第30話 ポーション
日本の家でお風呂に入り、夕食を食べてから魔法の扉でふたたび異世界に向かった。
向かったのは、ジェイドの街ではない。初期登録されていた『聖域』の森の中だ。
さっそく、魔法のトランクを開く。
「マイホーム、展開」
魔法のお家に戻ると、そのまま寝室に向かう。
お風呂上がりにホームウェアに着替えているので、気兼ねなくベッドにダイブした。
ふかふかのお布団が気持ちいい。
「さすがに疲れちゃったかも……」
異世界の街に到着して、かなりはしゃいでしまった自覚はある。
だって、異世界なのだ。
異国情緒に満ちた街並みにも興奮したが、異世界の街には多種族の人々がいたのである。
「おばあさまと同じ、エルフは見かけなかったけれど、ドワーフっぽい人たちは何人もいたのよね」
ファンタジー映画で目にしたドワーフと特徴がほぼ同じだった。
背は低く、ずんぐりとした体格で立派なヒゲを生やしていた。
ルーファス曰く、エルフほどではないが、彼らも長命らしい。火魔法と土魔法が得意な者が多く、鍛治士として重宝されているそうだ。
「物語の中のドワーフのように、お酒に目がないのかしら?」
ジェイドの街は辺境伯の領内なので、冒険者が多く住む。
はぐれ魔獣や魔物がたまに現れるらしく、ドワーフが打った武器は人気があるようだ。
街の外れにはダンジョンがあるため、冒険者の稼ぎは良いと聞く。
「ランクの高い冒険者は払いが良いみたいだし、冒険者相手のお店をするのも悪くないかも」
冒険者に売るとすれば、やはりアウトドア用品だろうか。
美味しい携帯食なんかも売れそうだと思う。
「こっそり撮っていた動画、ちゃんと撮れていたみたいね」
街歩きの最中、動画モードにしてこっそり撮影していたのだ。
異世界の建物に街を歩く人々。雑貨屋や薬屋の店内もしっかりと録画してある。
伯父一家に頼まれていたのだ。異世界に行けないのなら、せめて撮影してきてほしい、と。
「ちゃんと動画は買い取ってくれるって話だし、良いお小遣い稼ぎになりそう」
日本に戻った折に従兄宛に送っておいたのだ。どんな反応があるのか、今から楽しみだった。
ちなみに伯母からは異世界の服やアクセサリー、雑貨類の購入を頼まれていた。
雑貨屋で何点か、面白そうな品を購入してあるので、まとめて送るつもりだ。
「伯父さまから頼まれた物も一応、手に入ったけれど……」
伯父に頼まれたのは、ポーションだ。
外傷を治せる、魔法のお薬。
異世界にはとんでもない物があるようだ。
「でも、薬屋に置いてあったのは、下級ポーションだけなのよね」
ポーションの階級については、ナイトが教えてくれた。
下級ポーションが治癒できるのは切り傷や軽い刺し傷、軽度の火傷など。中級ポーションは中程度の火傷や骨折、内臓の損傷も癒せるらしい。
上級ポーションともなると、めったに売りに出されることはない。欠損した四肢、失明さえ、たちどころに快癒するという。外傷以外の、命に関わる病にも効果がある、とんでもない高級品。
下級ポーションは錬金薬師が作れる。
それなりに高価ではあるけれど、銀貨五枚もあれば手に入れることは可能。
シオンが残してくれた手帳のメモによれば、金貨は日本円にすると十万円くらいの価値があり、銀貨は一万円相当。銅貨は一枚が千円くらい。
いちばん小さなお金は鉄貨で、百円相当だとか。
ちなみに、今日食べた屋台の串焼き肉は一本が鉄貨三枚だった。
(下級ポーションひとつで、五万円。……これは安いのかしら?)
瞬時に治ることを考えれば、お得なのかもしれない。
中級ポーションはダンジョンでまれにドロップするアイテムだ。こちらは金貨二枚が相場。
上級ポーションとなると、こんな辺境の街にはまず出回っていないらしい。
「ダンジョンのフロアボスを倒さないとドロップしないって、相当大変なのでは?」
伯父が欲しがっているのは、おそらくはこの上級ポーション。価格は不明。
異世界でのお買い物を頼まれた際に、さらりと説明してもらった。
何でも、海堂家の繁栄には曾祖母が異世界から持ち込んだポーションが大いに関係していたという。
医薬品として堂々と売り出すことはできないが、政財界の重鎮にいくつか流して便宜をはかってもらったらしい。
どうやら、国のお偉いさんには曾祖母の戸籍も用意してもらったとか。
なので、シオンの戸籍は『本物』なのだ。
(そこまで上級ポーションは魅力的な取引材料なのね……)
地位も財産もある人たちでさえ、不治の病には抗えない。その苦しみから逃れる術があるのなら、迷うことなく手を伸ばすのだろう。
「でも、その上級ポーションでもおばあさまと私の病は治せなかったのよね」
魔力過多症と魔素枯渇症。正反対の不治の病。
だが、ポーションでは治せなくても、大魔女シオンは対処法を見つけたのだ。
「異世界への移住だなんて。おばあさま、思い切りが良すぎです」
ふふっ、と笑みが浮かぶ。
でも、彼女のその思い切りの良さのおかげでリリはこうして元気になったし、異世界生活を楽しめているのだ。
「何にせよ、生きていくには先立つ物が必要。伯父さまの依頼に応えるためにも、稼がないといけないわ」
日本の物を異世界で売ってお金を稼ぎ、上級ポーションを購入する。それを伯父に買い取ってもらうのだ。
あれで抜け目のない商売人な伯父のこと。
手に入れたポーションを上手に使い、リリに支払った以上のリターンを手に入れるはずだ。
「伯父さまたちに何かあった時のために、中級ポーションもいくつか買っておきたいわね」
まずは、店舗探し。
いや、その前に家が必要だ。
家具や生活用品は日本製のものを揃えれば、少なくともあの宿よりは快適に過ごすことができる。
大変そうだが、不安よりも期待が大きい。
「明日から、頑張らないと……」
日本から持ってきていた黒猫のぬいぐるみを抱き締めると、リリは瞳を閉じた。
◆◇◆
宿での食事はあまり期待が持てそうになかったので、魔法の家で三人分の朝食を作って部屋に持ち込んだ。
ナイトとルーファスは昨夜は街の外で車中泊をして、早朝にこっそり宿に戻ってきたらしい。
宿の部屋と魔法の扉を繋いで移動してきたリリに黒猫が飛び付いてきた。
熱烈な歓迎に、リリの口元が綻んだ。
「おはよう、ナイト。よく眠れた?」
『当然! ちゃんと眠ったよ。リリこそ、一人で寂しくなかった?』
「ちょっとだけ。ナイトの代わりに、ぬいぐるみを抱いて寝たから平気よ」
『ぬいぐるみ……。そんなの抱いて寝るくらいなら、ボクが添い寝してあげるのに』
「え? 何か言った?」
『……何でもない』
すり、と頬をこすりつけてくる黒猫が可愛らしい。
いちゃいちゃしていると、ぼうっとこちらを眺めていたルーファスが口を開いた。
「リリィ、そのぬいぐるみ……」
「ああ……そのまま持ってきちゃったのね」
朝食を詰めたバスケットはストレージバングルに収納したが、急いで扉を繋いだので、うっかり手にしたまま異世界に来てしまったようだ。
不思議そうにしているルーファスに説明する。
「これ? シオンおばあさまがプレゼントしてくれた、私の宝物なの。可愛いでしょう?」
『……黒猫だ』
「そういえば、ナイトにそっくりね。シオンおばあさまが貴方を思って買ってくれたのかも」
『……っ、そう! それなら、宝物なのも当然だね! ふ、ふふっ。そうかぁ』
ヒゲ袋をふっくらと膨らませて、すました表情を浮かべたナイト。
シオンが自分そっくりのぬいぐるみを選んでくれたことが、よほど嬉しいのだろう。
微笑ましく眺めているリリを、なぜだかルーファスも嬉しそうに見つめてくる。
「? どうしたんですか、ルーファス」
「いや。俺のウロコがリリィの役に立っていたようで良かったと思って」
「ウロコ……?」
小首を傾げるリリ。ルーファスはぱっと笑顔を浮かべて、腹をさすった。
「腹がへったぞ、リリィ」
『ボクもお腹すいた!』
すっかり餌付けしてしまったようだ。
だが、期待に満ちた眼差しを向けられるのは悪い気はしない。
リリはにこりと笑って、バスケットを掲げてみせる。
「今日の朝食はサンドイッチです」
◆◆◆
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