第40話 人手が足りません


 『紫苑シオン』の営業時間は午前十時から午後五時。ただし、お昼は一時間ほど休憩時間として店を閉めている。実質、六時間営業だ。

 店長兼店員のリリが一人で回しているので、無理のないペースでの販売を考えていたのだが──


「忙しすぎます……」


 お昼休憩に入るや否や、ぐったりとテーブルに懐いてしまう。

 なにせ、雑貨店『紫苑シオン』は今や、ジェイドの街でいちばんのホットスポットなのだ。

 開店と同時に人が殺到するため、休む暇もなくリリは接客していた。

 あまりの多忙さに、護衛に徹していたはずのルーファスでさえ列整理や品出しを手伝うほどで。

 黒猫のふりをしているナイトはどうすることもできず、魔法の家のダイニングテーブルに突っ伏したリリを懸命に慰めてくれた。


『リリ、大丈夫? 最近、街の外からも噂を聞き付けた人たちが買いに来るからね……』

「想定外でした。売れるといいな、とは思いましたが、見通しが甘かったです」


 趣味の物ばかりを集めた可愛い雑貨屋さんでのんびりと読書を楽しみつつ売り子をする予定だったはずが、なぜこんなことに?

 遠い目をするリリだが、ナイトもルーファスも「それはそう」としか思えなかった。


 これまでに見たことがないほどに斬新で美しい衣装。レースやリボンが贅沢に使われた帽子や靴下、鞄も愛らしい。

 宝物庫で大切に保管されるレベルの美しいガラス製のペンなど、皆がこぞって欲しがる商品ばかり扱っているのだ。

 最近では店内に入る人数を制限するほどに、客が殺到していた。


「紅茶と砂糖も話題になっているようだからな」

『今じゃ、お茶会に必須のアイテムらしいね』

「うう……人気なのは嬉しいけど、一息つく暇もないのはキツいです……」

『だろうね。今のキミは体力を魔力で補っている状態だから、魔力の減りが早いんだ』


 心配そうに顔を覗き込む黒猫。

 そう指摘され、リリはなるほどと頷いた。

 

「それで、すぐにお腹が空くのね……。お肉と甘いものが食べたい……」


 最近、食欲は出ていたが、ここしばらくは異常なほどに空腹を覚えていたのだ。

 お昼休憩の時間なので、昼食を食べたいのだが、疲れてあまり動きたくない。

 今日は料理をサボってレトルトランチにしようかな、となどとぼんやりと考えていると、血相を変えたルーファスが駆け寄ってきた。


「それは大変だ、リリィ! おいで」

「え……?」


 きょとん、としているリリを逞しい腕がひょいっと抱え上げた。


「ええ…っ?」

「うむ、これでよし!」

「なにが……?」


 なぜか、ルーファスに後ろから抱えられるようにして座らせられている。……ルーファスの膝の上に。

 首を傾げるリリではなく、黒猫が尻尾を膨らませてフシャーッと怒った。


『この変態トカゲ! リリに何をする!』

「ヘン、タ……? ち、違うぞ⁉︎ 俺はただ、リリィに魔力を分けてやっているだけで……!」


 ナイトに叱責されたルーファスがぎょっと目を剥いている。慌てて言い訳をしていて、猫パンチを喰らっていた。


「ルーファス、魔力を分けることができるの?」

「む、そうだ。俺は内包する魔力が多いからな。こうして肌を接触させてやると、少しずつだが、俺の魔力を分け与えることができるんだ」

「それは便利。……あ、ほんとうね。身体がぽかぽかしてきて、気持ちがいいわ」


 何だか、懐かしい気分になった。

 こうして背後から大切そうにルーファスに抱き締められていると、すごく安心する。


「ああ、俺の魔力はリリィに馴染んでいるからな。大事にしているぬいぐるみ、あれに俺のウロコを縫い付けてあるようだから」

「……そうだったの? あ、そういえば、そんなことを言っていたわね」


 聞き流していたが、ぼそりと「俺のウロコ」とルーファスがつぶやいていたことを思い出す。


『ああ、なるほど。古竜であるキミのウロコなら魔力が豊富だから、リリの魔素枯渇症を抑えることができたんだろうね』

「……これ、シオンおばあさまが縫ってくださったの」


 大好きな黒猫の姿のぬいぐるみに親友のドラゴンのウロコを縫い付けてくれた、シオン特製、最強のお守りだ。

 幼い頃から、ずっと抱いて眠っていた相棒なので、ルーファスの魔力にもすぐに馴染んだのだろう。


『シオンさま……』

「ふふ。おばあさまと二人のおかげで、私はこの年齢まで生き延びることができたのね。ありがとう」

「……こちらこそ礼を言いたいくらいだ。生きていてくれて感謝する。今はぬいぐるみのウロコに魔力は残っていないが、今後はこうしてリリィに直接、魔力を譲渡できるな」

「……ん?」


 それは絵面的にどうだろう、とリリは戸惑った。

 先程、黒猫のナイトが怒ってくれたが、客観的に見たら、この世界では未成年に見える少女を膝にのせて、うっとりと背後から抱き締めている二十代後半くらいの赤毛の大男。

 事案である。

 いくら、滅多にいない美形だろうと、通報案件ではなかろうか。


『……仕方ないね。『聖域』なら滞在するだけで、リリの魔力も落ち着くけど、街中だと魔素が少ないもの』


 ふぅ、とため息を吐くナイト。

 ルーファスはお目付け役から許可をもらえて、ご機嫌だ。


「え……私、しばらくこの姿勢でいないといけないのですか、ナイト」

『うーん。休憩時間はそうしておいた方がいいかもね。実際、身体が楽になってきただろう?』

「……そうかも」


 先程までは顔を上げるのも怠かったのだが、かなり体力が回復している気がする。


『なら、決まりだね! リリはしばらくルーファスを椅子にしていたらいいよ。昼食はボクが用意するから』


 頼りになる使い魔はぴょん、とキッチンテーブルに飛び上がると、魔法を使ってランチの準備に奔走する。

 食材はリリがストレージバングルから取り出した。

 

「今日はレトルトご飯にしましょう。ナイト、温めてもらってもいい?」

『任せて! 今日はグラタンとドリアなんだね?』

「ええ。それとローストボアの作り置きを食べましょう」


 休日に作り置きをしていたローストボアだ。

 魔獣肉なので、リリのお腹と魔力を満たしてくれるはず。

 あとは生野菜を洗ってちぎったシンプルなサラダを添えれば、バランスのいいランチになるだろう。


 ちなみにレンジがないため食べることを諦めていたレトルトの冷凍食品だが、なんと【生活魔法】の【加熱ヒート】で温めることが可能だと、つい先日知った。

 


 黒猫ナイトが器用に用意してくれた昼食はとても美味しかった。

 リリはドリアを、ナイトとルーファスは初めてのグラタンを口にしたが、ふたりとも気に入ってくれたようだ。


『チーズが溶けたところが最高だね! 熱いのは困るけど、トロッとした食感でとてもおいしいよ、リリ』

「うむ。このグラタンという食べ物、気に入ったぞ。もちもちしたコレが特に好きだ」

「マカロニが気に入ったなら、今度サラダも作ってあげますね」

「リリィが作ってくれるのか! それは楽しみだ」

『リリ、ボクも食べたい! チーズたっぷりの!』

「ふふふ。マカロニチーズも作りましょう」


 リリはローストボアを黙々と口に運んだ。

 綺麗な赤身肉で、とてもやわらかい。脂肪が少ないので食べやすいのもいい。

 何より上質な魔獣肉は魔素をたっぷりと孕んでいるので、今のリリには最高のご馳走なのだ。

 デザートとして、ヨーグルトに『聖域』産のベリージャムを添えて食べると、すっかり元気になった。


「ナイトが作ってくれたランチとルーファスのおかげで、午後も頑張れそう」


 にこりと微笑むが、ナイトは浮かない表情だ。


『……それなんだけどね、リリ。今のままだと、キミはそのうち倒れると思う』

「うむ。俺もそう思うぞ」

『だから、この店を手伝える人材が必要だ』

「……それは、他の従業員を雇えということ? でも、うちは仕入れが独特だし、日本のことは知られたくないから……」


 信用できると魔法の家に認められた辺境伯のルチアは別として、いくら有能な人材でもこの店に招くのは少し怖い。

 戸惑うリリに、ナイトが瞳を三日月のように細めて笑った。


『大丈夫! 絶対にキミの秘密を守る、信頼できる人材を連れてくるよ。何と言ってもボクは大魔女シオンの筆頭使い魔!』


 ふすん、と鼻を鳴らして胸を張る。


「そんな有能な人材がいるのね。さすが、ナイト」

『ふふふ。シオンさまがいなくなってから、すっかり引きこもってしまったのも多いけど、使えそうな奴を叩き起こしてくるから安心して』

「おお。あ奴らを呼ぶのか。シオンの使い魔なら安心だな」


 こちらもご機嫌で頷くルーファス。

 知り合いなのか、と聞こうとしたリリは聞き捨てならない一言に固まった。


「おばあさまの使い魔……?」



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