侶が現れるその日まで、姫の安全に心を配るようにする。信用してほしい」
セリスは、何も言えずに「はい」と小声で返事をするのが精一杯だった。どことなく、ゼファードに隙のなさを感じたが、このときのセリスはそれをうまく言い表すことができなかった。
ゼファードは、セリスを見つめて笑みを深める。
「うん。可憐だ」
(ほめられた……? 可憐って褒め言葉よね?)
心臓が、ものすごく痛い。
セリスは思わずよろめきけかけ、マイヤに支えられた。
そのセリスの様子を、ゼファードは面白そうに見ている。一方のラムウィンドスは、興味を失ったように横を向くと、浅いため息をついていた。
そして、先に立って歩き出した。
肩越しに振り返って、ゼファードだけに視線を定めて言った。
「だいぶ時間を浪費しました。王宮へ戻りましょう」
温度のない、乾いた声だった。
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