第21話 二粒真珠
山桜の蕾がふくらみ始める季節。
温かくなってきた伊勢の海岸に
この辺りは海女漁が盛んだ。
海に潜っては海底の岩に張り付いたカキやアワビを収穫し市場へおろす。なかなかに良い値が付き一家の家計を潤す。
ナギも旅籠の仕事の合間を見つけては海女として漁にでる。
食堂で出す料理の食材として出しても良し、市場へ売りに行き小遣いを稼ぐのも良しの副業だ。
素潜りの為の白い小袖姿に着替えたナギは、小舟の代わりになる大きな
数回ほど潜り漁をした後は、冷えた身体を温める為に浜辺に建てられた海女小屋に海女たちが集まる。
そこには子供の頃からの顔なじみの娘海女や年期の入った熟海女たちが焚火にあたって体を温めている。女たちが顔を合わせれば、世間の噂話しや旦那の悪口、そして恋話に花が咲く。
「おーい。ナギ、迎えに来たぞ」
外でミナトの声がした。この後、二人で買い出しに行く予定だ。
「おっと『噂をすれば何とやら』だよ」
熟した海女たちの笑い合う声が、さらに高らかにあがる。
「早く行きなよぉ」
「男なんざぁしっかり握ってしまえば、どんな男もいちころさね」
さすがのナギも年期を重ねた女傑らの言葉に顔を赤らめ、そそくさと小屋を退散する。
◇◆◇◆ 二粒真珠
帰り道。
海の見える大岩に寝転がった二人は、青い空を見上げていた。
温かな春の陽気。真っ青な空が視野のほとんどを包みこみ、手が届きそうなほどに白くやわらかな雲が浮かぶ。
ナギが懐の奥にしまっていた小さな巾着袋から真珠玉を取り出した。
自分の心に問うとき、いつも語りかける真珠玉。
「うちぃは……もう母さまの顔もおぼろげにしか思い出せない」
「母さまがくれた、この真珠玉だけが母さまの優し気な面影をのこす……」
母との思い出を淡い桜色に輝く真珠玉に重ね太陽の光に照らす。
「母さま……うちぃ……」
突然。
羽ばたきの音とともに大きな影がナギを覆った。
一羽の海鳥が輝く真珠玉めがけ空から襲ってきた。
「きゃあー!」
驚き、体を丸くして慌てて腕を振る。
その時、手の平から真珠玉がコロリッと転がり落ちた。
「あっ!」「母さまがっ」
真珠玉は胸元に当たり跳ねて岩の先へと転がり、ポトリッと海に落ちた。
「か、母さまがっ!」
茫然とするナギの横を人影がすり抜けた。
岩の先端に立つミナト。
着物を脱ぎ捨てると海へと飛び込んだ―――。
「えっ!」
ナギが驚いて声を上げる。
慌てて目の前に広がる海の水面を見た。
一本の槍のようにすらりと伸びた肢体が海面の波間に刺さり、その姿は海の中へと消えていく……。
「ミナト!」ナギは海に向かって叫んだ。
◇◇◇
「―――ミナトォォォ」
「………………」
名を呼んでも海に消えたミナトが浮いてこない。
泳ぎの達者なナギでも呼吸の限界は既に超えている時間だ。
ナギが着物の腰ひもを解こうと手をかけた。
その時。
「おーい。ナギーィッ」と大声を上げながら海面から勢いよくミナトが顔を出した。
名を呼び、大きく手を振る。
そして海面を泳ぐ。
しぶきをあげて海から浜辺へと泳ぎ着き、浜に姿を見せたミナトは立ちすくむナギの側に駆け寄った。
息つく途切れ途切れの声で呼吸を整える。
編み込まれた縄目の様な筋肉の裸体が、ナギの目の前に近づいた。
露わになった胸筋が大きく上下する。
「はあっ。はあっ」息を整えながらミナトが顔を上げる。
眉をハの字にし瞳を大きくあけ、両手で着物の
「馬鹿っ! こんな……」
「馬鹿、馬鹿、馬鹿っ」
「あなたも。うちぃから居なくなったかと……」
ミナトが近づいた。
「手を出して」
口を尖らせ
「はっはれれ……」
モジモジと体を揺らしながら握られた手を引こうとするナギの手をミナトが引き寄せる。そして、ナギの手の平にミナトの握った拳を重ねた。
真珠玉が一粒。コロンッと手の平に置かれた。
「母さまの真珠……」
「母さまがいなくなったかと。消えちゃったのかと」
思わず鼻をグスリッとならす。
「それと……これ」
「ナギの母さまの真珠玉のそばで見つけたんだ」
ナギの手の平のくぼみに、もう一粒の真珠玉がそっと置かれた。
艶めく大きな黒真珠の玉。
二粒の真珠玉が手の平で揺れた。
「古い言い伝えだそうだけれど……」
「この辺りの海女から聞いたんだ」
「一番……大切な人に真珠を贈るんだってね」
手の平の二粒の真珠を見つめた。
グスリッと鼻を小さく鳴らす。
うつむいたナギは両手で顔を隠す様にそえた。
桜色に染まった襟元の首がはだけて見えた。
「俺は何処にも行かないよ」
「俺はずっとナギと一緒にいたいんだ」
「だから……」
ミナトが胸元に近づいた。
足を踏み出そうとするミナトが止まる。
ナギが片手で顔を覆い、片手を伸ばしミナトを押しとどめた。
「きっ、ちゃんと服着なさいっ」
と悲鳴に似た大声で叫ぶ。
―――それは遠い遠い
―――海女たちの間で今も語り継がれる、男と女の幸せな恋の物語。
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