帝都騒乱 4

 武士たちの気配が消えてから、瑠璃女は体を起こして胡座をかいた。


 蓮二は窓辺に寄りかかり、太刀を抱くように立てていた。――落ち着かないときに、いつもそうするように。


 沙耶は瑠璃女の横に座ると、憮然としている瑠璃女に云った。


「いったい、なにがあったのですか?」


 瑠璃女は面倒そうに顔を上げ、


「つまらん話さ」

「よかったら、教えてはくださいませぬか?」

「わたしに、なんの益がある」

「人の道に反するようなことでなければ。お助けできるかも、知れませぬ……」

「人の道だと? それを、誰が裁定する」

「そ、それは……」

「人の道なぞ、見たこともない」


 蓮二のあくびが聞こえた。瑠璃女は頭を掻いて、また俯いてしまった。なんとなく沙耶は、蓮二と瑠璃女から、似たような性質を感じた。



「せっかく、火津真様と、縁を結ばれたのに……」


 沙耶が云うと、瑠璃女はまた顔を上げた。


「ああ。父上ちちうえ母上ははうえも、喜んだよ。楼迦国に住んでいるのに、わざわざ、わたしに会いにきたものさ」

「そう、ですか……。やはり……」

「沙耶。そういうあんたは、ひょっとして、鎮め巫女に選ばれたのか? 西への旅の、途中なのか?」

「左様、です」と沙耶は頷く。


 瑠璃女はふいに手を伸ばしてきた。沙耶の手を取って、


「人のことなど、気にかけている場合か。これから、あんたは人柱になるんだよ」

「はい……」


 瑠璃女は手を離すと、口惜しそうに自分の腿をはたいた。


「白ノ宮は、本当に因業なやつらさ。瘴気を治めるためとはいえ、他に、道はないのかねえ……。本当に……」


 くっきりとした瞳を拡げて、瑠璃女は心底同情するような視線を向けてきた。沙耶は息苦しい気持ちがして、


「それが、水奈弥ノ神と結ばれた、わたしの宿命さだめなのです。ありがたく、そのお役目を果たさねば」

「まったく、あんたって子は……」


 沙耶は思わず、くすりと笑う。


「な、なにがおかしい?」

「いえ、瑠璃女様は。――わたしがかつてお世話になった雪凪様と、似たようなお話し方をされるので……」

「ほう。一位巫女の、あの恐ろしい雪凪様か」

「恐ろしい?」

「ああ。なにせ、奇しくもあの烈賀王を霊受されたのだ。――いや、それはいい。とにかく、よくよく、おのれの道を、考えてみるがいい」

「おのれの道……」

「そうだ。どんな道も、自分で選び、自分で歩まねばならぬよ。なあ、沙耶よ」


 沙耶は瑠璃女の大きな瞳をじっと見ながら、瑠璃女の瞳の中にはどんな道があるのだろうか、と考えた。瞳には行灯のかすかな光がずっと、燻っていた。


 部屋の隅には瑠璃女の、黒地の半纏が畳まれており、そこに臙脂色の菊が細い線で描かれていた。


(やはり炭を焼く、埋み火みたいだ)


 沙耶はそう思い、また瑠璃女を見た。


「なれば、お尋ねしますが……。瑠璃女様の道は、ご自身で選ばれたのですか?」

「なんだと……」と瑠璃女は棘のある声で云った。


 沙耶はびくりと肩を震わせ、口を結んだ。やがて瑠璃女は「ふう」とため息をついた。


「こんな所で、宮の巫女と語り合うなんて。まったく、長神様の織りなすえにしの糸は、人の想像を超えるものよな」

「瑠璃女様……」

「ああ。わたしはあの日、白ノ宮を抜けた。父上の処刑の話を聞いてから、いても立ってもいられなくなった……」


 それから瑠璃女は遠い目をして、こんな話を語った。



  *



 瑠璃女は雛蘇ノ宮ひなそのみやでの瞑想行の途中で、ある四位巫女から書簡を受け取った。


「ごくろうだった。下がってよい」と瑠璃女が云うと、巫女は頭を下げてから出ていった。


 書簡を開こうとしたとき、左腕に痛みが走った。――左腕の包帯が白い小袖からのぞいている。火傷の痕は手首や手の甲にも広がっている。


 浄めの火を喚ぶには、どうしても代償が要る。燃やすならば利き腕ではない、左腕からだと決めていた。


 書簡の差出人は、実兄の義久よしひさからだった。また、書簡には驚くべきことが書かれていた。



 瑠璃女の父の実之さねゆきは、警府の櫟木の元で働いていたのだが、実之が警府の金を横領し、処刑されたというのだ。また、義久は母とともに楼迦国を追放された。



 瑠璃女はどうすることもできず、暗澹たる気持ちで修行の日々に戻っていった。


 それから十日後、新たな書簡が届いた。差出人は『火津真党』と書かれていた。火津真党といえば、楼迦国で発生した内乱を主導した者たちだ。


 しかし、一年ほど前に党首をはじめ、多くの党員が処刑され、壊滅したはずだった。


 その、火津真党からの書簡の内容は、こんなものだった。


 ――瑠璃女の父、実之が企てたとされる横領は、警府長官の櫟木の指示によるものだった。財府に目をつけられたため、櫟木は実之に罪を押し付けて、口封じに走ったのだ。また、国の要人も櫟木の仕業だとわかっていながら、互いに後ろめたさがあるせいで、見て見ぬふりをしていた。


 火津真党はこんな国を変えるために立ち上がったが、その願いは神に届かず、途絶えようとしていた。しかし、風の噂に瑠璃女はかの、火津真ノ神との縁を結んだと聞いた。


 そして、書簡はこう締め括られていた。



『今こそ、お父上の無念を晴らすべく、櫟木を誅するべきときでございます。

 我が党は、先に述べた隠れ家にて、一日千秋の想いで、あなた様のご来訪をお待ち申しております。

 僭越ながら申し上げますれば。火津真ノ神はあなた様に、まことの正義を行うがために、お力を授けられたものと心得ます。

 楼迦国にて古来より崇め祀られる、火津真様の名を、我らは冠しておりますれば、あなた様を火津真ノ神の化身としてお迎えしたく、切に願っております。

 是非とも我らが党を率い、神なるお力を持ってまず、国の警備を執り仕切る櫟木めを裁くご助力をば、賜りとう存じます。

 日に日に広がる瘴気が人を狂わせるのは、事実でございます。されど、それに負けて不義を為すのは悪徳でございます。悪徳を浄めることこそ、火津真様の御力なりますれば』



 ――そんな危うい内容の書簡が無事に届くのは、白ノ宮の権威によるものだった。何人も白ノ宮を行き来する書簡を、検閲することはできない。



 瑠璃女は悩みに悩んだ。兄や母とも連絡が途絶え、相談するすべもなかった。かといって、宮の誰にも打ち明けることはできなかった。


 火津真ノ神は、なぜ火の力を自分などに授けたのだろうか?


 父の無念も晴らせず、家族も救えずして、なにが浄化だろう?


 もし浄めるべきものがあるとしたら、櫟木のほかになにがあるだろう?



 馬稚国の西部での神事のおり、瑠璃女は帰り道でついに姿をくらませた。護衛の兵を振り切り、故郷である楼迦国を目指した。目的地は、火津真党の残党が書簡で示した、隠れ家であった。


 残党は二十名強が集まっており、すぐに櫟木邸の襲撃について議論がはじまった。火津真ノ神と縁を結んだ瑠璃女が来たことで、党は結束し、熱に浮かされたようになっていった。


 こうしてついに、襲撃が決行されたのだ。

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