或る怪奇譚 紀戸市へようこそ

火乃焚むいち

紀戸怪奇譚:『かえりたくなる』

──8月1日

え、えーっとこんにちは。え?緊張しなくて良い、ですか。あはは、こんなの初めてで、緊張しない方が難しそうです。にしても、一介の高校生の話した怪談なんてどうやって調べたんですか?あ、いえ。別に隠したいものだとかってわけじゃないですよ。全然お話ししますけど、気になって。


……知人を伝ってですか。ああ、はい。確かにこの話はいろんな人が集まったキャンプのイベントで、夜に怪談をやろうってなった時に話しました。その参加者の誰かから流れに流れてって具合なんですね。ふふふ、なんだか自分の話が少し有名な怪談みたいで不思議な気分です。ほら、有名な怪談って不思議と人から人へ伝わっていくじゃないですか。規模は小さいですけど、なんだか有名になった感じがして。


あ、すみません。脱線しちゃいました。ええっと、それじゃあお話ししますね。ただ、そのー……怪談とは言っても、幽霊が出てくるとか、何かに呪われるとかの話じゃないし、どっちかと言うとちょっと不思議な話程度のもので、怖い話ですらないんです。怪談、怪奇談?を大学の研究題材として集めてるとの話でしたけど、期待外れだったらごめんなさい。


まず、この話は私の家の話なんです。どこかの祠がとか、離れの町の民宿でとかじゃないです。詳しい?実はその、オカルトとか好きなんです。えへへ。……って、今はそんな話は関係ないですね。えーっと、うちは一軒家で、本当によくある二階建ての戸建て住宅です。一階はLDKと一部屋、あと洗面やバスルーム。二階に両親の寝室と、私の部屋と、もう一つ部屋があるんです。


二階に洋室が二つあることは変じゃないですよね。あんまり詳しくはないですが、よくある間取りだと思います。ただ、その今使ってない部屋に関して、ちょっと不思議な話がうちにはあるんです。


使ってない部屋ってよく物置にしたりするじゃないですか。でもうちのその部屋はすごく綺麗なまま残ってるんです。昔、そういえばと思って、ちょっと気になって部屋に入ったことがあるんです。あ、その部屋は私の部屋の隣なんですけど、ちょっとびっくりしたのを今も覚えてます。


その部屋の中、私の部屋の鏡写しみたいに家具が置かれてたんです。はい。使ってない部屋ですよ。そんなこと普通しないじゃないですか。けどその部屋には勉強机があって、本棚があって、ラグが敷いてあって、クローゼットには服までしっかり入ってるんです。本当に私の部屋と物の配置の左右が変わっただけ。当然、この部屋はなんなのかってお母さんやお父さんに聞きました。けど、二人とも『久々利の部屋のつもりだったんだ』って言うだけでした。あ、久々利っていうのは私の姉妹……のはずだった子の名前です。はい。産まれられなかったんですよ。私、元々双子のはずだったんですよね。お母さんのお腹の中にいる時に、いなくなっちゃったらしくて。


私もいるはずだった子のための部屋と言われたら、その部屋の意味自体はわかりますし、納得もしたんです。でもやっぱり変じゃないですか。双子じゃなくても、子供が産まれるかもって家を建てる時に考えて、二つ洋室を作るのはわかります。


でも、産まれてない子に勉強机って買いますか?ラグマットも敷かないし、本棚だって用意しないじゃないですか。それに、本棚には本もしっかり入ってるし、クローゼットの服の中には制服まであるんですよ。オカルト好きではあるんですけど、そういうものが怖くないかと言われたらそんなことはなくて、気がついてしまってからはやっぱり隣の部屋のことがよくわからなくて怖い時期がありました。


それに、その部屋にはたまに誰かが部屋を使ったような形跡が増えるんですよ。物音を聞いたことはないですけど、誰か、何か?は居るんでしょうか。けど、まあ変な話ではあるんですが、悪いものの感じはしないし、なんて例えたらいいのか微妙なところなんですが、物が動いてたりしてても、なんとなく『当たり前だな』って。そんなふうに感じるんです。


いえ、両親は至って健康ですよ。精神的な疾患とかそういうのもないですし、家族仲もかなり良いと思います。変な宗教とかにハマってるとかもないですね。


けどあの部屋についてだけは二人とも何も言わないんです。あ、その話題を避けてるっていう感じではないんです。強いて言うなら、そうしておくのが当たり前すぎて、気にもしないって感じでしょうか。私は昔はすごい気にしてたし、怖かったんですけど、最近はもうそういうものなんだなって感じで。ちょっと変でも慣れちゃうものなんですね。


はい。これが私の家のちょっと不思議な話です。え?あ、はい。これで終わりです。あはは、確かに話のオチがないって言われると弱いですね。これが本とかに載ってるようなお話だったら、確かに私も『え?これで終わり?』って言っちゃうと思います。


でもこの話、実際にある私の家の話なんで。










──8月14日

……え?あの、どなたですか……?こないだの?いえ、その、私は多分、あなたとお会いしたことはないと思います……。怪談?家の話……あ、ああ。多分、姉と会ったんですね。はい、そうなんです。姉とはそっくりで、よく間違えられるんですが、私は妹でして……。あの、どうしたんですか?青い顔をして……。


……あ〜、姉がそんなことを……。はい、多分ですけど、怖い話としてそういう形に話を作ったんだと思います。ええ、姉はそういうのが得意で、上手なんですよ。実際、あなたも怖かったみたいですし。はい、はい。そうです。私の名前は久々利です。ええ、姉は多々良ですね。本当にそっくり?ありがとうございます。


それにしても、姉もちょっと意地が悪いですね。机があったり、本があったり、使う人がいるなら当たり前のことが、使う人がいないのにって言ったら、それは当然怖い話になりますもん。ええ、そうですよ。姉の部屋の隣の部屋、姉が話していたのは私の部屋のことで間違いないです。私の部屋ですから、暖かくしておくのも当たり前のことなんですよ。


それに、産まれられなかったなんて、ちょっとした姉妹喧嘩になってもおかしくない話ですよ。そう思いませんか?そうですよね。ひどい話です。まったくもう。私は産まれられなかったんじゃないです。暖かいところにずっといたかっただけなんですよ。


どういうことかですか?そのままの意味ですよ?暖かいところ、嫌いですか?寒いのって嫌じゃないですか。寒いと不安になりませんか?冷たいのって嫌じゃないですか?ずっと、ずっと暖かいままでいたかったんです。あそこはとっても暖かくて、素敵な場所だったんです。


けど、結局外に出たんですよね。あの部屋よりは寒い時もあるんですけど、お父さんは優しいし、お母さんは暖かいので、ほとんど寒くないです。


……あの部屋っていうのは私の部屋か?いえ、違いますよ。もっと暖かいところです。暖かくて、優しくて、素敵な場所です。たまにかえりたくなっちゃうんですけど、でも今の場所も暖かいので、我慢するんです。けど、私は姉よりも内気で、引きこもり気質なので、やっぱりあんまり外には出たくないですね。


外って寒いじゃないですか。だから暖かいところにいたいんです。お母さんは暖かくて、安心するんです。けど違うお母さんもいて、そっちのことを思い出すと、寒くて、冷たくて……うう、どうしても嫌な気分になっちゃいます……すみません、急にこんな話をしてしまって。……あの、どうしたんですか?顔色がまた良くないですけど……もしかして、あなたも寒いんですか?


辛いですよね。暖かくした方が良いですよ。









──8月15日

あ、どうもこないだの。顔色があまり良くないですけど、大丈夫ですか?え?今日は姉の方?あはは、何言ってるんですか。あ、一旦どこか座りましょうか。なんだか具合が悪そうですし。


こないだの話は役に立ちそうですか?……え?聞きたいこと?はあ、まあ、あんまりプライベートすぎると答えられないかもしれませんけど、大丈夫ですよ。え?妹?久々利に会った?あははは!何を言ってるんですか。こないだもお話ししましたけど、久々利はそもそも産まれてこれなかった子なんです。会えるわけないじゃないですか。


そんなはずない?え、いや、なんなんですか。顔を見たこともない姉妹ですし、亡くなったと言っていいかもわからないくらいですけど、流石に冗談にしてもあまり面白くないですよ。いや、大昔の因習のある村とかじゃないんですから、いるはずの妹をないことにするとか、そんなことするわけないじゃないですか。姉妹兄弟がいたらいいなって思ってるんですから。ていうか、なんで妹だって思ったんですか?一応双子ですし、私はどっちが姉なのかは知らないんですけど。


……本人から聞いた?あの、そろそろほんとにやめてください。なんなんですか?嫌がらせが目的で私の話を聞きに来たわけじゃないんですよね?何にそんなに必死になってるんですか。いや、だからもう一度言っておきますけど、私は幼湖家の一人娘で、兄弟姉妹はいませんよ。一体何を見たんですか?こんな話されたら嫌な気分になります。良くないですよ、寒いし。


……寒いと良くないんです。暖かい場所にいないと、暖かくないと不安になって、不安になるとかえりたくなる。今あなたも顔色が悪いし、不安なんじゃないですか。何に不安なのかは知りませんけど、寒いでしょう。寒いですよね。暖かい場所にかえりたくなりませんか。母を呼んでください。母にかえりたくなるんです。お母さんじゃない。母にかえりたくなる。母は見てくれないんです。外にいったらもう母は私を見てくれないんです。中にいた時だけ、中にいた時だけ母は私を見てくれました。だから外は寒いんです。寂しくて、冷たくて、寒い。どこに行くんですか?あなたのせいで今寒いんですよ。ねえ。


お前は誰だって?何を言ってるんですか。


私は████ですよ。


寒いですよね。母にかえると良いですよ。


母は暖かいから。寒くないんです。











今日未明、紀戸市豊黒区にて男性の遺体が発見されました。遺体は████大学の学生██████(22)のものと見られています。死因は腹部の裂傷とみられ、遺体のそばに血の付着した包丁が落ちていたことから自殺ではないかとのことです。しかし、遺体の発見前、近隣住民から『寒い、寒い』『帰らなきゃ』などという不可解な声が聞こえていたという話が出ており、警察は事件と自殺両方の観点から調査を進めていくとのことです。




……はあ、変な事件だよな。お前もそう思うだろ?けどそのうちこういうのに慣れてくるよ。お前、ここの街に来てまだ一ヶ月とかだろ?うちの未解決事件のファイル数見たか?そう、誰も手に取りたがらない、山積みになってるあれだ。この街な、他と比べて明らかに変な事件が多いんだよ。今回みたいなのもその一つだな。いや、解決しようがないのはもう仕方ないんだ。遺族とかには悪いけど、正直俺たちとしては巻き込まれたくない、当事者になりたくないって気持ちの方が強くなって当たり前だからな。お前も無理すんなよ。長く続けたいならそういう気持ちでいた方がいい。


にしても、今回のも訳がわからねえよ。どういうことなんだ?真夏に寒い寒いってのもわからねえし、実の母親に『母に会ってくるから』なんて言った上に、こんな異常な自殺をするなんて、ひとつたりとも解決する予感がしねえ。ん?ああ、お前遺体の状態聞いてなかったのか。気分いい話じゃねえけどな。




なんでも、裂いた腹に自分をできるだけ詰め込もうとしたみたいにして、心底安心したような顔で亡くなってたらしいぜ。

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