episode10


 エルメリアはこれと言える特徴のない娘だが裏を返せばということ。

 ヨハネスの顔に泥を塗らないように、ユスツィートの婚約者に求められる最低限の実力だけは備えている。


 周囲の人間が彼女を魔女と蔑むのは他に語れる汚点がないからなのだ。


 ——ただ高い神聖力を有していたばかりに前王アロイスに目を付けられた過去前世を持つ彼女にとって、自らの非凡さを曝け出すことは禁忌にも等しいというだけで。


 侯爵家の夫人として体面を保つことに邁進していた前々世の知識と経験を総動員すれば、多少の時間は要すれども、ナディア殿下の期待に応えることはできなくもない。


(ユースとの婚約解消を念頭に置くなら私の評判は悪いに越したこともないのだけど……)


 王家の揺らぎは治世に響く。

 ナディア殿下1人を切り捨てれば済む話とも言えなくはないが、終戦から約50年——時代が変わって久しいとはいえヨハネスのように当時を知る人間も残っている。

 魔女に関わる醜聞を耳にすれば失望する人間も少なくはないだろう。

 民心を失うキッカケに十分なり得るのだ。


(利用されることを恐れるあまり別の火種を生んでは元も子もない)


 死ぬことを許されない自軍の兵と。

 積み上げられていく敵兵の屍と。

 救いのない戦場を生み出した自分。


 ——あの惨劇を繰り返すことだけは絶対に避けなければならないのだから。


 目立つことは避けられないとしても目立ち過ぎないよう、社交界で覇権を握るほどとはいかないまでも王女が憧れるに値するだけの才覚は示さなければならないし、魔女のイメージを払拭する程度には名誉の回復に努めなければならない。

 ——早熟だっただけで今はパッとしない人間、という評価に落ち着けば御の字といったところか。


 大変不本意ながらナディア殿下の確信は正しいものと言わざるを得なかった。


「お気持ちはありがたいのですが……本当に茶会と呼べるような席を用意した経験もなく、殿下に相応しいご友人を紹介できるものか……大見得を切ることのできる立場でもないのです。どうかご容赦ください」

「準備に時間を要するというのであれば2ヶ月でも3ヶ月でも、半年だってお待ちしますわ。友人についても親しくさせていただきたい方がいましたら事前に相談しますのでご安心なさって?」

「……そこまで、おっしゃられるのであれば」


 人脈についてはナディア本人と、ユスツィートやオリヴィアを頼ることにするとして……。

 あくまでも王女の要請を断り切れなかっただけというていで主導権は握らない。

 多少あからさまでも“殿下が中心のお茶会”であることが周知されるよう好みを聞き出し、今後の予定を立てていく。

 ひとまずはウィンターホリデー前までに1度開ければ、まあ良しといったところだろうか。


 学園内で個人的な茶会を開くことは禁止されていないまでも人を集めて何かしらを催す場合には事前の申請が必須となる。

 場所の選定と確認、それから茶器の用意など——を、学業の合間にこなさなければならない。


 別段難しいことではないのだが“魔女と同じ名を持って生まれただけの娘”らしく苦戦を強いられていると思わせるようなパフォーマンスは必要だ。

 仕入れ先としてシェシュティオを紹介してもらえば外で顔を合わせているところ見られたとしても言い訳が立つようになる点だけが唯一の利点と言える。


 実際にユスツィートを通して希望を伝えた後、2人きりで顔を合わせたり、実物の確認のために手紙で指定したのとは別の日に出掛ける約束を交わすハメになったりもしたがあらぬ疑いを掛けられることはなかった。

 ——ユスツィートに頼った時点でエルメリアの功績ではなく、ユスツィートの功績だと嘲笑する声の方が大きかったのも1つの理由ではある。


 忙しいフリをするのに忙しくしている間に時は過ぎ、迎えることとなった指定の日。

 集合場所に現れたシェシュティオと最低限の挨拶だけ交わして歩き出す。

 商談のために顔を合わせていたせいで緊張感は失われてしまったが——そうしなければ平静を保てないという意味で——必要以上に親しくなるつもりはなかった。


 人目に気を付けつつ廃れた雑貨屋に入り、暇そうにしている店主の男に銀貨を渡して奥へと進む。


「……1つ尋ねてもいいかしら」

「何だ」


 年季の入った扉に手を掛けながらエルメリアは低い声で尋ねた。


「“わたくし”があなたを害そうとしているとは考えなかったの?」


 開いた扉の先には古ぼけたベッドに腰掛けて厭らしい笑みを浮かべるクレアクスリの姿があった。

 悪意を持って用意された場であれば確実に無事では済まなかっただろう。

 疑念を持ってしかるべき状況であるというに振り返って確認したシェシュティオは普段通り、身構える様子もなかった。


「“君”にその気があるのなら150年前に全ての事はなされていただろう。何より家の不利益となることを行うものとは思えない」

「あの頃の私とは違うかもしれないじゃない」

「確かにな。だが貴族の義務までは忘れていないだろう」


 それは忠誠心でも、矜持でもなく——。

 貴族の貴族たる所以ゆえん

 民を慈しみ、治世を守る強者であること。

 自らをとうとき者と語る以上は必ず果たさなければならない責務だ。


 なおも言い募ろうとしたエルメリアをクレアクリスが止める。


「やめとけやめとけ。言い負けるのがオチだ。さっさと済ませること済ませた方が有意義ってもんだぜ」

「……仕方がないわね」


 王家の名誉を守るためにも必ず開かれなければならない茶会に必要な品をシェシュティオの家に頼んでいる時点で、エルメリアにその気がないのは明白と言われればそれまでだし、ユスツィートが贔屓にしている取引先を潰すに値するだけのメリットもない。


「“道”を開いてちょうだい」

「仰せの通りに」


 ベッドから降りたクレアクリスは仰々しくも胸に手を当て、頭を軽く下げた。

 彼の隣に楕円形の光が生まれる——。


「先に通って」


 光を指してそう告げたエルメリアにシェシュティオはようやく眉をひそめてみせた。

 道と言うからにはどこかに繋がっているということくらいは察せただろうが。


「どこに繋がっているんだ?」

「精霊界よ」


 天と地の間ではなくその裏側に築かれた理想郷。

 精霊のみが開くことのできる道を通らなければ辿り着けない異空間。

 それが精霊界だ。

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