第50話 旅の終着

 潮の香を漂わす海風が肌をなで吹きぬけていく。

 辺りを燃やすように映える赤い夕日が岬の先の水平線に沈もうとしていた。


「やはり、ここに居たか……」


 遠い目をして海を眺めていた少年に兄が声をかけた。


「また海を見てるのか?」

 

 岬の崖に建つ灯台には、既に灯りが燈り夜の準備を始めていた。


師父おやじ殿が、お前を探していたぞ」


 包帯で腕を固定した姿の兄が地面に放り置かれた長身の銃を拾い上げる。

 膝を抱えて座り、海を眺める少年の横にゆっくりと腰を下ろした。


「もう今日の鍛錬は終わったのか?」


「もうとっくに終わったよ」


 少年は抱えた膝頭の間に自分のあごを埋めた。


「大兄……」

「海の向こうには、見た事も無い大きな世界があるらしいんだ」

 

 少年は両手の指で輪を作ると右目に添え、遠い水平線の彼方を探るように見る。


「ふうっ。また港に出入りする商人から聞いた与太話しか?」

 

「大兄……今度の戦はいつまで続くんだ……」


 問いかけられた兄は、大きく息を吐くと少年を横目で見る。


が俺たち仕事だ」

「俺ら一族は、で飯を喰ってるからな」


「それしか俺は知らんよ……」


 少年は草原にすねた様に寝っ転がった。


「あああっー。海の向こうに行ってみたい」

「俺。教会騎士団テンプルナイツになろうかな」


「バカな事を言うなっ」

師父おやじ殿に聞かれたら怒られるぞ」


「お前は、『蒼鷹』の名を継ぐために修練を積んできたんだろうが」


「ちぇっ」

「俺は、あのひとの騎士となって護りたいんだ」


「そんな与太話しを言ってると、また師父殿にどやされるぞ」


「……しかし、お前は変わってるな」


 と大兄は言葉少なに口元をほころばせ細笑む。


「あっ大兄。見て見て、イルカの親子だっ」


「ほらっ。あそこ!」

「ちび助のイルカがいたっ」


 少年は跳ねるように飛び起きると腕を大きく伸ばした先を指し示す。


 大兄はその指がさす方角に目を凝らす。


「ふー。やれやれ。俺にお前ほどの才覚とそのがあればな……」


 横で遠目を凝らす少年に、といった素振りで大兄は肩を上げ首をすぼめた。


 二人の会話を事知らぬ潮風が、安寧な時間を運ぶように草木を揺らしては優しくそよがす。


 大兄が地面に寝転がり、空に浮かぶ大きな赤い雲を見上げた。


 その時。里の方角から甲高い警鐘の音が響き渡った。


「また何かあったか?」


 大兄が体を起こす。


「織田軍がまた。懲りず攻めて来たか」

「国境で返り討ちにしてやる」


 大兄は吐き捨てると立ち上がる。


「お前も隊を率いて早く来いっ」


 と言うと大兄は、手に持った銃を少年の横のそっと置き、鐘の鳴る里の方へと走って行く。


「大兄っ! 待ってくれよ」

「大兄。大兄!」

「俺をおいていくなっぁぁぁ」


「…………」

「…………」


「……ミナ……ト……」


「ミナト。起きなさい」

「そろそろ三河の港に着くよ」


 まぶたを開けた目の前にナギのいつもの顔があった。

 ……夢?

 

 ◇◆◇◆ 旅の終着


 伊勢湾の半島を大きく迂回し、ミナトたちを乗せた鯨船団は三河の港へ向かう。

 港に現れた装甲船と鯨船団。はためく錦の大漁旗を掲げる船団の群れは、さながら水軍の小隊に映る。何事かと集まって来た岸辺の民衆が口々に声を上げた。


 装甲船の甲板に立つ団長が腕を組み、仁王立ちの姿で前方の港を見据える。


「ミナトよ……」

「お前たちを港に降ろした後は外海へ出て、小笠原あたりで漁をして戻ろうと思っていたが、それどころの騒ぎじゃねえな」

「俺は急いで熊野へ戻って長老たちと今後の方針を決める」


「あの織田信長が本当に討たれたのなら、また大戦が始まるからな」


「ミナト。お前も俺と一緒に来ねえか?」

「俺たちなら国の一つ二つぶんどって大名にもなれるぞ」


 ミナトが首を横に振る。


「いや遠慮してしておくよ」

「この請け負った仕事、岡崎城まで皆を送り届けて完了だ」

「それに、世話になった人もいるから報告をしないといけないから」


「そうか……しかたがねえな」


「団長には、借りをつくってしまったが」


「ふんっ。俺は結構、楽しめたぜ」


「いい情報も手に入ったからな」


 ◇◇◇


 三河港―――。

 於義丸たちの到着を待っていた徳川軍の一隊が出迎えに参じていた。


 品格のある老臣が、於義丸たちを出迎えた。

 岡崎城の家老を務める徳川家の重臣。於義丸の叔父にあたる人物だ。


「叔父上っ」

「於義丸殿っ。よくぞ御無事で戻られた」


「家康殿も昨日、岡崎の城に到着されましてな」

「於義丸殿の無事なご帰還を御待ちですぞ」

「さあ、早う城に入場されよ」


 於義丸の後に付き従い、康勝らが後に続く。


 優し気に於義丸を気遣う老臣の態度に、ミナトとナギは安堵感に肩を降ろした。

 この岡崎では於義丸の身情は護られているらしい。

 

 出迎えの挨拶を終えた老臣が、ミナトたちの前に近づき声をかける。


「そなたが、ミナト殿か?」

「危険な道のり御苦労であった」

「家康殿から話しは聞いておるぞ」


「家康殿が岡崎城で御待ちじゃ」

「そなたも於義丸殿と一緒に城に登城されよ」


 老臣の丁寧な重圧な言葉だ。

 その言葉を合図に待機していた兵士たちが、二人を囲んだ。


 驚いた様子のナギが思わずミナトの手を握る。


「大丈夫よねぇ……」

「このあと御家騒動とか……巻き込まれたりして……」


 ナギの独り言の様な声に、ミナトが手を握り返す。


「大丈夫だよ。きっと」

「俺のを信じろ」


「いざとなったら何とかするよ」


「ふふっ……ミナト。ありがとっ」


「ナギは女神様なんだから……」


 首元をほんのりと紅くしたナギが照れた様に笑う。


 物々しい警備に囲まれ、ミナトたちは岡崎城へと向かった。

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