第16話 神殿の隠し部屋にて
木戸を開くと、微かに軋む音が鳴りました。
私の脚を撫でるようにして、猫の姿のヨーツェ様が入って行きます。
『待っていろ』
と告げられ、細く開けた木戸の隙間から中を覗きます。
明り取りの窓から
光の届く明るい部分と暗い部分を行き来する銀色の猫は、満ち欠けする月夜を自在に渡り時を超える、夜の遣いめいていました。
中は予想のとおり、小さいながらもきちんと整えられた礼拝室でした。
私が見る限り、部屋に入ったはずの男はどこかに消えたようでした。
『来い、出来るだけ静かに。声も出すな』
振り向いたヨーツェ様が、尻尾を軽く振って囁くような声で言いました。
先に入って、危険が無いか見てくれていたようです。
足音を立てないように礼拝室に入り、後ろ手に慎重に扉を閉めます。
改めて室内を眺めまわしても男の姿はなく、隠れる場所も見当たりません。
どう動くべきか分からず立ちつくす私のスカートの裾を、ヨーツェ様が咥えて引きました。
導かれるままに部屋の奥へと進みますと、着いた先は行き止まり、というか、窓です。
明りが差し込んでいる窓とは別の面にある窓に、タペストリーがかけられているのです。
と、ヨーツェ様がタペストリーの裏に潜り込みました。いたずらな猫のようなしぐさにほっこりしそうになりますが、タペストリーの裏から顔だけ出したヨーツェ様が『シャー!』と猫らしい鳴き声で催促するので私も急いでタペストリーの裏に潜ります。
「どうしましたの? ここはただの窓……」
たまらず小声で訊ねようとしますと、尻尾で手を柔らかくはたかれました。
『シィッ! 聞こえるだろう、奴がいる」
言われて耳をすませますと、確かに男の動き回る足音が聞こえてきます。
そういえば、タペストリーの裏にある窓は外の光を取り込んでおりません。
隠し部屋、ということなのでしょう。
ガラスの入っていない窓は、少し押すと真ん中の枠が外れました。
人間が通れるだけの隙間が空きましたので、先に中に入ったヨーツェ様を見習って、中に入ってみます。運動が苦手ですので、窓枠を乗り越える際に転げないように注意して。
乗り越えた先、目の前にあるのは別の壁ですが、右手には細い通路が続いておりました。その先に、炎を使った照明特有のゆらめく光が見えますので、そちらを目指して参ります。
と、通路を進む際に床板の緩んだところにつま先をひっかけました。
窓の仕掛けを乗り越えたことで安心しておりました。よりによって今転ぶなんて!
と思う間もなく前に倒れ込みそうになります。
とっさに手は出ますが間に合いません。ぶつかる! と目を瞑った私の肩の下で、『ふぎゃ!』という猫のつぶれたような声が聞こえました。
したたかに床に打ち付けるはずだった肩の下には、ふかふかの毛皮としなやかな身体。
ヨーツェ様が私の下敷きになってくださっていたのでした。
ヨーツェ様を潰してしまった、と焦る私に、さらに恐ろしい声が届きます。
「誰かいるのか⁉」
奥の空間に居る男の、緊迫した声がこちらにまで響いてきました。
『んなーお』
とヨーツェ様が猫の鳴き声を上げました。
そのまま、今度は大きな欠伸をして、ひげをぴくぴくさせてから口を開きます。
『猫が入り込んでおりましたね。特別礼拝の方、つつがなく終わりましたよ』
ヨーツェ様の口から出たのは、おぞ気の立つ声。マクナレン神官長の声です。
固まる私に、ヨーツェ様は器用にウインクをされました。
「ああ、ご苦労さまです。傑作な演説でしたな。寄付は集まりましたかな、ルマリツァ神殿の石を求める阿保どもに」
マクナレンが来たと思い込んでいる男が、普通に会話を続けます。
なるほど。
神殿に慣れた様子の男。追った先にあった隠し部屋。男の持ちこんだ
ここまでで揃った情報でも、マクナレンが用意した隠し部屋に男を通していたと予想するのは難しくないのかもしれません。
でも私はそこまでの考えには一人で至れませんでしたし、咄嗟にマクナレンの声を作り情報を引き出すヨーツェ様の機転は真似できません。素敵!
『ああ、石ですな。石のことですがね、一つ確認がありましてな』
「なんですかな?」
『部屋でゆっくりお聞きしますよ』
ヨーツェ様が引き続きマクナレン神官長の声を作りながら、壁の先の明かりに向けて歩いていきます。
その後をついて歩きながら、ヨーツェ様の尻尾が倍ほどの太さに膨らんでいることに気が付きました。
お怒りでいらっしゃる……。
ヨーツェ様の後を追い、とうとう隠し部屋に続く壁を折れました。真っ先に目に入る青色の絨毯に、高級だけれど悪趣味な調度。
部屋の中心にはソファにどかりと腰を下ろし、手紙らしきものを確認する男がおりました。
マクナレン神官長を待っているとしたら、立ち上がるはず。
どうも立場はこの商人の男の方が上のようです。
私の姿を認めるなり、男は立ち上がりました。
「な……ッ! なんだ! なぜここに、呪われた皇女が⁉ ……っくそ」
唸るようにそう言った男は、手紙らしきものを懐に入れて大股に近づいてきます。
その目には混乱と殺意の膜がてらてらと脂っぽく張っています。他の感情の見えない目。
今まで、殺されるたびに見てきた目つきと同じです。
「神殿を血で穢そうとなさるの?」
「うるさい、神に見捨てられた皇女が! 首でもへし折ればしばらくは静かになるか?」
恐ろしい形相で近づく男を前に、諦念に支配された私の体は動きません。
そう……殺されるのは痛いし苦しい。そして、この殺意の膜で覆われた目と向き合うのは悍ましい。
不死の呪いをうけた身とはいえ、繰り返し覚えてきた絶望は重く、私は身じろぎも出来ません。
その時、天井から月の光の色の猫――ヨーツェ様が降ってきました。
「ぐッ、なんだこの猫は!」
自分の頭に爪を立てるヨーツェ様に、男は思い切りこぶしを向けます。
その時、ヨーツェ様の目が光りました。
『夜の王にして冥府の王が命じる。あわいに漂い続ける者よ、この男を
ヨーツェ様が唱えると、男の前に木の葉とも、細くなった猫の瞳孔とも見える形をした黒い影が現れました。大きさは私の両手の平を合わせたくらいで、あまり大きくありません。
しかし明らかにこの世のものではない影の放つ圧に、男はおびえて動けなくなりました。
「ひゅ、ひぃ」
男が喉から息を漏らすことしか出来なくなっているうちに、影はみるみる男の首に近づき、喉に突き刺さりました。
がくん、と男の膝が折れたかと思うと、糸の切れた操り人形のように床に倒れ伏したのでした。
あっという間の出来事に、私は呆けることしか出来ません。
我に返ったのは、足元に猫の姿のヨーツェ様のぬくもりを感じてからです。
すりすりと私に体を押し付けて、気づかわしげに見上げていらっしゃいます。
『大事ないか? 怖い思いをさせた』
「い、いえ。助けて下さりありがとうございます。私、死にませんから。怖いと言っても怖いだけ。大したことではありません。それよりあの商人の方は、冥府に行かれましたの?」
そう訊ねると、ヨーツェ様は鼻を鳴らしてから言いました。
『奴にはまだ聞かねばならぬことがある。生と死のあわい、つまり仮死状態だ。三日はあのままだ』
ああ、良かった。
胸を撫でおろしていると、ねだるように裾にとりつくヨーツェ様。先ほどまで神秘的な力を使っていたとは思い難いほどの可愛らしさに、思わず抱き上げますと、耳を舐められます。
猫のヨーツェ様と私の秘密の挨拶が嬉しくて、私からも額にキスを返します。
「では、商人の方の懐でも改めましょう。何を隠したのか」
『うむ。ところでティナ』
腕の中のヨーツェ様が私を見上げてじっと、丸い目で見つめてきます。
『何度死のうとも、死の恐怖と悪意の悍ましさに慣れることは無い。毅然とした態度は美しいが、俺には弱みを見せて欲しい』
私をいたわる、真っ直ぐな言葉。
視界の端が滲むのが分かりました。
「……ありがとうございます」
胸がいっぱいで、そう呟くことしか出来ませんでした。
必要な時に限って、言葉は足りなくなるものなのかもしれません。
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