第18話 マスケディア侯爵領へ

 あの後、ヨーツェ様の機転で神殿の火災は広がらずに済みました。

 隠し部屋のあった礼拝室の外に出ると、マクナレン神官長の声を作り人を呼んで下さったのです。


『火が起きた! 誰か! 誰かおらぬか!』


 そう叫んで、すぐさま門から外に出ます。

 礼拝室から白い石敷きの路で繋がった、小さな門です。

 神殿の敷地外から眺めておりますと、細く煙が立ち上るのが見えます。足音、人手を請う声、煙の位置を探る声、悲鳴、怒号、なども聞こえてまいります。


「商人の方と神官長は重要な参考人です。助け出されるでしょうか?」


『案ずるな。仮死状態であれば煙も吸わぬ。まあ多少、燻されるなり皮膚を焼かれるなりはしているかもしれぬが、知ったことか』


 私の腕に収まったまま、ヨーツェ様はつまらなさそうに仰いました。

 そして、まったくくだらないとばかりに、前脚を舐めては顔をしきりに擦っております。


 猫姿のヨーツェ様とはいえ、この仕草をするということは、雨が降るのかしら。

 そんな事を考えながら、私たちは神殿から離れました。

 

 私のドレスの懐には、マクナレン神官長の例の手紙がしっかりと収まっております。

 手紙を証拠として訴えに出なくては。

 しかし身一つで王宮に出向いても、厄介な事になる予感しかいたしません。


 思案の末、私は行く先を定めました。

 つきましては、ヨーツェ様にご相談しなくてはならない事があります。


「ね、ヨーツェ様。冥府でいただいたこの髪飾りなのですけれど――」


 亡者の侍女がはりきってアップスタイルにセットしてくれた髪を崩しながら、私は訊ねました。




 

 

「あらやはり雨が降りましたわね」


 馬車の窓を打つ雫を眺め、独り言のように呟きます。

 膝の上には銀の猫――ヨーツェ様が丸くなって収まっております。

 

『馬車に乗って正解だったな。ティナの体が冷えてはたまらん。しかしこの乗り心地、なんとかならぬのか』


 揺れる馬車の中で、不機嫌さを隠さずにヨーツェ様が溜息をつきます。

 

郵便馬車メールコーチの速度ですもの、揺れは我慢しませんと」


『馬車移動とはな……全くの姿では制約が多い。早く服を得なくてはならぬ』

 

「ええ、おじい様の領地に着きましたら、きっと素晴らしい衣装をご用意することをお約束いたしますわ」


『お前にも新しい髪飾りを用意してやりたいものだ。運賃だけなら釣りが出るはずだが、ごうつくばりの御者が安く買い取りおって』


 御者席のある方をにらむようにして、ヨーツェ様が仰いました。

 お金を持ち合わせないため、運賃として髪飾りをお渡ししたのでした。


「冥府でヨーツェ様に頂いたものですから、惜しくはありましたけれど、仕方がありませんわ」


『フン、あんなものなら、これからいくらでもくれてやろう。まあ良い。着くまで膝を借りておくぞ』


 そう言うとヨーツェ様は私の膝の上で立ち上がり、ぐるぐると回って再び丸まりました。

 大きな欠伸をひとつして、ご自分のお腹に顔を埋め、眠りの姿勢に入られます。

 なだらかな額をひと撫でして、私は再び外の景色に目をやりました。

 

 神殿を抜け出した後、私たちは次の動きを考えねばなりませんでした。

 マクナレン神官長の背信行為を訴えるにあたり、問題はいくつかありました。


 ・ヨーツェ様が猫のお姿であること(力が制限されるらしく、いざというときに動きにくいそうです)

 ・ヨーツェ様の衣装が無いこと(元のお姿に戻る際に困ります)

 ・穏便に王宮に入る手立てがないこと(呪われた霊となって帰ってきたと騒がれては困ります)

 

 ひとまず上がったのはこれくらいでしょうか。

 それをいちどきに解決するために、私は亡き母ローレルの実家、カムスレナ地方のマスケディア侯爵家を訪ねることにしたのです。


 生贄となるために捕えられた際に私が滞在していた場所です。

 当代マスケディア侯爵は私のおじい様。まだ壮健でいらっしゃいます。

 帝都に住んで、自身の領地の管理に興味を示さない貴族を嫌い、ご自分の領地に住んでおります。社交会では気難しやと知られているそうです。


 たしかに直接お話しすることはそうありませんが、私にはただの気難しやとは思えないのですけれど。


 そうしてがたつく馬車に揺られ続け、着いたのは翌々日の朝。

 

「運賃を弾んだ分、急いでくださったのかもしれませんね。にしても、全身がガタガタですわ」


『可哀相に。俺はずっとお前の膝にいたから、安眠したが……』


「それはそうでしょうとも」


 実はヨーツェ様猫の重さで膝もしびれているのですが、それは黙っておくことにします。

 猫の姿で活動していると、どうしても眠くなるのかもしれませんし。

 大あくびをして伸びをする姿も、多少憎らしくはありますが可愛らしさが上回ります。惚れた弱みとはこういうものなのでしょうか。

 ……違うかも。庇護欲、かもしれません。見た目は猫さんですし。


 さて、生贄のために捕えられて以来、久しぶりに足を踏み入れるマスケディア侯爵領。実りの秋には黄金の穂の波が道沿いに続くはずなのですが、どうもふるわない様子に見えます。

 やはり帝国内の異常な気象の影響があるのでしょう。


 馬車停めに停めた馬車から降りると、すぐに顔なじみの老門番が寄ってきます。

 私の顔を見て、一瞬驚いた顔をしましたが、すぐに邸内へ遣いを出して下さいます。

 

 背後では、侯爵のワケアリなお客様を連れて来たという御者が、追加の金品をねだろうとしている声が聞こえます。

 腕に抱いたヨーツェ様が『フシャー!』と威嚇するのをなだめつつ、迎えについて侯爵邸へと向かいます。


 

「ティナお嬢様、いらっしゃいませ」


 初めに歓迎してくれたのは家令。

 

「奥様はティールームにてお待ちです」


 いつも無表情な家政婦のモーネリアが、相変わらずの仏頂面ながらも少しだけ柔らかい口調で私を迎えてくださいました。

 そして、侍女を引き連れて現れたのは、たった今話にあがった『奥様』。マスケディア侯爵夫人です。


「モーネリア、私をティールームに閉じ込めようとするのはやめて頂戴。恐ろしい目にあったと噂に聞いていた孫が、会いに来てくれたんですもの」


「しかし奥様ご自身でお出迎えというのはあまりに」


「のどかな田舎領で気取っていても仕方なくてよ。さあティナ、疲れたでしょう。お茶を飲んで、ゆっくり休むと良いわ」


 高齢ではあるけれど、軽い足運びに伸びた背筋のマスケディア侯爵夫人は歳よりも若々しく見えます。健康的な肌に、肉のしっかりついたデコルテは生き生きとした女性らしさを感じます。


 その血色を見て、まだこの家は死のドレス――碧緑砂へきりょくさのドレスには侵されていないようだと安心します。


 と、私の腕の中からヨーツェ様が顔を出し、『ニャ』と短く鳴きました。

 忘れるな、ということでしょうか。


「あらあらあら、なんて美しい猫なんでしょう?」


 侯爵夫人が手を伸ばすと、『ニャッ!』と強く鳴いて拒絶を示します。

 

「すみません、お茶の前にお願いがありまして。実は、男性ものの衣装をお借りしたいんです。背丈は、侯爵閣下と同じくらいなのですが」


 口に出してみるとおかしな願いです。

 こんなことをすぐに受け入れて下さるとは……。


「なに? どんないたずらを見せてくれるのかしら。ではあなたの部屋に、いくつか運ばせましょう」


 受け入れて下さいました。

 侯爵夫人は器の大きい、というか、大胆なところがあるのです。

 だからこそ、呪われた皇女と呼ばれた私を、母を偲べるようにと邸宅に誘って下さったのですから。


「それにしても、ティナ。雰囲気が変わったわね」


 侍女に指示を出す合間に、侯爵夫人が言いました。


「あ、ちょっと雰囲気が違うドレスですわね。事情がありまして、可愛すぎるデザインのドレスになっております」


 冥府で用意されたドレスは、みんな可愛らしいものばかりなので。ヨーツェ様のご趣味なのかもしれませんが。


「違うわ。以前は、会話のときにずっとビクビクしていたでしょう。恐れのあまり刺を出していたでしょう。それが、無くなっているの」


 恋でもしたの? と冗談交じりに問われて、私はヨーツェ様と目を合わせて曖昧に笑いました。

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