第3話 怪異にも心が


「稲荷神社に狐の娘が――とのうわさは、そういうわけだったんだな」


 目を伏せる遥香を気づかったか、喜之助は明るくうなずいた。だが遥香はかすかに首を横に振った。


「私のうわさなんて――ろくでもなかったのでは」

「そんなことはない」


 口を開いたのは彰良だった。


「魔物を調伏ちょうぶくし怨霊を祓う、と」

「買いかぶりです」


 遥香は小さくなった。

 絶対に、狸や幽霊のことだ。どちらの時も人に見られたと思ったのだった。

 これでますます気味悪がられると落ち込んでいたけど、まさか軍から人が来るだなんて。


「私、お祓いをするわけではないんです。気持ちがなんとなく通じるというだけで」

「そこの豆腐とは話しているが」

「とう……言葉を解する子たちとはもちろん話しますけど」


 豆腐、と呼び捨てるのは少しカチンときたが、今はそこにこだわる場面ではない。遥香は考えながら言い方をえらんだ。


「言葉のない動物の怪異や、言葉も忘れてしまうくらい苦しい幽霊さんは――触れれば、気持ちがわかることも」


 それはひかえめな表現だった。本当は、手を触れるとその想いが流れ込んでくるのだ。

 くやしさ、うらみ、そして悲しみ。そんなものを受けとめてしまうので、あまりやりたくはない。

 うつむいてしまった遥香に、喜之助は首をひねった。


「通じたからって、どうなるんだい? それで怪異がおさまるもん?」

「暴れたり、人を害したりするものには何かわけがあります。それを聞いてやることで心が清まれば――成仏してくれるものです。私は稲荷の者なのに、おかしな言い方ですが」

「あはは、たしかに明治の御代になって神仏は分けられたけどさ」

「――何とも綺麗事だな」


 冷たい声色に遥香の胸はこおりついた。

 見れば、彰良のまなざしが険しい。


「俺にとって怪異とは斬り捨てるものだ。喜之助も真言しんごんと呪符を使い、滅してきただろう。あれは成仏とは違う」

「滅して……?」


 遥香は先ほどからの引っかかりを口にした。たびたび使われたその言葉、その意味するところが知りたいと思った。


「その……滅するとは、なんでしょうか」

「消し去ることだ」


 当然のように彰良は答えた。

 その元の姿が人でも獣でも、魂を、存在そのものをなくすのだという。

 害をなす相手にそうして何が悪いと彰良は考えていたが、遥香は顔をゆがめた。


「ひどい、です」

「何だと?」

「そんな救いのない……苦しみをかかえたまま消えろと言うんですか」

「そのままにしておけば世を乱すだろう」

「逃がせとは言いません。せめて安らかに眠ってほしいと思って」

「甘っちょろいな」


 彰良はにべもない。食い下がっていた遥香はそこで黙ってしまった。

 そう、きっと甘いのだろう。

 この二人は軍人だ。野山の狸などではなく、大暴れする巨大な怪異や世を呪う怨霊などとも戦ってきたのかもしれない。

 何もわからない小娘などは黙るべきなのだ。遥香は唇をかんだ。


「すみません……」

「ハルカ」


 小声であやまる遥香の手を、豆腐小僧のふくふくした指が握ってくれた。でもそれはむしろ、遥香の知る世界がちっぽけなものだと思い知らせる。ささやかでひそやかな、おんぼろ稲荷が遥香のすべて。

 泣きそうな遥香に舌打ちし、彰良が言った。


「――ならば見せてみろ」

「え?」

「俺は怪異を祓うが、滅したことしかない。おまえは清めるというのなら、それを俺に見せろ」

「おい彰良」


 とがめるような喜之助の声を視線だけで制して、彰良は続ける。


「できるんだろう? どういうことなのか、俺の目の前でやってみてくれ」


 彰良の口調は淡々としていた。

 そもそも彰良と喜之助は、「巫女の異能を見きわめろ」との指令を受け来ている。一度やらせてみないことには判断できないと考えて遥香を焚きつけたのだ。

 だがそれを脇に置いても彰良自身が遥香にいらだちを感じていた。


 遥香には黙っているが、彰良も異能の持ち主だった。

 彰良はおのれの力をこめたあかい剣を振るい、怪異を斬り祓う。

 猛る力を見出だされ幼いころから怪異と戦ってきたのだ。その誇りにかけて、遥香のやさしい言い分をすんなり受け入れるわけにはいかない。


 彰良は挑むような目を向けた。遥香はそれを正面から見つめ返す。何故か悲しくなった。


「――わかりました」

「いいのかい、遥香さん」


 心配してくれる喜之助に、遥香はそっとうなずく。やらなければならない。そう感じたのだ。

 この芳川彰良という人に信じてもらいたいと思うのはどうしてなのだろう。


 でもみずから怪異に向かっていくなど初めてのこと。考えただけで小刻みにふるえてしまった遥香の膝に、隣から小さな手が置かれた。


「ハルカ、ぼくもいっしょにやる」

「とうふちゃん」


 遥香を見上げる豆腐小僧の笑顔は愛らしい。


「おてつだいするよ。ハルカはだれにもひどいことなんてしないんだ。このひとたちにもわかってもらわなくちゃ」

「……いいの? ありがとう、とうふちゃん」

「え、いや、ちょっと待って。戦うんだよ? 豆腐小僧くん、崩れちゃったりしない!?」


 遥香の相棒として立候補した豆腐小僧だが、その強さ――というか、弱さが未知数で喜之助はあわてる。こんなことに巻き込んで死なせてしまっては寝覚めが悪いと思ったのだが、遥香はふふと笑った。


「とうふちゃんは豆腐じゃないですから」

「そうだよ! ぼく、じょうぶだもーん」


 遥香に甘えて膝にもたれかかりながら言う豆腐小僧は、守ってやりたい可愛さだ。遥香がその頭をなでてほほえむ。


「ならば豆腐も来い」


 彰良は何のためらいもなく了承した。

 気弱そうな遥香と五歳児ほどに見える豆腐小僧。そんな二人にできることが何なのか見せてもらおうじゃないか。それで危険があれば、自分が斬り祓ってしまえばいいのだ。


「横浜の官舎が使えるようにしてある。そこに移動してもらおう。荷造りを」

「――は?」

 

 あっさり言い放った彰良に遥香は動きをとめた。あわてて喜之助が釈明する。


「いきなりごめん、びっくりするよね。あのさ、ほら怪異なんていつ現れるかわからないだろ? だから通報があるまで待機しててほしいわけよ」

「官舎で、ですか」

「そんなに遠くじゃないんだけど――あ、軍の施設じゃなく普通の役宅なんで怖くないから」


 そう言われても戸惑いしかない。家を出なくてはならないなんて思わなかった。


「――どなたか来ているのか、遥香!」


 突然引き戸の外から老人の声がして、客の二人がふり返る。そして豆腐小僧が溶けるように姿を消した。

 ガタガタいいながら開いた戸から入ってきた男は、軍人たちの姿に立ちどまった。


「あ、あの、祖父です。お帰りなさい、おじいちゃん。こちらは――なんだか私に御用だそうなの」


 小さくなって話す遥香に、祖父という老人は不機嫌な目をくれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る