恋に生きた君は知る
探求快露店。
episode1
メルディ伯爵家が三女エルメリア・ロッシュは、これと言える特徴のない貴族の娘だ。
容姿はそれなりに整っているものの社交界で1、2を争うには足りず、芸術、学術面における成績は並。
けれど、約50年前に“魔女”として処刑された女と同じ名を授けられたことで、リブラント侯爵家前当主——処刑される直前まで“魔女”の護衛官を務めていた——ヨハネス・ケリーに引き取られ、彼の孫であるユスツィート・ケリーとの婚姻が約束されたことは誰もが知る有名な話だった。
「婚約と言っても正式なものではないのでしょう?」
「魔女の名を授かった子供なんて不吉過ぎてご両親すら育てたがらなかったのを見兼ねた前リブラント卿が引き取るための口実だったとか」
「身の程をわきまえて辞退でもすれば可愛げもあるというものですのに。律儀にパートナーを務めていらっしゃるユスツィート様がお可哀想」
英才教育の賜物と言えよう。
何をやらせても非の打ち所の無い好青年へと成長したユスツィートは、短く切り揃えられた黒髪と空色の瞳という涼やかな色合いを持ちながらも陽だまりを思わせる立ち振る舞いで数多くの女性を虜にした。
決まった相手が存在することを惜しむ声は後を絶たず、非凡な彼の唯一の欠点と揶揄されるほど。
教会には届けられていない非正式な婚約であることを理由に破談を願う口さがない令嬢たちにうんざりしながら、エルメリアは図書館の隅で広げている本のページをめくる。
——イェルク学園の敷地内にあって、別棟の1つを丸々埋めるほどの蔵書量を誇る図書館は暇を潰すのには最適な場所だ。
騒げば司書に摘み出されるため血気盛んな輩が絡んでくることもなければ、本棚が周囲の視線を遮ってくれる。
騒ぎと咎められるほどには至らない、これ見よがしな陰口だけはどうすることもできないけれど耳を貸さなければそれで済む。
(私だって身を引けるものなら引きたいけど、リブラント卿が肩替わりしてくださった養育費はユースの妻となるからこそのものだもの)
支払われたものがある以上、エルメリアから婚約の破棄を申し出ることはできない。
これは契約なのだ。
ユスツィートが他の女性を妻に、と望んだ場合に限り違えることが許される。
(……運命の相手が存在するのなら、早く出会ってしまえばいいのに)
頭に入れる気のない文字列を目で追いながら
——リブラント侯爵家の1人娘として生まれた150年前。
——魔女として処刑された50年前。
死してなお忘れられない恋という名の未練にエルメリアは囚われ続けている。
愛されることを願いながら、それが叶わぬ願いであることを知っているのだ。
——“彼”は過去にしか存在し得ない。
国民の多くが信仰するセフィス教において魂は巡るものとされているが、前世の記憶を有したまま生まれ変わった人間の話なんて聞いたこともないし2度目ともなればなおさら。
エルメリアが特殊なだけで、真の意味での再会は望めないばかりか例え相手が同じように記憶を有していたとしても、愛し合える日は来ないと断言できるだけの過ちを犯してしまっているのだから。
魂に絡み付くほどの思いを終わらせたいのか。
それとも1からやり直したいのか。
もはや定かならないまでも、恋い焦がれ続けている相手の子孫であり瓜二つと言える容姿を持った元護衛官に同情され、その孫と婚姻を結ばねばならない状況に陥れば複雑な感情を覚えもする。
さすがに、孫はちょっと。
イェルク学園を卒業後、社交界入りを果たしてから半年の間に心変わりがなければ正式な婚約として教会にも届けられることになっているので、どうにかそれまでにエルメリアの代わりを見繕ってきて欲しい。
(言い寄ってくる相手は多いようだし探そうと思えばいくらだって探せるだろう)
“彼”の時もそうだった。
150年前の婚約は初めから正式なものだったので周囲の反応に多少の差異はあるけれど、一夜の夢を見ようとすり寄る相手の多かったこと。
その全てを袖にする義理堅さも、たった1人の女の前でだけは発揮されなかった。
ユスツィートは知らないだけなのだ。
理性を焼き切る炎のような情動も愛欲も。
それらを抱かせる運命の相手に出会ってしまえば、誠実な婚約者の顔なんてできなくなることすらも。
(先輩、同輩には心を動かされなかったようだから後輩に期待ってところね)
今年は粒揃いで、第2王女のナディア殿下や男爵家のご令嬢ながら神聖力の高さで名を馳せているベルツェ家のイルゼ嬢を初めとする有力株の多くが入学を果たしたと聞く。
明日の歓迎会で運命の相手と出会う可能性は高いと言えるだろう。
類は友を呼ぶと言うように人は何かしらの共通点を持たないと話が弾まないもので、特別な関係を築くには、まず対等に話せるだけの知識なり価値観なりを身に付けておく必要がある。
ユスツィートが気に入るならば、彼と同格の“何か”を有しているということになる訳だ。
最後のページまでめくり終えたエルメリアは本を閉じると、それを元あった棚に戻してから学園の寮へと足を向けた。
——イェルク学園は全寮制だ。
男子3寮、女子3寮の計6寮。
どの寮に属するかは魂の“色”によって定められ、“灰”を魂色とするエルメリアは女生徒の中でも無彩色の者たちが集うオルレア寮——校舎からは最も遠く、年季の入った館を生活の場としている。
「エルメリア嬢、荷物が届いていたので部屋へ運んでおきましたよ」
「ありがとうございますヒルデ夫人」
寮に戻ってすぐ。
声を掛けてきた夫人はエルメリアの返事を聞くなりフンッと鼻を鳴らして管理員室の奥に消えてしまった。
枯れ木のように痩せ細った彼女はオルレア寮の寮母であり、職務には忠実だが「他に宛もないので仕方なくここで働いているだけ」という鬱屈とした感情を隠さない人でもあって、基本的には何をしてもいい顔をされない。
誕生日にプレゼントを贈ってもしかめ面を向けられるレベルだ。
無彩色の魂を持つ者が1学年に10人もいれば多い方とされる程度には少ないことを理由に対応を後に回されがちな上、責任だけはしっかりと問われるとなれば
自室に引き上げたエルメリアは届けられた荷物にこそため息を返したかった。
——差出人の名はユスツィート。
鍵付きのトランクケースを指定の番号を用いて開けば一目で上等なものだと分かるドレスや靴、宝飾品が顔を見せる。
明日の歓迎会に合わせて必要なものを揃えてくれたらしい。
前リブラント卿を後ろ盾とするエルメリアが下手なものを身に纏えば侯爵家の名に傷を付けることにもなりかねないため必要なことではあるのだろうが、体裁を繕うだけならもう1つ、2つ、ランク落とした品でも事足りるというか。
それ以前の話で、必要なものはきちんと事前に持たせてもらっていることを知りながら何故追加で送ってくるのか。
いや、理由は知っている。
リブラント卿から預かった社会勉強のための資金を元手に投資を成功させて、自由に使えるお金が増えたはいいが使い道に悩み、最終的に彼は“婚約者への贈り物”を見繕うことにしたのだ。
他のことに使えば良いものを。
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