わたつみのいろこのみや【フリー台本】
江山菰
わたつみのいろこのみや
*登場人物
せとか・・・22歳くらいの女性。常識人。「せとかN」の箇所はナレーション。
きよみ・・・28歳くらいの男性。せとかの兄。自由人。まじめな口調。
甘夏・・・25~30歳の間で任意の年齢、性別不問。人外。たどたどしい口調
*演技・編集上の注意
・作品ジャンル:オカルト要素のある現代ファンタジー。なにか生活に入り込んだ違和感のような感じ。
・SEや指定していない箇所のBGMは任意で。
・ナチュラルであることを大切に。ウィスパーボイス・鼻濁音イケボ・アニボ厳禁。
・どこか茫漠、淡々とした感じを根底に置いていただければ嬉しいです。
*以下本文
場:海の音、コンクリ造りの古い団地、膝までの水場を歩く音。
SE:ここから、最後のせとかのナレーションまで、音量を調整しながら海の音を流す。
せとか「(独り言)はぁ、やっと着いた……えーと、305か」
SE:ゴム長靴で階段を上る音 レトロなドアベルの音
きよみ「(少し間をおいてドア越しに、警戒したように)どちらさま?」
せとか「あたしよ」
きよみ「(警戒しつつ)失礼ですがお名前は」
せとか「(遮って)せとかよ。妹の声も忘れたの?」
きよみ「えっ」
SE:開錠、重いスチールのドアが開く音
きよみ「……久しぶり」
せとか「久しぶりにもほどがあるよ! 一年も連絡くれなかったじゃない」
きよみ「そうだっけ」
せとか「上がっていいでしょ? おじゃましまーす」
SE:玄関でゴム長靴を脱いで廊下を歩く音 座る音(ソファでも畳でも、解釈はお任せで) ここ以降、随時風鈴の音を入れる
せとか「あー、疲れたあ……」
SE:冷蔵庫の開け閉め、飲料を注ぎ、コップを置く音
きよみ「はいどうぞ」
せとか「なにこれ」
きよみ「甘夏の皮の健康茶。いい匂いだろ」
せとか「(嗅いで)ごめん、これ、匂いが苦手」
きよみ「えー」
せとか「マイボトル持ってきてるからいいよ。(ボトルから茶を飲みながら)ねえ、ここ、他に人が住んでる部屋ある?」
きよみ「うちだけだよ。地盤沈下で一階が床下浸水してる廃団地だぞ。これからもっと沈むって調査結果も出てる。住み続ける物好きは俺くらいだろ」
せとか「それと家賃がタダだからでしょ」
きよみ「それも大きい」
せとか「(溜息を吐いて)ちゃんと暮らせてる?」
きよみ「何とかやっていけてるよ」
せとか「電気とかは?」
きよみ「このフロア一杯に太陽光パネル設置して蓄電池に貯めて使ってる。俺しかいないからやりたい放題で楽しいぞ」
せとか「水は」
きよみ「なぜか真水だけは普通に使える」
せとか「気持ち悪っ。給水タンク、誰も管理してないんでしょ? カビとかサビとか混じってんじゃない?」
きよみ「異臭も異味も異物混入もないし、無色透明で腹も壊したことないよ。時々買い物しに
せとか「遠慮しとく。買い物とかはどうなの?」
きよみ「週にいっぺんくらいかな。そんなに頻繁ってわけじゃないよ。同居人が魚とか海藻とってきてくれるから」
せとか「え、同居人? 誰かと同棲でも始めたの?」
きよみ「いや、単なるルームシェアだよ」
せとか「兄さんと一緒に住めるって、変わった人だね」
きよみ「まあねぇ……変わっちゃいるよ。そんなことより、なんかあったのか? 話したいことがあって来たんだろ?」
せとか「いや、特に話したいことがあるってわけじゃないんだけどね、なんか……嫌な夢を見ちゃって」
きよみ「夢?」
せとか「うん。兄さんがサメみたいなでっかい怪物に襲われてる夢。サメかどうかもわからないけど、尖った牙と爪があって、兄さんに巻き付いてた。とにかく不気味なの。一年前から時々見てるけど、昨日はやたらリアルだったから」
きよみ「……へえ。夢ごときで高速3時間かけてここまで来たんだ」
せとか「心配してやってんのに『夢ごとき』とかいうのやめてよ……(間)ん? (耳を澄ませるような間)誰か来たみたい?」
SE:びしゃっびしゃっという濡れた足音がドアの前で止まる
きよみ「あー、甘夏だ」
せとか「甘夏?」
きよみ「同居人だよ」
SE:ドアの開く音、ダイニングに歩いてくる水っぽい足音、ひっきりなしに水が垂れる音
甘夏「ただいま、きよみ」
きよみ「おかえり。あーあ、床がびしょびしょだ。外で拭いてからって言ってるだろ」
甘夏「(遮って)お腹空いた、ごはん」
きよみ「先に風呂に入ってから」
せとか「(小声で耳打ちして)兄さん、この人が甘夏って人?」
甘夏「(せとかを見て訝しそうに)……誰?」
きよみ「せとか、こいつは甘夏。初めて会ったとき甘夏くれたから甘夏って呼んでる。素潜りが得意でよく魚とか貝とか獲ってきてくれるんだよ。(甘夏に向き直って)甘夏、これ俺の妹。せとかって言うんだ。今日は夢見が悪いから俺を心配して会いに来たんだって」
せとか「(甘夏に向き直って)せとかです。兄がお世話になってます」
甘夏「……きよみ、きよみ」
きよみ「どうしたんだ」
甘夏「(悲しそうに)知らない人、いやだ」
きよみ「大丈夫、せとかは何にもしないって。おい、くっつくな、服が濡れる。ほら、お風呂に入っといで、お風呂の後にごはんだよ」
甘夏「(不承不承に)うん」
SE:浴室のガラス戸の音 小さく風呂の音(シャワー不可)
せとか「(間をおいておずおずと)綺麗な人だね、甘夏さん……」
きよみ「そうかな」
せとか「目も髪も、なんだか珍しい色。指も細くて長くて……。ねぇ、甘夏さんって兄さんとめちゃめちゃ距離近くない? ほんとに同居人ってだけ?」
きよみ「うん。それだけ」
せとか「どこでどうやって出会ったの?」
きよみ「初めて会ったときねぇ……あいつ、どこからとってきたのか知らないけど、甘夏二個抱えて勝手に上がり込んできたんだよ。刺激したくなかったし、腹も空いてたし、ありがたくいただいてさ、何度かそういうことがあるうちに居つかれちゃったんだよ」
せとか「えーと、(言葉を選びながら)甘夏さんって、すこし変わった人?」
きよみ「初めて会ったころは言葉も話せなかったし、意思疎通が大変だったけど、今は幼稚園児程度には喋るよ」
せとか「ふーん……ご家族は?」
きよみ「いないって言ってたけど、血族って概念も俺が教えるまで持ってなかったからなぁ……あ、変わってるって言えばさ、あいつ人間じゃないかも」
せとか「は?」
きよみ「あいつ、乳首もへそも無いんだ。だから卵生か、哺乳類以外の卵胎生なのかもしれない。それに、俺たちみたいに生殖器と尿道と肛門が分かれていなくて、
せとか「(被せて)ちょっと待った。ただの同居人が何でそこまで知ってんのよ」
きよみ「だって甘夏、初めて会ったとき素っ裸でうろうろしてたもん。俺が服を着るの教えたんだぞ」
せとか「普通は素っ裸の人がいてもじっくり観察しないの!」
きよみ「せとか、ここはUMAの実在に驚くとこで、俺の観察眼を非難するとこじゃないぞ」
せとか「そうかもしれないけど、総排泄腔とかどんな角度なら見えるのよ!」
きよみ「甘夏が布団によく入ってくるんで、いっぺんだけ寝てみたんだ」
せとか「は? 一緒に睡眠をとったって意味で? ……そうよね?」
きよみ「いやそうじゃなくて……(照れたように)なんか、好奇心でつい」
せとか「好奇心?! 性欲のせいですらなくて?」
きよみ「うん。でもほんとに一回だけなんだ。感染症とかちょっと気になったし、あんまりよくなかった」
せとか「そういうの聞きたくなかった」
きよみ「だからもうしないって」
せとか「犯罪じゃん」
きよみ「犯罪ってどんな罪状で? 相手は人間じゃないんだぞ」
せとか「人間じゃなかったとしてもよくない!」
きよみ「えーと、動物愛護法に抵触するってこと?」
せとか「法律とか何とかじゃないよ! 体の仕組みを見たいからって、甘夏さんをなんだと思ってるの」
きよみ「何だと思ってるかって言われてもなあ……あいつ、なんなのかさっぱりわからん」
せとか「そういう意味じゃない! 罪悪感とかないの?!」
きよみ「だって、その……あいつ、たぶんよろこんでたぞ」
せとか「最悪! 同じ血が流れてると思うとぞっとする!」
SE:室内ドアの開く音
せとか「あっ……甘夏さん……(間をおいて、バツが悪そうに)聞いてたの?」
甘夏「どけ」
せとか「え?」
甘夏「おまえ、きらい」
せとか「私?」
甘夏「そう……甘夏はおまえがきらい!」
せとか「(きよみに向かって小声で)兄さん、あたし、甘夏さんが嫌がること、何かした?」
きよみ「そうだなあ、甘夏にとって、せとかはテリトリーに勝手に入ってきた悪い奴なんだろう。俺がとりなしたから攻撃性を抑えてたんだ。それなのに、自分が席を外した合間に俺と言い合いになってるのを見て、我慢する気がなくなったってとこじゃないかな」
甘夏「きよみ、甘夏を見て! 甘夏だけ、お話して!」
せとか「(少し間をおいて姿勢を正して)甘夏さん、一つだけ言わせて。あたしの兄が、その、(甘夏にわかりやすいよう、幼児に対するように言い直して)きよみが……甘夏さんにしたこと、本当にごめんなさい」
甘夏「わからない。おまえがきよみをごめんするの、わからない」
せとか「(幼児に説明するように、かつ言いにくそうに)きよみは、甘夏さんにひどいことを」
甘夏「(被せて)帰れ。甘夏はきよみが好き」
せとか「(困惑して)好きって……でも甘夏さんは」
甘夏「(被せて、凶暴に)うるさい! きらい!」
きよみ「甘夏、落ち着け!」
SE:暴れる音
きよみ「……痛っ」
せとか「あ、血が……大丈夫?!」
甘夏「触るな! きよみは甘夏の。とったらだめ」
せとか「甘夏さん……」
きよみ「……せとか、甘夏から離れろ。大した傷じゃないから。こいつ、話が理解できないとパニックになることがあるんだ」
せとか「ごめんなさい、知らなかったから……」
せとか「(溜息を吐き、呟いて)そうなんだよな……知らないのが当たり前なんだ」
3秒ほどの間。海の音と風鈴だけが響く
きよみ「来たばかりで悪いけど、もう帰ったほうがいい」
せとか「(気まずそうに)わかった。……帰るね」
きよみ「……うん、ごめん」
せとか「……元気だってことだけはわかってよかった」
甘夏「(この台詞はSE扱い。小声で泣きそうに、唱えるように)きよみごめん、怒らないで、ごめん、血が出てごめん」
きよみ「(甘夏の声に被せて優しく)大丈夫。このくらいすぐ治る。(せとかに向かって)せとか、もうここへは来るな……こいつ、大人しく見えるけどけっこう凶暴なんだ。そしてものすごく嫉妬深くて執念深い。人間の倫理観なんて通じない。せとかには何もしないように言い含めとくけど、次はないかもしれない」
三秒ほどの間。海の音と風鈴だけが響き、フェイドアウト。
せとかN:この日からあたしは兄さんに会っていない。
そして、甘夏さんが暴れたときに見た尖った歯と爪、指の間の水かきが、あの夢に出てきた不気味な生き物のようで妙に納得している。
兄さんは変人なので、あの生活でも幸せなんだろう。わりとどうでもいい。
甘夏さんも幸せだと思っているようだった。
でも、あたしにはそんな幸せは理解できないし、理解できないくらいがきっとちょうどいいんだ。
あの廃団地を覆っていた空気はあたしたちのいる世界とは違っていた。あそこは、異界だったのかもしれない。
あの時、あの部屋でお茶を口にしなくてよかった。
――終劇。
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