第6話 冥府に迎えられました

「わ、わあ〜……」

 

 ヨーツェ様のお屋敷にある私の部屋に通され、気の抜けた声を上げてしまいました。

 豪奢で、ファンシーなお部屋に通されたものですか。

 

「気に入ったか? まだ作りかけだが、お前の部屋だ。侍女に部屋を作らせている」


 傍らに立つヨーツェ様が言います。

 

 天井の高い、広い部屋。白とピンクを基調にした、いささか少女趣味の部屋。

 生きている人と見わけのつかない、侍女の方たちが部屋をせわしなく歩き回っています。

 あ、猫脚のキャビネットが運ばれてきました。力持ちな方たちですね、亡者だから?

 

 天井の一部は嵌め殺しの窓になっており、そこから空を眺める事ができます。

 これは特に気に入りました。


「あれが冥府ここの空なのですね」


 ソファの隣に座るヨーツェ様に話し掛けます。


「ああ、お前のいた世界とは違うだろう。荒れることもないが、晴れ渡ることもない空。動かない空だ。冥府とは動くことを止めた世界だからな」


「そうですね。私の知る空とは違いますが、でも私はこの空も、好きです」

 

「ふむ。俺も、悪くないと思っている。ここではあらゆるものが、激しさを失う。静かで良い」

 

 冥府の空は、昼とも夜ともつかない色をしていました。

 薄く光る雲が空を覆い、空の高さを見えなくしています。


 陽の光が雲から透けているというより、雲そのものがぼんやりとした光を放っているようでした。

 太陽は、この国には無いように思いました。少なくとも、激しい力そのものであるような太陽は無いのでしょう。

 私が見上げているものは空であって空でなく、雲であって雲でないのだろうとも思いました。


「このように静かで美しい世界だとは知りませんでした」

 

「フン。人間はとかく冥府をおぞましいものだと思わずには居られぬからな。なぜか分かるか?」


「うーん。理由ですか? なんででしょう? 死体や病というものが、怖いからでは?」


 こうやって、意見を述べる機会を与えられることなんて久しく無かったので新鮮です。

 おぞましい存在として、避けられていましたからね。

 まあその分、本を読んだり、商人から情報を収集してみたり、お忍びで街に出てみたりと好き勝手出来たわけですが。

 

 気の遠くなるような生を過ごすんだったら、ゆくゆくは歴史の語り部みたいになりたいじゃないですか。だから、何でも知りたいし知っておきたいのです。

 

『孤独に耐えるには、知ることが大事だ』

 

 って言うじゃないですか。

 これは誰から聞かされたのでしたっけ……。はっきりとは思い出せないのですが、大切な言葉として記憶しているんです。

 その時、私はまだ幼い少女でしたから、曖昧なことが多いのです。

 ううーん。

 記憶のもやのむこうに、誰かが居るのはたしかなのですけれど。

 

「なるほど、死体や病への恐怖か」


 関係ないことを考えていた私をよそに、ヨーツェ様は言葉を続けます。

 

「それもあるだろうが、人間が恐れるのは静けさだろうな。地上ではあらゆるものが激しく変化し、止まることがない。永遠の時間、止まったままの世界が恐ろしいのだ」


「そんなものなのでしょうか」


 いまいち納得できない私は、そんな反応を返します。

 王宮内で命の危機にあい続けてきていた私は、いわば激しく動き続けてきたようなもの。

 地上は刺激的な情報にも満ちておりましたし、楽しいこともありました。しかし、ここ冥府の静けさよりも良いものかというと、そうでもないわけで。

 

「私だったら冥府が不吉なだけのものでなくて良かった〜、って喜びますけれど。まあ私は、冥府から弾かれた存在なのですけれど、ふふふ」


 自嘲的に笑ってみせるのは、癖みたいなものです。

 

「お前が辛そうな顔をして笑うのは、なぜだ? おかしな女だ」


「え!」


 ヨーツェ様の言葉に驚いて、思わず声を上げてしまいました。

 私にそんなことを言う人はおりませんでしたから。


「生者は複雑だな」


「そうでしょうか」


「ああ、お前を抱えて冥府の門を通行したときに、強く感じた。生者の複雑さというものを」


 生者の、複雑さ。

 そうなのです。私は、ヨーツェ様に抱えられて冥府の門をくぐったのです。

 生きた体のままで。


 恐ろしくなかったと言えば嘘になります。

 何しろ門をくぐった瞬間、今までの殺されかけた記憶がどんどんと蘇ってきたのですから。

 

 でも、強く抱きしめてくれるヨーツェ様の腕と、どこか懐かしい香りに、なんとか正気を保ちました。


 私の肉体は消滅しませんでしたが、ヨーツェ様によると、門をくぐった反動で再生機能が暴走しているのだそうです。そのせいで記憶をつかさどる脳の細胞も、一時的に混乱したのだろうということです。


「あの時も、お前は――ティナは平気だと言って笑った。俺の腕のなかで震えながら」


 ヨーツェ様がそっと私に身を寄せて来ました。

 ちょ、ちょっと近いのでは無いでしょうか。名前も呼ばれましたし……!

 思わず私は身を固くしました。


「ティナを大事にしたいと思っている。腕の中では安心して笑って欲しいと思っている。だが、お前は俺を恐れるか?」


 うーん、怖くないわけではありませんが、畏怖に近いものです。

 同時に、腕の中で安心できる自信もあります。現に、生贄の儀式のときも、門をくぐるときも、ヨーツェ様に抱えられて私はとっても安らいだ気持ちになりましたので。

 それをどう伝えたら、良いでしょう。

 私、会話で人を怒らせることが多いので怖のです。


 高慢姫と言われていたときは、それで開き直っていたけれど。

 ヨーツェ様にはそんな風に思われたくありません。ここはとにかく、丁寧に、尊敬と感謝の気持ちを伝えましょう。


「貴方様を恐れることなどありません。ヨーツェ様は尊くて強い神様だと知っておりましたし、深くお慕いしておりました。それに、困難に会いましても、ヨーツェ様の腕の中では赤子のように安らかな心地でいられ……」


 ヨーツェ様のお顔を見上げて、そう言いかけたときでした。

 突然に、抱きすくめられました。

 

 本日三度目の抱擁です。

 今までは窮地にあった場面でしたので、気にならなかったのですが、今回は違います。

 静かな冥府の、静かな部屋。

 ヨーツェ様の胸板に押し付けられた私の耳には、彼の鼓動が届きます。


 神様にも、鼓動というのはあるのですね。

 人間よりも少し早いのでしょうか。トクントクントクンと鳴り続けています。

 なんだか私の心臓も同じようなリズムを刻んでおります。

 それに、抱きしめられるとは何て温かいのでしょう。人と触れあうことがなかったので、癖になりそうです。

 

 

 そして、ヨーツェ様の香り。

 やっぱり、懐かしい気がするのです。どこで嗅いだのかしら。


 と、ヨーツェ様の腕がほどけました。

 その時、私は無意識に腕を伸ばしてしまいました。


「もっと」


 と声にならない声が私の唇を動かしました。

 そしてあろうことか、ヨーツェ様の頬に片手を添え、もう片方の手で彼の首の後ろを撫でていたのです。

 絹のような手触りの髪を梳く感触で、ハッと我に返りました。

 

「す、すみません! 私、なんでこんなこと……!」


 まるで猫さんにするように撫でてしまった。

 不敬がすぎる行いに、私は手を引っ込めようとしました。


「良い。気持ちがいいから、そのまま続けてくれ」


 ヨーツェ様が私の手を包んで、穏やかに微笑みました。

 神々しさはあるものの、なんとなく人間味? というか生き物みがあるような……。


「つ、続け……へぁ⁉ 何をなさるんですの!」


 ヨーツェ様はソファに体を横たえると、私の膝に頭を乗せてきました。


「お前を……守るぞ。ティナ……呪い、も……」


 頭をそっと撫で続けているとヨーツェ様は眠りに落ちていきました。

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