(6)

 結局、「やっぱりいてくれないか」というエイトの頼みでバックヤードにはジジとエイト以外に、店長も居合わせることとなった。


 眉を下げて「冷静に状況を見られるひとがいるほうがいいし」と頼み込むエイトに、店長は呆れ顔で「漫才のツッコミ役でも頼まれてるのか?」とか「オレもヒマじゃねーんだけど」と言いつつも、パイプイスを一脚壁に寄せてそこにどかっと腰を下ろしてくれたのだった。


「ありがとう」

「いや、礼はいいけど話すことあるならさっさと話進めてくれ。昼休憩の時間は無限じゃねーんだよ」

「わかった」


 木目のプリントがされた天板を持つ、簡素な長机を挟んでパイプイスに座ったジジとエイトが向かい合う。


「……ジジ。バイト先についてはメモに残っていたからわかったけど、どうしてメッセージは見てくれなかったんだい? もしかしてスマホ壊れちゃった? あと、なんで指輪を置いていったの?」


 ジジがあらかじめ残しておいたメモ用紙の書き置きは、実のところ二枚あったのだ。しかしエイトに頼まれてジジの様子を見に行った彼の後輩は見落としていたらしい。雑な仕事である。


 最速最短でリハビリを終えて退院をもぎ取り、泡を食いつつ自宅マンションの部屋へと戻ったエイトは、そのメモ用紙を見つけていくらか冷静にはなれた。アルバイト先をメモ用紙に残しておいてくれているということは、ジジがエイトを「見限った」という可能性はいくらか低くなるだろう。


 それでもほぼ冷静さを欠いていたエイトは、メモ用紙が示すアルバイト先へとそれこそ飛ぶ勢いで向かい――しかし土壇場でジジの無知につけ込んでいた自分には彼女に合わせる顔があるのかどうかとか考え込み……結果としてロードサイドにあるコンビニの周囲を長時間うろつく不審者になったというわけであった。


「ちょっと待て。これ別れ話でもこじらせてるのか?」


 エイトの先ほどのジジに対する物言いと、彼がついさっきまで不審者だったことを勘案し、店長は己のコンビニのバックヤードで痴話喧嘩でも始まるのではないかと危惧した。


 いや、痴話喧嘩ていどだったらまだいい。同じように人形兵を愛した戦友が、まるで捨てられる寸前の彼氏、あるいはストーカーのような問いかけをしたのだ。店長の心中の秤が穏やかならざるほうへと傾くのも、むべなるかな。


「ち、違う。……たぶん」


 エイトは、まだジジの本心を聞いていない。ゆえにそのような返答になってしまい、店長から「おいっ」と言われてしまった。


「別れ話?」


 一方、当事者であるはずのジジはひとり置いていかれている状況で、店長がなぜ「別れ話」という単語を口にしたのか流れがつかめていなかった。


「……その様子を見るに別れ話って感じじゃなさそーだが……なんかこいつに困らされてるんだったら遠慮なく言えよ」

「困ってないです」


 ジジが困っているのは、己の心の弱さである。別段、エイトの言動に対して困っているだとか、そういう感想を抱いたことはなかったため、素直にそう回答する。


「それじゃ……どうして」

「『武者修行』だから」

「――え?」

「ハ?」

「エイトには、成長したわたしと会って欲しかったから」


 エイトも店長も、ジジの言葉に呆気に取られるしかなかった。


 そして、なにひとつジジの主張が理解できなかった。


「……それがどうメッセを見てないことにつながるんだ?」


 固まった状態から思考を再起動させるのは、店長のほうがいくらか早かった。そしてエイトも抱いた疑問を口にし、ジジに問いかける。


 ジジの瞳は澄んでいた。ふたりを煙にまこうという意図も、後ろめたさも感じられない澄んだまなこであった。


 しかし店長の問いかけを受けて、己の行動の意図を説明することにはジジは苦心した。心はひとつに決まっていたが、それを言語化するのはやはりジジはまだ慣れていないのだった。


 それでも四苦八苦しつつ、ジジはどうにか己の思いを言葉にしていく。


「エイトが入院したって聞いて、でも会えないって聞いてから、エイトのこと考えると心がざわざわして。それはきっとわたしの心が弱いからだと思った」

「……いや、普通に同棲している相手が入院して顔も見れないってなったら、だれだってそうなると思うぞ」

「『どうせい』?」

「ん? お前ら付き合ってるんだろ?」

「違います」

「――ハ?」


 エイトはあからさまに「ヤバッ」とでも言いたげな表情になり、反射的に顔をこわばらせて肩をすぼめる。店長はエイトのほうを向いて、ちょうどその場面を目撃した。


「こいつに指輪、渡してるんだろ。おい、お前……」

「店長。その指輪はね、えっと、『虫除け』のためにエイトがくれたものだから。だから、わたしとエイトは付き合ってるってわけじゃないんです」

「ハア?」


 店長はジジから視線を外し、またエイトを見た。エイトは、顔を青白くさせて奇妙な微笑を浮かべていた。誤魔化すわけでも、ましてや面白いことがあるから微笑んでいるわけでもなく、ただ自らが望まない状況にドンドコ流されている現状に対し、奇怪な笑みがいやおうなく込み上げてきているだけである。


「ドラマで観た。左手の薬指につける指輪は、婚約者とか伴侶とかがいる証だって。……合ってるよね?」

「あ、ああ、ウン……」

「エイトが入院する前まではわからなくて、でも調べたりしなかったんだけど。でも、ドラマで『変なひとが寄ってこないように』って指輪をしている女のひとが出てきたの。それで、意味がわかった」

「う、うん……」

「エイトも、あの指輪をくれたときに同じこと言ってた。つまり、エイトがわたしにくれた指輪はそういう意味であって、伴侶にとかそういう意味じゃないってわかってる。でもエイトがくれたものは、ぜんぶだいじだから。だいじなものをなくしたり、傷がついたりするのはいやだから……家に置いてた」


 ジジの話を聞いたエイトは表情を凍りつかせることしかできなかった。


 店長は、四白眼を細めて半目になり、今はじとっとした視線をエイトに向けている。批難の意味合いが強いその視線を受けて、エイトは心がたじろぐのがわかった。


 しかし、今はジジのこと――ジジの誤解をとくことのほうが大事だった。

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