第39話 エスコート

「お稲荷様、わっち、今日お友達に映画館に誘われました……! いつも見守ってくださるお陰です」


 狐のお面を外しながら、稲荷像に向かって深々と頭を下げて言うさかき りん


 彼女は閑古鳥の稲荷神社の巫女として普段は仕事をしている。





 早朝――

 境内の掃除を終えた凛は、家に戻り、シャワーで自身の身を清めてから、朝の礼拝をする。


 それから、凛は自分の部屋の入って、昨日から準備を進めていた服やリュックを手に取った。


 普段の巫女服とはまったく違う、華やかで少し大胆な服装が目に入るたびに、凛はそわそわしていて、落ち着かな様子。

 

「大丈夫……よし」


 慣れない手つきで服を着る。


 ワンピースの柔らかな生地が肌に触れ、普段の白衣とは違う感覚に、くすぐったいような違和感を凛は覚える。


 着替え終わると、机の上に広げていた化粧品に目をやった。


「ええと……これをこうして……うん、多分こういう感じで……」


 少しぎこちなくも真剣な表情で鏡に向かう。頬に薄くピンクの色を乗せ、瞼には控えめなシャドウを引いた。


「これで、いいのでしょうか……?」


 少し不安になりながら凛は鏡を見る。


 そこには、山吹色の瞳と、漆黒の透き通るロングヘアーをした、少女が鏡に写り込んだ。


「ちょっと、肌が出てて恥ずかしいけれど……折角、柳瀬さんに選んでもらった服だから、きっと大丈夫なはず……」


 肩を出し、綺麗な鎖骨が浮き出るそのラフな黒地とワンピース。


 ずっと袴と白衣を着てきた凛にとっては、あまりにハードルが高かった。



 思わず視線をそらし、鏡越しの自分に「これで本当に大丈夫かな?」と問いかけるように呟く。


 気を取り直して、最後に用意していたリュックを背負うと、リュックの横につけた狐のお面が軽く揺れた。


 そのお面に目をやると、少し緊張していた心が不思議とほぐれた。



 玄関を出る前に、凛はもう一度全身を鏡でチェックした。


「よし……」


 気合いを入れるように小さく呟き、待ち合わせ時間を確認する。


――待ち合わせは九時。現在六時半。



「早めに着くようにしないと……!」


 そう言いながら、凛は玄関の引き戸をそっと開けた。


 外に出ると、ひんやりとした早朝の空気が肌に触れる。山間の神社ならではの静けさと、朝日が差し込む風景が、凛の背中をそっと押した。


 門前に並ぶ石灯籠を見上げると、その奥に立つ稲荷神社の鳥居が朝陽に照らされているのが目に入った。


「いってきます、お稲荷様……!」


 そう小さく呟いて頭を下げると、凛は石畳の参道を小走りで抜けていった。


 普段は静寂に包まれる神社の境内だが、今日は凛の軽快な足音が響き渡り、それがどこか心地よい音楽のようにも感じられた。

 

______

____

__



「おや、榊さんとこの凛ちゃんじゃないかい。お出かけかい?」


 境内から石畳の参道を小走りで抜けた凛に、近所の八百屋の主人が声をかけた。


「おはようございます、山田さん! はい、今日は友達と……!」


 凛は少し恥ずかしそうに、リュックを抱え直して答えた。


「あらまあ、友達とねぇ。それは良かったねぇ。お友達大事にするんだよ」


 横で、山田さんの奥さんも微笑む。


「は、はい! いってきます!」


 軽く頭を下げて通り過ぎる凛。

 その姿を見送りながら、山田夫妻は顔を見合わせた。


「最近、ますます可愛らしくなってきたねえ」


「本当だねえ。あの子が小さい頃から知ってるけど、もう立派なお嬢さんだ」


 凛はそんな声が背後で聞こえたことに気づかず、さらに足を速めた。


 道中、商店街を抜けると、他の近所のおじさんやおばさんたちからも次々と声がかかる。


「凛ちゃん、どこ行くの?」


「今日も綺麗だねぇ」


「道中気をつけるんだよ!」


 そう声をかけられるたびに、凛は立ち止まって礼儀正しく頭を下げ、少しずつ先を急いだ。


 慣れないワンピースとサンダルのせいで少し足取りがぎこちないが、凛は商店街を抜けると、近道の坂道を駆け上がる。


 凛が坂の頂上にある鳥居を振り返ると、街一面を見渡すことができた。



「はあ、はあ……」


 朝の清々しい空気が胸に染み渡る。

 軽く深呼吸をしてから、凛は再び駆け出した。


 その足元には、狐の姿があった。





◆◇







 待ち合わせ場所の駅に七時半時に着く凛。


「す、少し早過ぎたかな……」


 そう呟きながら、時計を確認してベンチに腰を下ろした。


 行き交う人々を眺めながら、リュックの中を何度も確認する。携帯、財布、ハンカチ、チケット……


 凛は忘れ物が無いことを確認する。


「うまく話せるかな……結さんに、何か変に思われたらどうしよう……」


 普段の格好とは違う自分に、少しだけ不安がよぎり、そわそわする凛だった。



 時計の針が回り、太陽も、もう完全にのぼり切って暑さを感じるようになる頃合いに――


 凛は、これからどうしようと思考をせわしなく巡らせていた。



 額に汗をかき、ハンカチで拭う凛。

 もう一時間もこの場で座りっぱなしだったが、彼女の中では一瞬と感じるほどに早かった。


 凛は、頭の横につけているお面を触って、落ち着きを取り戻しては、今日、自分が何かやらかさないかという不安を交差させ続ける。



 そんな中――


「よお嬢ちゃん。今暇してる? 俺らと遊ばない?」


 チャラチャラとした服装の男たちが、凛に声をかけてきた。


 その顔はどこか軽薄で、笑みを浮かべているものの、どこか隙間があり、彼女に対して興味本位のように感じられた。


 男たちのひとりは、足元にスニーカーを履き、背中に大きなリュックを掛けている。髪型は無造作にセットされ、どこか自信満々な雰囲気を醸し出している。


 彼の目は凛にじっと向けられ、軽くからかうような表情をしていた。


 もうひとりは、少し後ろに控えているが、どこか冷めた目をしていて、気だるげに立っている。こちらは凛をじろじろと見て、視線を横目で一度すべらせる。


「う、あ……えっと……」


 凛は一瞬、思考が止まる。

 

 予想外の声をかけられ、身体が固まる。言葉を返すことができず、そのまま動けなくなった。


 内心で焦りが募り、顔が赤くなるのを感じる。どうすればいいのか、どうしても思いつかない。


 男たちは凛のそんな様子を見て、カモを見つけたと思い、笑いながら次第に強引に近づいてくる。


「おい、どうした? 一緒に遊ぼうぜ」


 片方の男が凛の腕を掴み、軽く引っ張る。


 その瞬間――



「あー、ごめんごめん、その子自分のツレだから、手を話してくれないかな」


 透き通るような声が、その場に響いた。


 男たちが振り向くと、そこには結が立っていた。彼女は、自然に男たちの間を割って入ると、さっと腕を挙げ、男たちに向かって注意を促した。

 

「ゆ、結さん?」


「やほー」


 結は少し笑いながら、無理なく男たちの間を通り抜け、凛の前に立つ。


 男たちは、その結の登場に最初こそ戸惑った様子だったが、結の素顔を見るやいなや、態度を一変させ、まるでその美しさに釘付けになったかのように目を輝かせた。


「な、なあ……連絡先教えてくれよ?」


「すっげぇ、可愛い……」


 結はそれを軽くあしらいながら、冷ややかな笑みを浮かべて言った。


「はあ……美少女に声をかけるなら、もっと紳士にエスコートしないとだよ君ら。身内ならいいけど、全く知らない人にそれじゃあダメダメだ」


 男たちは一瞬、ぽかんとした顔をし、その場の空気が一瞬固まる。


 しかし、結の毅然きぜんとした態度に、反論することもできず、まるで言葉を失ったように立ち尽くす。


 結はさらに続けた。


「自分がいくら美少女とは言え……こほん、

というわけで、凛行こっか」


 あまりに堂々とした立ち振る舞いで、結は凛の手を取って、男たちを後にして歩き始めた。


 彼らはしばらくその場に立ち尽くし、何も言えずにその背中を見送るしかなかった。



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