第41話 初陣

 安土城下の繁華街の一画、廓が立ち並ぶ色街。

 信長公より商い御免の認可状を受けた元締めたちによって組織運営される治外法権の区画であり、大名とてうかつには踏み込めぬ場所である。


 石山の渡しで離れ離れとなった康勝たちは於義丸とともに、そんな妓楼に身を隠していた。

 ミナトが別れ間際に佳乃に待合場所として託した場所である。


 この店は、女商人・よろずや千寿の息のかかった馴染みの店であり、千寿の名が記された通行手形を提示すれば、身の安全は保障され上客として優遇される。


 康勝や新太郎は建ち並んだ店の華やかさに目を見張り、佳乃は於義丸の目を覆い隠す様に怖い顔をする。


 事変が起こり戦の最中とはいえ、街中は機能していた。

 この先どうなるかわからぬ情勢に皆が目を凝らし、聞き耳を立たせていた。


 ◇


 一夜をこの妓楼で過ごした康勝らは、漆塗りの椀を手に朝粥をすすっていた。

 この店が泊まり客の御帰り前に出す、の朝食である。


「御連れさんが御見えになりました」


 と店の番頭らしき男が取り次いできた。


 日野城に居るという伝八郎たちとは夜の内に連絡を取り合い、お互いの無事を確認し、早朝、この店で落ち合って八風峠へと向かう手はずをとった。


 迎えに来た三吉が、庭先でえた。


「おいおい、待ってくれよ」


 戦仕度の甲冑を身に着けた三吉ら。

 対して生地の良い着流し姿の康勝と新太郎の姿に三吉が目を剥く。


 店の内装をぐるりと見回し、大きく後悔の溜息をついた。

「俺もこっちにすれば良かった」と……。


 ◇


 三吉らの甲冑姿に康勝も驚いた顔をする。


「おい、その恰好はどうした?」


 康勝の問いかけに甲冑姿の伝八郎が答える。


「ここから先は、馬で行くぞ」


 三吉はぶつぶつと独り言をいいながら一緒に引いて来た馬の背に積んだ荷を降ろし始めた。


「これらを使ってくれ」


 目の前に甲冑一式。胴当てに籠手や脛当てが広げられた。

 黒塗りの立派な甲冑である。


「お、お前ら何処からこれを持ってきた?……」


「それがな……蒲生家の御大将がこころよく譲ってくれてな」


「なあ。ミナト」

「この件が落ち着いたら、ちゃんと御礼を言っておいてくれよ」


 と、珍しく伝八郎が何やら含みのある言い回しで、意地悪な笑いをこらえた口元をニヤリとさせる。


「何があったかは知らないが」

「ぐわははははっ。これは有難いっ」


 康勝は一笑すると走り寄り、置かれた甲冑を物色する様に手に取った。


 早速、康勝と新太郎は手慣れた様子で甲冑を身に着ける。

 そして大小の刀を腰に差し槍と弓矢をそれぞれ持った。


 三吉が手に持っていた鉢金を差し出す。

「おおっ。これは気が利く」と鉄板が付いた鉢金を手に取ると額に巻く。


 ヒュンと槍を一振り。満足気に大きく息を吐き切った。

 立派な黒備えの若武者姿である。


「馬も皆の分あるぞっ」と三吉が甲冑を打ち鳴らす。


 少しして、部屋の奥から佳乃に連れられ小さな若武者が現れた。


「於義丸様っ」

「これはっ立派じゃあ。立派な若武者姿じゃあ」


 甲冑に身に付けた於義丸が少し照れくさそうに下を向いた。


 次に皆の視線は、於義丸の後ろに立っていたミナトへ向く。


「しかしミナト。お前も、よう似合とるのう」

「商人にしておくのはもったい無いぞ」


 ミナトの若武者姿に皆が一斉に大きくうなずいた。


 康勝が手に持った槍を打ち鳴らす。


「準備は整った。急ぎ三河国へ戻ろうぞ」


「兄上っ!」と佳乃。

 康勝が険しい顔を佳乃に向けた。


「お前は、ここに残れっ」

「この先は馬での一騎駆けじゃ。お前は足手まといになる」


「しかし兄上!」


「佳乃っ。無理をするな」

「その傷で於義丸様を御守りできるのかっ」

「かえって於義丸様の足手まといになるだけだ」


「佳乃殿は、日野城で吉報を待たれよ」


 伝八郎が軍師の様な口調で言葉を添える。


「日野城に居られる姫君、綾姫様が万事、引き受けてくれる事になっております」


「伝八郎様っ」

 既に一計を決めた伝八郎の揺るがない口調に佳乃が複雑な表情をする。


「佳乃、大丈夫だ。私には皆が付いておる」

「そなたは、この地で養生するといい」


 さすがの佳乃も於義丸の言葉に押し黙った。


 ◇◇◇ 佳乃と伝八郎


 佳乃は拳を握り肩を震わせながら唇を噛んだ。


「伝八郎っ。こちらに来て下さい」


 と踵を返すと肩で伝八郎を催促する様に部屋を出て行く。


 名を呼ばれた伝八郎が珍しく目を見開き、康勝をチラリッと見た。


 康勝が渋い顔をし顎で「早く行けっ」と言う様に促す。


 伝八郎は罪人が引き立てられる様に部屋を出て行った。


 ◇


 廓の小さな庭園―――。


 佳乃が静かな視線で伝八郎を見つめる。


「伝八郎様。於義丸様の事、くれぐれも御頼み申します」


「あっ……はいっ」と慌てて言葉を返す。


「これを……」


 着物の懐から瑠璃玉で飾られた髪飾りを取り出した。

 細工された深い真紅の玉が、命を小さく封じ込めた様に艶めいている。


「まだ……そんな品を持っていたのですか……」

「何処ぞにでも捨ててくれればよいものを……」


 佳乃の手にある髪飾りを見ながら伝八郎がつぶやいた。


「この髪飾り、今は挿すことはできませんが」

「また、伝八郎様に挿して頂きたい」


 佳乃の力強く美しい瞳が伝八郎を見上げた。


「伝八郎様」

「私は、あの頃から変わらず……」

「ずっと……私の心は変わっておりませんよ」


 伝八郎へ向ける佳乃の真っ直ぐな瞳に意気を呑み込んだ。


「誓いの……まだそんな……」


「私はっ私はずっと持っています」

「伝八郎様に何があろうと」

「貴方様なら、また徳川家の礎となり新たな道を歩めると私は信じています」


 伝八郎は目を閉じた。

 そして、ゆっくりと目を開ける。


「体の芯が、何かのです」

「あの時から聞こえ無くなってしまった若殿の御声が……」

「また、聞こえ始めた」


「そう……敵中に単騎で突き進む、あの雄姿を見た時から……私は」


 伝八郎の目が口が、何がを思い返す様に生気を巡らせ緩んだ。


「佳乃殿」

「於義丸様の事は安心下さい」

「必ず儂が御守りする」


「今度こそは、必ず若殿を御守りしてみせる」


「そして必ず……」

「貴女を迎えに戻ってくる」


 伝八郎が右手を差し出した。

 佳乃が笑みを浮かべ、ゆっくりとその手の平を重ねた。


 ◇◆◇◆ 初陣


「康勝殿。於義丸殿の御身は俺が預かろう」


 ミナトの言葉に、康勝の目が一瞬吊り上がる。


「その方が、康勝殿も働きやすかろう」


 康勝の口元がニヤリと笑う。


「ふっ。若殿を頼んだぞ」

 とミナトの胴当てを叩いた。


 馬の手綱を握っていた於義丸が馬の背を見上げる。


「儂はまだ一人で馬を操れぬ……」


 つぶやいた於義丸の腰に両手が回され、於義丸の体が浮いた。

 高く差し上げられた体は、馬の背に押し上げられた。


「参りましょうかっ」


 ミナトが馬のくらを掴み、あぶみに足をかけると、サッと馬の背に跨った。

 そして於義丸を腕に抱える様に馬の手綱を取る。


 於義丸は振り返る。

 ミナトが微笑んだ……。


 そして、於義丸はさらに後方を振り返り見る。

 馬に跨る黒塗甲冑の若武者たちの姿。

 右手に康勝。

 左手に三吉。

 後に伝八郎と新太郎が続く。


 小規模ながらも騎馬隊がそこにはあった。


「さあっ於義丸殿。行きましょう」

「これから、一騎駆けだ」


 於義丸の小さな手が握る手綱に自分の手を添える。

 そして耳元を囁いた。

 

「奴ら、決して先には行かせませぬぞ」

 その言葉に、於義丸もしっかりと手綱をに握り込んだ。


 伝八郎が馬を寄せて来る。


「於義丸様」

「今日が於義丸様の初陣の日」


「鬨の声を挙げなされ」


 於義丸は大きくうなづくと手綱を返し、乗った馬を反転させる。


 後ろに待っていた四人の騎馬武者が於義丸を注視した。


「於義丸様。いざ参りましょうぞ」

 伝八郎が音頭を取る。


 於義丸は大きく息を吸う。


「ではっ参ろう!」


「皆。―――我に続けえぇぇぇっ!」


 出立の声に合わせ、手綱を引くと於義丸とミナトの乗った馬が前足を上げ、高く嘶きを上げる。馬は地面を蹴り走り出した。


 後方で鬨の声が次々とあがり、馬の樋爪の音が激しくなり続いた。


 於義丸は、東から押し寄せてくる向かい風を大きく吸った。


 ◇◇◇


 一人残った佳乃は皆の駆けて行く後ろ姿を見送る。


 突然。前を行く一隊が止まった―――。


 於義丸の乗る先頭の馬が頭の方向を変え、佳乃の元へ駆け戻って来る。


「佳乃っ」

「三河へ戻ったら必ず迎えに来るから、待っていてくれ」


 馬上の於義丸は誇らし気に笑顔を見せると、先に待つ騎馬の群れに戻って行く。


 佳乃は天を仰いだ。

 そして両掌を合わせ願う。

 御身の無事を……そして不遇を払う未来の姿を……。


 そして見送る。

 朝日に向かって駆けて行く騎馬武者たちの姿を。

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