1-6 真実

 ルドルフ・ラングハイムはやらしい笑顔を見せながら、血液の入った小瓶をふところから取り出すと自慢げに手の上で遊ばせる。


 まさか答えが返ってくるなんて思ってもいなかった。それも通り名だけではなく真名まなも。それが魔術師にとってどれほど重大な事なのか言うまでもない。


「な、なんで私の真名を知っているのよ。それにその小瓶は!?」


 彼の手中にある血液の入った小瓶。あれは紛れもなく私の血結瓶ドナーだ。


 魔術師はなったその日に一定量の血を抜かれ、ドナーという小瓶に入れられる。それは魔術師であるという証でもあり、同時に魔術師協会であるサークルの管轄下かんかつかに入るという意味でもある。


 通常魔術師はその場所にいない魔物や人間に対し直接魔法をかけることはできない。けれど相手の真名と血を持っていたら話は別。


 いつ、どこにいようとも、その二つを手に入れた魔術師は魔物や人間に対し魔法をかけたり、追跡しようと思えば容易にできるのだ。


 もちろんそのドナーは厳しく管理されており最低限のプライバシーは守られ、使用されるのは犯罪が起きた時の緊急事態のみに限られる。……というのは建前で魔術師による暴動やテロが起きないように常に監視するのも目的である。


 そのため協会の以外の魔術師に攻撃されないように通り名という、もう一つの名前を名乗ることになる。


 私の通り名は『雷鳴のエリーゼ』。『エリーゼ』はお母さんも使っていた名前から。『雷鳴』は世界の終末と言われた大嵐を収め平和へと導いた賢者の二つ名と、私の得意魔法から取ったものだ。


 つまり私の行動は初めから全部筒抜けだったというわけ。試行錯誤しながら侵入する犯罪者のアホ面を、衛兵騎士様に娯楽として提供して差し上げてたってことだ。ああ、もう最高ね。


 でもおかしい、あいつにドナーを簡単に取り扱う権限なんてないはず。国家魔術師でもまっとうな理由と協会の許可がない限り持ち出せないはずなのに……。


 これじゃあ、逃げても逃げ切れないじゃない。


 私は高鳴る鼓動を無理やり落ち着かせる。ここでひるんだら、それこそあいつの思うつぼだ。


「ホントしつこいわね。で? なに? 舞踏会ぶとうかいのお誘いに来たのなら他をあたってくれる?」


「おお、よくわかったな。だがお前に踊ってもらうのは舞踏会ではなく剣技で舞ってもらうこっちの『武闘会ぶとうかい』だ。もちろん参加するだろう? いや、強制的に参加してもらう。陛下の御命令だからな」


 そう言いながらルドルフはヘラヘラしながら剣を片手に陽気なステップをとる。


「国王の命令ですって? もし、断るって言ったら?」


「言わせやしねぇさ。まあ、お前の婆さんがどうなっちまおうと構わねぇなら話は別だがな、がははは」


「クソッ、どこまで卑怯なのよ!」


 高らかに笑うあいつを横目に、気づかれないようにあたりを目線だけで見渡す。どの兵も装備は軽装で動きやすい恰好をしている。


 事前に相手が魔術師だと分かっていたにせよ、よくその装備でやってきたなと感心する。なめられたものね。これでも国家魔術師なんですけど?


 私は一瞬のすきを見て体勢を低く取ると肩に掛けていた帯剣を地面に落とす。そして帯剣が地面に触れた瞬間、魔法陣が描かれた羊皮紙を両手に一枚ずつ握り駆け出した。


 一か八か生き残るためこれにかけるしかない。


 「くうに溶け込む光の……」


 その時だった、詠唱を始めた魔法が私の手から弾け飛ぶ。私は驚きのあまりその場に立ち尽くすと、ただただ光と羊皮紙の欠片がアイツの手持ったものに吸収されて消えていくのを眺めていた。


 普通に考えれば不意をついた私の方が有利なはずだった。けれど、ルドルフの手に握られている物を確認した瞬間、私は自分が勝てないことを改めて悟った。


 なぜなら、そこには魔法の効力を無効化する魔石・黒魔石が握りしめられていたからだ。私が焦っているのを感じたのか、彼はまたニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべる。


「宝物庫からこいつを持って来ていて正解だったぜ。恐怖でビビっちまったか? それともちびっちまったのか。がーっははは」


「う、うるさいわね! どっちでもないわよ!」


「ほら、さっさと諦めるんだな。いや、俺だってお前をこの世からバイバイさせたくねぇんだよ。わかるだろ? 俺の血管がプチっとなる前にそいつを渡した方が身のためだぜ、嬢ちゃん」


「私も言わせてもらうわ。答はノーよ。あなたみたいな人間に誰が渡すもんですか」


 どうする? どうするのよ、モニカ。考えるの、考えるのよ。何か、何か必ず方法があるはず。


 しかしどこを向いても逃げ場はない、嫌なほどに完璧だった。私は彼を睨みつけると腰に下げていたダガーナイフに手を伸ばす。


 それと同時に、ルドルフも左腰に下げていた剣をおもむろに引き抜くと、私にその切っ先を突き付けてきた。それに合わせて他の衛兵たちも剣を構える。


 私とルドルフの間は五メートルほどあるが微妙な距離だ。いや、私の方が不利なのは言うまでもないか。


「じゃあ、仕方ねぇな。お前が望むなら苦しまずに逝かせてやるよ。せいぜい天国に行けるよう神様にでも祈ってな。――加速しろ、舞空陣ぶくうじん!」


「え? 何を言って……」


 そうルドルフは呟くと体がほのかに青白い光りが包んだ。その瞬間彼の姿が消えたかと思うとイキナリ私の目の前に姿を表し剣を突き刺して来た。


「――くっ! 早い!」


 私は瞬時に右後ろに体を反りながら持ったダガーを打ち上げ、ルドルフの剣を逸らした。さらに間髪入れずにルドルフが打ち上げられた剣を振り下ろしてくるが、一瞬の隙を見て私は彼の懐に潜り込むとみぞおちを蹴り上げる。


 ルドルフは苦しそうによろめくとその間に私は地面を転がりながら距離を取りまたダガーを顎の横で構える。


「くふふ、やるじゃねぇか……。でもこれはどうかな? 加速しろ、舞空陣」


「くっ、またか」


 私は次の攻撃に備えダガーを握り直すと姿勢を低くした。しかしルドルフの姿は私の視界から完全に消えいなくなってしまった。


 右を見ても左を見ても森と私を囲む衛兵たちだけ。いくら待っても次の攻撃は来ない。


 その瞬間全身の血が引いていくのを感じた。まさか……。


 「おお、ようやく分かったか。正解だ。どうだ? 敵に背後を取られる感覚は」


 その声を聞いた瞬間私は恐怖でその場に固まってしまった。全部の関節が石にでもなったかのように震えさえ起きない。


 叫ばないといけないのに、逃げないといけないのに、反撃しないといけないのに、振り向くことも、指を動かすことも、そんなことを考える思考さえも、何一つ出来やしない。


 ルドルフは私の肩にその大きな手で叩くともう一つの手で私の頬を剣で切りつけた。


 何か生温かい液体が頬を伝って落ちるのを感じる。遅れてきた痛みで思わず手を自分の頬に押しつけた。鉄の臭いが私の鼻を突く。


 真っ赤に染まった自分の手。いままで感じたことのない感覚が私の中へ広がっていく。な、なんなのこれ……頭がぼーっとする。気づけば手足の感覚も完全になくなっていた。私はバランスを崩し思わず膝をついてしまう。


「言い忘れていたがこの剣には白ヘビ・フロイントの毒がたっぷり塗られているから気をつけろよ。おっと、もう遅ぇか」


「はぁ……、はぁ……。あなただったのね、王家の庭にあの白ヘビを放ったのは……っく」


 私を見下すルドルフ。生まれて初めて絶望というのを味わっている。私は本当にこんなやつのために死んじゃうの? い、嫌よそんなの。誰か……たすけて。


「あばよ、嬢ちゃん」


 全身に毒が回りきったのか、身体が焼けるように熱く、もう何も聞こえない。見えない。感じない。


 私は地面へと崩れ落ち、底なし沼より深い永久の闇へと消えて行った。

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イヴの子供たち 神海みなも @shinkai-minamo

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