ハッピーエンドの陰には

南村知深

第1話 二人の出会い

 遅めの夕食をとりながらリビングのテレビで民放の天気予報をぼんやり眺めていた安芸あき和花のどかは、その後に始まった報道系番組の冒頭で『速報!』と画面いっぱいに打ち出されたテロップを目にした途端、箸でつまんでいた煮豆を取り落とした。そのままじっと画面を凝視し、場面転換の後にズームアップされた一組の男女が映ったところで表情を変える。


「……なんで……」


 呆然ぼうぜんと呟く視線の先で、俳優のかんユウスケとさかスミが結婚、というテロップが大きく画面を占めている。

 若手俳優の中でもトップクラスの演技力と画面えする顔立ちの菅野ユウスケは、半年ほど前に公開された映画の主演を務め、三か月足らずで今年の邦画の興行収入記録を塗り替えて今もそれを更新し続けている。そんな誰もが認める実力者で現在最も注目されているだけに、結婚報告が速報扱いされるのもうなずける。

 だが、和花が驚いているのはではない。

 実のところ、和花は芸能界にひどうとい。学生の頃は人並みに芸能人やアーティストに憧れ、チェックを欠かさなかったものだが、高校を卒業して大学に上がる頃にはすっかり興味をなくしていて、社会人になって会社勤めをするようになった今、菅野ユウスケ以外の若手芸能人の顔も名前もほとんど知らないのだった。

 だから、菅野ユウスケが選んだ相手――酒間スミの顔を見るまで、彼女が芸能界にいるとは思ってもみなかったのだ。


「…………」


 画面の中で、酒間スミが嬉しそうな笑みを浮かべながら菅野ユウスケの隣に立って、レポーターの質問に答えている。

 それを見ていると、和花は酷く複雑な気分になった。

 と言っても、菅野ユウスケが好きだからというわけではない。単に彼が高校の先輩で面識があるというだけで、特に思うところもなく結婚のニュースにショックを受けているわけでもない。酒間スミに関しても、彼女と同級生で少々縁があったというだけで、二人のことは意識の外に追いやっていた。

 しかしここで二人の姿を見てしまい、昔のこと――高校一年生の数か月を思い出して、無理矢理心の奥に押し込めていた感情がドアを叩き始めた。

 忘れようとしていろいろなものを捨てることになった、過去の記憶が浮かんでくる――



     ・  ・  ・



 現在、工業系中小企業の事務として働く和花だが、幼い頃からの夢があった。

 それはファッションデザイナーになるという夢だ。

 和花はものごころがついた頃から着せ替え遊びが好きで、人形やぬいぐるみにおもちゃの衣装を着せて楽しんでいた。そのうち自分で服を作りたいと思うようになり、親に布や裁縫さいほう道具をねだって買ってもらい、人形の服を自作するようになった。小学校低学年頃にはミシンを使うようになり、人形だけでなく自分が着るための服も作った。また、その出来は年齢を考えれば非常に良く、親や友達が驚くほどであった。

 そうして日々研鑽けんさん(当人は好きでやっているだけでそのつもりはなかったが)を積み、周囲のしょうさんもあって、将来はファッションデザイナーになりたいと考え始めた。

 その才能の片鱗へんりんは、中学の学芸会の衣装をデザインし、人数分を一人で縫い上げたときに見え始め、高校の部活で完全に開花した。わずか入部三ヶ月で一年生ながら『被服研究部』のメインデザイナーとなり、その後も順調に思う存分その能力を伸ばしていくことになる。


 ――



「あの、安芸さん、お願いがあるんだけど……」


 和花が無人の教室に一人でいると、やや早足で入室してきたクラスメイトが席の前まで来て遠慮がちに声をかけてきた。

 髪は野暮ったい三つ編みで、和花のつややかで真っ直ぐな髪とは対照的に、クセの強いくすんだ黒色をしている。小動物を思わせる愛らしい顔立ちに落ち着きのない黒い目が揺れ、少しかさついた唇がかすかに震えていた。

 そうして猫背でおどおどしているせいか、身長が低いわけでもないのに、椅子に座っている和花が少し視線を上げるだけで彼女の顔が見えてしまう高さになってしまっていた。


「ええと……」


 和花は初めて声を聞いたクラスメイトから突然話し掛けられ、デザインのラフを描く手を止めて首を傾げた。

 人の顔と名前は一度見て言葉を交わすだけで覚えてしまう和花ではあるが、さすがに顔は知っていても初めて話した相手の名前が出てくるはずもない。

 それに気づいたか、彼女はすぐに名乗った。


「私、浅春あさかです。浅春すみ。出席番号が一つしか違わないのに話すのは初めてでわからなかったですよね。ごめんなさい」

「ううん、こちらこそごめんなさい。それで浅春さん、お願いって?」


 訊きながらノートを閉じ、視線を向ける。

 浅春はあまり人と目を合わせるのが好きではないのか、ふいっと顔を逸らして机の上のノートに目をやった。それからしばし黙した後、やがて意を決したように口を開いた。


「その、安芸さんって、衣装のデザイン……するんですよね?」

「…………」

「それだけじゃなくて、作るほうも、できるって聞いたんですけど……」

「…………」

「ええと、その……」

「……?」


 言いたいことがまとまっていないという感じではなく、牽制けんせいしているという表現が当てはまるだろうか。どう切り出せば正解にたどり着けるのかを探っている――そんな印象だった。


(……ああ、そういうこと……)


 浅春が慎重に言葉を選んでいるような印象を受け、和花は彼女が何を言おうとしているかを察して、内心でうなずいた。


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