第23話 陣場恭一郎の断言

 俺は、谷口の地元の警察署まで、早朝レンタカーを走らせた。俺は、開庁時間になってから、まずは受付で、警察手帳も見せずに、尋ねた。

「こちらに以前住んでいた、九十九白夜という女性が、東京近郊のある事件に関係しているかもしれなくて、調べています。たいした確認ではないのですが、以前、噂になるような事件……まあ、結局、事件にはならなかったようですが……この警察署内で、九十九白夜さんをご存知の方、いらっしゃいませんかね?」

 何年も前の事件について、詳しく知る人は、現れなかった。

 だが、当時の事件を聞き齧った程度の人間は、実はまだ、警察署内に何人も存在するようだった。

 九十九白夜の名を出した瞬間、俺は、受付けの奥で、顔を見合せ苦笑いを浮かべる男の姿を認めた。

 俺は、言いようのない、不快感に襲われた。彼等は確かに反応したのに

俺のそばに、近寄っては来なかった。

 だから、警察手帳を見せ、スマートフォンを取り出した。

「実は、ある女の画像を持っているんです。私が知りたいのは、それが九十九白夜であるのかどうか。もしも、九十九白夜の顔を知っている方がみえたら、確認してもらいたいのです」

 その途端、九十九白夜が、その名を知らしめている事実に、俺は驚かされる結果となった。

 防犯カメラに写る女は、カメラの方向に顔を向けているわけではなく、画像も悪かった。美人かどうかなど、まるで定かでない。

 だが、俺が知りたい事実は、それが九十九白夜か否か、だけであった。美人でも不細工でも、どうでも良かった。

(本人を知っていれば、きっと判断できる)

 俺はただ、そう踏んでいた。

 遠巻きのままの警察官たちを、俺の近くに来させたかった。

 スマートフォンを取り出した途端の効果は、俺の推測するものとは、まるで違ったのだ。

「どなたか、この画像の女性が、九十九白夜さんであるかどうか、分かるかたはいらっしゃいませんかねえ」

 その女の画像が、九十九白夜か否か、と尋ねた途端、九十九白夜を知らない署員までもが、画像見たさにぞろぞろ集まって来た。

 俺は、己が刑事である真実に、時に本当に嫌気が差す。いや、そうではない。俺が、誇りも持って取り組んでいる職の同業が、「これか?」 と思う時、己も時に、これほど醜いのか、と、嫌気が差すのだ。

〝刑事はどうあるべきか〟

 俺の中には、己の胸の内にだけ秘めた、己だけの掟のようなものが存在した。

 人間は、弱く脆く、簡単に楽なほうへと流れる。日和見に、風の流れるほうへ

強い力の側へと、流されてしまう生き物だ。それでも、自分の中に存在する掟だけは崩さない、のスタンスで、俺は必死に、刑事を続けている。

 だが、そんなカッコいいこと言ったって、時に、俺だって、その掟に背き、甘いほうへ、楽なほうへと、流れている自分に気付かされた。

 だがその時は、〝警察官〟と呼ばれる者たちが、ワイドショーにでも煽られたかに、本当は事件の被害者であるのに、警察が助けられなかった噂の美女を、興味だけで一目見たいと集まって来る気味悪さに、吐き気を催し、哀しみを感じた。

 白夜という名の人は、本当に、男を狂わせる、美しい人だったのだ。

 レイプが酷い犯罪だという事実ではなく、九十九白夜が、類稀なる美女だという噂が、今も警察で、白夜を有名にしていた。

 勿論、類稀なる美女が、男に乱暴されたのに、口から言葉を発しなかったため、立件できなかったという過去までも、白夜をさらに、伝説の美女として、修飾していた。

 九十九白夜は、伝説の人となっていた。

「白夜の写真は、警察署には存在しなえ

 と言われた。

「この画像では、よぐわがね。白夜はもっとべっぴんだど思う。噂だけどな」

「似てるような……でも、もっと美人だ」

「顔がよぐわがんねな。白夜はもっと美人でねか?」

 実に適当な対応ばかりに、同じ警察官として(偉かろうと偉くなかろうと、警察署で働く者は皆、警察官であろう)嘆かわしく、頼る先を誤ったのだと、背中を向けかけた時だった。

「おい! よく知りもしねえ奴が、適当な発言、すっでねえ!」

 太く、厳しい声が響いた。

「あんたも、手帳見せいば、何処ででも通用すっと思うなよ! 調べでる理由も明がさねで」

(そうだ。その通りだ!)

 注意を受けて、嬉しく思った。

「ああ、すみません。あの……九十九白夜さんでないなら、違えば、それでいいんです。東京である事件を追っているんですが、何人も死者が出ているのに、いまだ犯人逮捕に至らない。九十九白夜さんは、関係ないとは思うんです。ただ、画像の女性が、どこの誰か、知りたい。まるで分からない。藁にも縋る思いで……」

 太い声の、がっしりした体形の、五十歳くらいに見える男が、俺のスマートフォンを覘き込んだ。

「どれ? 見せてみろ。ふうむ」

 ポケットから、小さな細長いケースを取り出すと、その中から、小ぶりな老眼鏡を取り出し、鼻の真ん中辺りにずり下げて掛けた。

 じっと画像を眺めている。

「最近、まーあ、老眼が進んで……」

 ぼそりと呟き、眼鏡を上げたり下げたりしながら、慎重に眺めている。

 顔つきが変わったのに気付いた。

「どんな事件? この、写っている娘は……被害者ではないわなあ。ならば……容疑者か?」

「その……まだはっきりとは……参考人ですかねえ」

「俺はな、長い年月、この仕事をしてる。だがら、滅多なことは、軽はずみに口にすたぐね。だけども……あんたはさっき、藁にも縋ると言ったね。その画像は、九十九白夜よ。間違いねえ。責任もって答えでける。九十九白夜だ」

「え? 間違いない? えっと……」

 雷にでも打たれたようだった。

 予測していた気もした。まるで関係ないところから辿り着いたのに、どうしても白夜のような気が、本当はしていた。誤魔化せるなら、誤魔化したかった。

 白夜が関係しているとなれば、恐らくその原因は、谷口だ。

「なぜ? なぜ、断言できるのです? 酷い画像なのに……」

 せっかく、断定してくれたのに、俺は荒立ち、食って掛かった。

「なんだ? 違って欲すくてあったのが? 訳ありだな……俺はな、この娘、守ってやりだがった。こういう仕事は、情けだけではやれねがら」

 男は、老眼鏡を外し、ケースに入れながら、廊下の奥へと歩き出した。

「なんで? だから、なんで断言できるんだ!」

 男は足を止め、後を追う俺を振り向いた。

「わすは、適当な、いい加減はしゃべらね。耳の形。ほくろの場所。口の形。額からの、髪の生え際。首の太さ。整形すたって、そうは変いらいねえ、いぐつか、しっかり覚えてるんだわ。美人だからじゃねえぞ。そんなんじゃね。あの娘に、いつか、何があったっきゃ、救ってやりでと思ったはんで。そった情けは、そんだけじゃ何の役にも立たね。だはんで、せめで覚えでおくべと思ったんだわ」

 男は、再び向こうを向いて、すたすた歩いて、姿を消した。

 それ以上、追ってまで、話を聞く必要はない。

 側にいた若い警察官に、聞く。

「あの人の名前を教えておくれ」

 信用のできる人間だと思えた。またいつか、頼ることがあるやもしれない。

「ああ、ジンバさんだよ。陣中の陣に場所の場。陣場恭一郎じんばきょういちろう。切れ者よ。でも最近は、もう辞めてえ。隠居してえ、って、そればっかり。まんだ若いのに」

「ありがとう。あの、陣場さんに、よろしく伝えてください。私は、山口透。名刺、渡しておいてください。ありがとうございましたと、お伝えください」

 俺は踵を返した。

 ぐっと胸から込み上げる何かを堪え、俺はレンタカーを返却し、飛行機で東京へと飛んだ。

(急がなければ)

                               つづく

 

 

 

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