episode16


 心の内を明かしたことで落ち着きを取り戻したらしいエルメリアと、本来の目的であるティーセットを選び終えた後は寮の門限も迫っているということで解散。

 割り振られた自室に戻るまでの間、ユスツィートは「あなたを幸せにするにはどうしたらいいかしら」と、いじらしくも尋ねてきた彼女の姿を何度も反芻しながら考えていた。


 結婚さえしてしまえばさすがに諦めるだろうとは踏んでいたが、どうやって幸せにするかということばかりで自分の幸せというものを考えたことはなく——。

 だからこそ、クレアクリスに嫌そうな顔を向けられ続けてきた訳だが。


「言われた通りゴシュジンサマをその気にさせたぜ」


 人のベッドに我が物顔で腰掛けてニタリと嫌らしい笑みを浮かべた白髪の精霊の出迎えにユスツィートはスッと目を細めた。

 ——寮の自室は相部屋を基本としているが監督生や各学年の成績上位者、あるいは寮生が極端に少ない場合には1人部屋が割り振られるようになっている。


 同室の相手が戻ってくることを心配する必要のない身ではあるが、念のため後ろ手で閉めた扉に鍵を掛けてから口を開いた。


「なんだ。自首しに来たのか」

「いやまず驚けよ、ってか自首ってなんだよ!?」

「彼女に余計なことを言っただろう」

「それで美味しい思いをしたんだからいいじゃねえか!」

「それとこれとは話が別って言葉を知らないのか?」


 シェシュティオの可能性もあったが、今このタイミングでクレアクリスが現れるならば犯人は後者で決まりだろう。

 直接口にしていなくても考えを読み取ることのできる精霊ならユスツィートの心の内も伝えたい放題だ。

 頭の中で呪詛を並べ立ててやれば「おいっやめろやめろやめろ!」と、悲鳴が上がる。


「それで? 僕の考えをエリーに伝えただけならわざわざ来ないだろう。何があった」

「……あーくそっ。一応、言い訳はしとこうと思っただけだよ」

「言い訳? 君が? 珍しいね」

「色々あったというか、あり過ぎたというか。まあ詳しい事情は話せないんだが……」


 言い訳をしに来たという割には、ハッキリしない態度を取るクレアクリスにユスツィートは首を傾げた。

 ……なんやかんやで年を重ねている精霊らしく頭も回れば口も回るし、打てば打っただけ響くタイプなのに。本当に珍しい。


 明日は槍でも降るのか、と考えたところで「うるせぇ」思考を読んだ相手に睨まれ降参のポーズを取る。


「長くなるようならお茶でも淹れようか」

「気遣うなよ気持ち悪い」

「僕が飲みたいんだよ。君の分はそのついで」

「気持ち悪い気持ち悪い!」

「そう思うならさっさと話せばいいだろう」


 変に言い淀まなければこちらだって気を遣わずに済んでいるのだ。

 無駄に手間を増やさないで欲しい。


「分かったよ、分かった分かった。俺が悪かった。らしくねぇことをしてるもんでどう言っていいか分からなかったんだ」

「“らしくないこと”ねぇ……」

「自分じゃない誰かのため、なんてらしくねぇだろう」

「それを自分で言ってしまうところは君らしいと思うけどね」


 お茶は断られたので代わりにクッキーの入った缶を棚から取って差し出せばクレアクリスは嫌そうな顔をしながらも、3個ほど手に取って順番に食べ始めた。

 ユスツィートも1つ摘んで口に放り込みつつ勉強机の椅子を魔法で移動させて腰掛ける。


「らしくねぇよ。全然らしくねぇ。それでも口を挟んじまったんだ」

「分かるように話せるところだけ話してくれないと僕は反応のしようがないんだけど」

「詳細は省くがお前さんと結婚することでゴシュジンサマの望みが叶うようになるんだと」

「……ああ、それで」


 利用する形になるのが申し訳ないとか何とかって悩み始めたから僕の話をしたと。

 おおよその流れを察したユスツィートは納得する。

 利用する相手がそもそも乗り気なのだから悩む必要などないことを知っているクレアクリスの立場からすればそりゃあ口を挟みたくもなるだろう。


 だからと言って人の内心を勝手に話したことを許せるかと言われると別の問題にはなってくるが、言い訳をしに自ら訪ねてきたくらいだから反省はしているのだろうし強くは咎めまい。


「それだけじゃねぇ。リブラントの秘術を本来のあるべき形に戻すことができる」

「……何の話だ?」


 ユスツィートは眉をひそめた。

 俯くことで表情を隠したクレアクリスは、エルメリア——50年前に魔女として処刑された女の姿——を思い浮かべながら祈るように言葉を吐く。


「何代か前の、ご先祖様がポカをやらかしてるって話だ。血は途絶えなかったらしいが資格は失われちまってる。そんな歪な状態でいつまでもやっていけるはずがねぇだろう」

「……その失われた資格とやらをエリーが持っていると?」

「ああそうだ。だからお前さんはこの先、何があっても、誰と出会ってもアイツを嫁に迎えなきゃならねぇ」


 別に秘術くらい失われてもいい——元よりエルメリア以外の相手を選ぶつもりもないが、祖父のヨハネスが魔女の護衛官だったという事実以上に地位を揺るがす問題もない——んじゃないかと思ったが、そんなユスツィートの考えを読み取ったクレアクリスは即座に「ダメだ」と、強い口調で否定した。


「精霊が人の前に姿を現す機会が減ったからって油断するなよ」

「油断してるつもりはないけど、うちの秘術が必要になった事例なんて皆無だし——」

「それが油断だって言ってるんだ。お前さんたちが過去の因縁を忘れるくらいに代替わりしようと当時を知る精霊は今も生きてる。息を殺すように、姿を消したままでいるのはリブラントの秘術を恐れているからだ」

「——脅威がなくなれば途端に牙を剥くと?」

「当然だろう」


 人と精霊の心が離れたキッカケは戦争だ。

 クレアクリスが生まれるよりもずっと前、もう何百年も前の話だが今もなお人を——リブラントの秘術を恐れ、恨む精霊の数は少なくない。


「魔法の構築速度も、威力も、何もかもが人より優れていた精霊が負けを喫したのはリブラントの秘術で行動を制限されたからだと聞く。血が途絶えて喜ぶヤツはいても悲しむヤツはいねぇだろうよ」


 時を経ていくらか関係が改善しようとリブラントの人間に今更仲裁役を頼もうなどと考える精霊がいないのは、そういった歴史的な背景が大きい。


「俺は別に人間の味方って訳じゃねぇ。だが、お前さんがゴシュジンサマを嫁にしなきゃならねぇ理由になり得るってんならいくらだって情報を売ってやる」


 同族を裏切るにも等しい行いだが、知ったことか。

 自らの死こそ救いとし、喜んで断頭台に上ったような女が。生まれ変わってなお罪の意識に苛まれ、贖罪のために生きることを良しとしたような女が。ようやく人並みの幸福に手を伸ばせるようになったのだ。


 もういいだろう。

 派手な栄光を望む訳じゃない。

 富も名誉も必要ない。

 ただ穏やかに暮らせる日々を欲しているだけの女が望んだ通りの幸せを手にするくらい、別に構やしないじゃないか。


 俯いたままでいるクレアクリスの様子を眺めながら、ユスツィートは少し考えてから口を開いた。


「口約束だけじゃ不安が残るだろうし正式な婚約の届けを教会に提出するより前に君と契約を交わしておこうか」

「ノった」

「準備するから少し待っていてくれ」


 椅子から立ち上がって精霊との契約に必要なものを揃えていく。

 情報は先程の発言でおおよその察しを付けられるから不要として、いつまた気持ちが揺らぐともしれないエルメリアを懐柔するための味方は多いに越したこともない。


「僕は何があろうと必ずエリーを妻にする。君はこれまで通り身辺の警護をしながら彼女の気が変わらないようそれとなく誘導する。……素晴らしいね、完璧なウィンウィンだ!」


 ユスツィートにとって都合が良いだけのような気がするというのは、まあ気のせいということにしておこう。

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