第15話 ベリー摘み


「んぁ……?」


 目が覚めると、知らない天井だった。

 大抵はこういう時はどこかの病院の処置室だったりするのだが、無機質な病室と違い、温かみのある木造の天井だ。

 ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡してみて、そこが曾祖母から受け継いだ魔法のトランクのホームだと気付く。


「ソファで寝落ちしたのかな……」


 昨夜の出来事を思い出して、納得する。

 ここは二階の寝室だ。昨日は魔獣肉のステーキを平らげた後、ソファでうっかり寝落ちてしまったのだ。

 おそらくは黒猫のナイトがリリをここまで運んでくれたのだろう。

 あの小さくて愛らしいネコさんがどうやって運んでくれたのかは謎だが、スーパー使い魔さんなので、どうにかしてくれたのだろう。ありがたい。


「さすがに着替えは無理か」


 着衣はそのままだったので、着ていた服はシワになっている。そういえば、昨夜は風呂にも入っていない。


「こういう場合こそ、生活魔法よね。【洗浄ウォッシュ】っと」


 寝汗でしっとりしていた服はもちろん、全身の汚れが落ちるのが分かった。

 自慢の髪の毛もサラサラだ。これは便利。

 装着したままだった腕時計で時間を確認する。

 午前八時。十二時間以上、眠っていたことになる。どうりでお腹が空くと思った。


「着替えは……このままでいいかな。生活魔法で綺麗にしたし」


 邪魔な長髪は丁寧に編み込んで、寝室を後にした。


『おはよ、リリ。よく寝ていたね』


 リビングで出迎えてくれたのは、黒猫のナイト。

 リリが進呈したカゴベッドで眠っていたようで、大きなアクビを披露しながら、のそりと起き上がった。


「おはよう、ナイト。昨夜は私を寝室まで運んでくれたの?」

『起こそうと頑張ったんだけどね。目を覚ます様子がなかったから、ベッドまで運んであげたんだ』


 やはり、犯人は彼だったようだ。

 

「ありがとう。お礼に朝食を作るね」

『朝食! リリが作るの、見ていていい?』

「ふふ。もちろん」


 ナイトは調理過程を眺めるのが好きらしい。

 そんなに面白いものではないはずだが、傍らにひっついてくれるのは嬉しい。

 スツールに引っ掛けてあったエプロンを装着して、キッチンに立った。

 

「さて、何を作ろう?」


 お米はあるけれど、リリは炊飯器以外でご飯を炊いたことはない。

 鍋を使って炊飯できるようだが、やり方がさっぱり分からないので和食は諦めた。

 スマホは手元にあるが、異世界なので当然、圏外。検索しようがない。

 

「うん、今朝は洋食気分。パンを食べよう」


 ストレージバングルから食パンと卵、ベーコンにレタスを取り出した。

 スープはインスタントで手を抜いた。すぐに食べたいし、市販のスープは美味しいので。

 アイテムバッグから取り出したホットサンドメーカーを使って、二人分の朝食を作った。


「さぁ、食べましょう」

『うわぁ! 何これ、何これ? いいにおーい!』


 猫舌の彼にはキツいかな? と心配だったけれど、どうやら杞憂だったようだ。

 食べやすいように四等分にカットしたホットサンドイッチとコンソメスープは彼の口に合ったようで、ウミャイウミャイと大喜びで食べてくれた。

 リリも美味しく一人前を綺麗に平らげたが、昨夜のステーキほどの感動はなかった。


「どうしてかしら……?」

『そんなの、当然だよ。昨日のステーキは魔素を含んだ魔獣肉だったからだ。リリ、キミはまだまだ魔力が足りない。生まれてから二十年近く、ずっと魔力不足でいたんだ。あちこちガタがきているのを、魔力が修復してくれている』

「魔力が修復。もしかして、魔法を使っていなくても魔力量が減っているのは……」

『傷付いた肉体を治癒するために、無意識に魔力を使っているんだろうね。魔法使いにはよくあることさ』


 ナイトの説明でようやく納得できた。

 魔法を使っていないのに、どんどん魔力が減っているのも、やけにお腹が空く理由も。

 

『お腹が空くのは、無意識にリリの肉体が魔素入りの食事を求めているんだと思う。聖域にいても、そこまで空腹を感じるなら、リリには魔素入りの食事が必要なんだろうね』


 そう言うと、ナイトはしばらく何事かを思案する。ぱっと顔を上げて、瞳を細めて笑った。


『じゃあ、リリには食材確保に付き合ってもらおう。幸い、聖域は実りが豊かな土地だから、リリが美味しいと感じる食材はたくさんあるはずだよ!』

「食材確保。……あ、ベリーの採取とか?」


 それはとても楽しそう。

 やる気になったリリを黒猫のナイトが甘い声音で唆す。


『そうそう、ベリーの採取とか! ベリーだけじゃないよ。果樹はたくさん実っているし、キノコやハーブも豊富なんだから!』

「素敵。私、ずっと果物狩りをしてみたかったの。着替えてくる」


 張り切って二階の自室に向かうリリを黒猫は瞳を細めて見送った。


『果物だけじゃなく、美味しいお肉も狩らせてあげるね、リリ』



◆◇◆



 ベリー摘みは楽しい。

 異世界の森のベリーは粒が大きくて、酸味が少なかった。瑞々しくて、とても甘い。

 五粒を採取して、一粒を口に入れるのを繰り返して、バスケットにいっぱいベリーを採取した。

 ブルーベリーにラズベリー、ブラックベリー、クラウドベリー。色んな種類があって面白い。

 ナイトに教えてもらって、食用のキノコもいくつか採取した。

 鑑定スキルを使ってみると、食用可か毒キノコの二種類にきっかり分かれている。

 見た目では違いがほとんど分からなかったので、念のために調理する前には異世界食材は鑑定で確かめようと思う。


『ここはハーブが群生しているところ。たっぷり魔素を孕んでいるから、ハーブティーにして飲むといい』

「ハーブティー。身体に良さそう」


 ナイトが教えてくれたハーブの群生地には見知った草花があった。


「ミントにクレソン、ローズマリーとルッコラにコリアンダー。バジルもあるのね」


 ハーブティーだけでなく、料理にも色々と使えそうだ。レモングラスにカモミールも採取することができた。

 どんな料理に使うことができるのか、向こうの家に帰ったら調べなくては。


「お料理の本も注文しておこう。ベリーを使ったお菓子のレシピ本も欲しいな」


 クッキーやマドレーヌを喜んだナイトなのだ。甘いお菓子は好物のはず。

 ウキウキしながらハーブを採取して、笑顔で立ち上がったリリはその姿勢のまま固まってしまった。

 立派なツノを生やした、大きな鹿がすぐ目の前にいたのだ。


『ちょうどいい。リリ、その指輪を使ってみなよ。大魔女が魔法を込めた、とっておきの武器だ』


 太い木の枝の上で香箱を組んだ黒猫がのんびりとそんなことを言う。


「いや、無理。というか使い方を知らな……」

『あ、突進してきた』

「なんで、そんな暢気に!」


 枝分かれした立派なツノをこちらに向けて突進してくる鹿を前に、リリはヒュッと息を呑んだ。

 魔法。魔法の使い方はどうだった?


(いや、私が使えるのは生活魔法だけじゃない! 無理!)


 身に纏った魔道具のことをすっかり忘れていたリリは、結界に弾かれた鹿が毛皮を焦がした姿で地面に横たわるのを、ぼんやりと見守った。


『おめでとう、リリ。ワイルドディアの討伐に成功したよ! 今日のご飯と経験値ゲットだね』


 チェシャネコのように木の上で笑う黒猫を、リリは呆然と見上げた。


「え……今の、私が倒したことになるの?」

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