第4話 旅籠の娘

「さぁ早く早く」とせかす、『ナギ』と名乗る娘に腕をつかまれ、俺は後を歩いて行く。

 ずしりっと膨らんだ麻袋を片手にさげ、腰帯には黒鋼の小刀を差した娘の姿が前を歩く。

 この辺りの海で漁をする海女であろうか。


 背の高い松林が続く松原の浜辺をしばらく二人は歩いた。

 すると目の前に生垣に囲まれた藁ぶき屋根の家が二軒、連なった形で建っていのが見えてくる。


「着いたよぉ」「あれが、うちぃの家」と娘が振りかえる。


 娘に連れられるまま表通りに面した家の方へと案内された。

 広い間取りが取られた玄関口には、『雲』と描かれた暖簾のれんが軒先に掛かっている。


「ほら入って。入って」

 とさらに強い力で腕を引かれ、少し警戒しながら中へと足を踏み込んだ。


 ◇◆◇◆ 旅籠の娘


 開け放たれた戸口の奥には複数の机や椅子が見えた。

 部屋の奥にひっぱり込まれながら周りを見回した。

 小さく仕切られた座敷が三つ。土間には机と椅子が四席ほどが設けられている。


「ここは、見てのとおり食堂だよ」


 娘が店内を指でクルリッと差し、明るく言う。


「さあ。上がって上がって」


 急かすように俺を座敷に上げると端っこの席に座らせた。


「ちょっと待ってて」

「何か食べる物を見繕って来るから」


 と娘は奥の厨房らしき奥へと入っていく。


 一人取り残された俺は、部屋の内装をあらためて見回した。

 壁には派手な色で染められた大漁旗が飾られ、その横の壁には料理の名が描かれた木札が並ぶ。店の中は魚油の匂いと醤油の香が微かに漂っていた。


「おい、ナギよっ。お前なあぁ」

「犬、猫じゃああるまいし。『見つけたっ』って言ってもな」


 厨房の中から老人の重くて低い声が響いた。


「玄爺ぃ。お願いっ」

「困った人をほっとけないよ」


 などと娘と老爺、二人の会話のやり取りが聞えてくる。


「いいかっ」

「身元が分からないヤツを店に入れるんじゃあねえ」


「でも、ここは食堂でしょっ」


「そりゃあそうだがな……あいつ見るからに怪しいだろうがっ」


「きっと、悪い子じゃないよ……だけど……」


 思わず呆れたような声が老爺からもれた。


 俺は静かに目を閉じ、肩を落とし息を吐く。

 娘との出会いや松原の並木道がまぶたの裏にすっと流れては消えた。

 明らかに歓迎されてはいない様子にこの場から立ち去ろうと腰を上げる。


「ちょっと待ちなさいよっ」

「あんたは、そこに座ってなさいっ!」


 気づいた娘が大声を上げ、立ち去ろうとする俺を大きな声で引き止めた。


 ◇◇◇


 娘が手慣れた様子で膳を運んで来た。

 結局、孫娘のあれやこれやの説得に老爺が根負けして折れたようだ。


 しかし元気の良い娘だ。


「さあっ食べて、食べてっ」


 と、目の前に膳が置かれた。

 

「ここら辺で獲れる地物ばかりで、目新しい料理は無いど」


 厨房の奥で「ナギ」っと甲高く名を呼ぶ老爺の声が聞えた。


 慌てて娘は一言付け加える。


「でもっ玄爺の作る料理はとても美味しいのよぉー」

「この辺りではとても評判なのーう」


 と首を伸ばし声色を変えた娘は舌をペロリと小さく出すと肩を上げ首すくめた。


「えへへっ」と笑うと、目の前の空いた椀に料理をさっそくよそい始めた。


 木碗に盛られた山盛りの麦飯。

 潮の香りが漂う汁物。

 黒艶なてりりを見せる貝の煮つけ。

 魚の切り身も付いた。


 料理を目の前に思わず喉を鳴らした。

 体が欲している事は明らか。

 どれくらい物を食べていないのかと自分自身、溜息を漏らした。


「さあさあ。たんとお食べなさいなっ」

「おかわりは、いくらでもあるからね」


 娘は両手の平を差し出し食を勧める。

 

 そんな娘の顔を見るとほほが少し緩んだ。


 こんな名も身元もわからぬ行き倒れの人間に、これ程の好意。何ともありがたい事だと頭を垂れ深く感謝する。

 

「ありがとう」「感謝する」


 背筋を伸ばし、静かに神妙に深々と頭を下げた。

 前髪がはらりっと落ちた。


 娘が驚いたように目を見開き、思わず少年の動作につられる様に背筋を伸ばし、細いあごを引くと頭を下げた。


「ふっ」と込み上げた笑いをこらえ唇を噛んだ。


 さっそく並べられた料理をちらりと一瞥いちべつして、ゆっくりと箸に指をかけて頂くことにした。


 

 ◇◇◇


 この子。ちょっと違う……。 


 目の前の少年は見慣れない所作で箸や椀を順に手に持った。

 その一連の所作はナギにとって見た事の無い不思議な所作に目を見張る。


 箸の先っちょに料理をつまむと、口に運ぶ。


 ナギ自身、ぽかんと空いていた自分の口に気づき慌てて口をつぐむ。


「あっ」

「お、美味しい?」

「あ、あなたの御口おくちに……あ、合うかしら……」


 ゆっくり噛んで呑み込むと、箸をそろえ膳に置き、無言で細笑む。


「うん。凄く美味いよ」


 少年のその顔に、ナギは唇をすぼめ何故か頬を赤らめてしまう。


 両肩を寄せながら少し上目使いの様子で彼の顔を見る。


「じ、地場で獲れる食材ばかりだけど」

「この辺のハマグリは有名なの」


 勧められるまま貝の佃煮を目で眺め、また口に入れた。


「んんん……本当に美味い」


 ナギはそんな少年の食事姿を見つめていた。


「お、お代わりをっどう?」


 手を差し出す動作に思わず声が上ずった。


 ◇


 少年は出された膳を一粒残らずたいらげた。

 胃にものが入った満腹感からか安堵あんど感からか、いつの間にか体を丸めて静かに寝音を立てていた。

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