第31話 デスネーム

 冷酷にもアンブレード卿はアオハルを薄白い十字の血界に閉じ込めてしまった。しかも僕の切断された左腕ごとである。

 ボタボタと左肩から血を垂れ流す僕に、アンブレード卿は白黒モノクロの瞳を向ける。


「汝はもう詰んでいる」

「僕はまだ……やれる」

「往生際が悪い。もう終わりだ」


 アンブレード卿は確信的に言った。


「なぜなら吾輩は汝のフルネームを知っているのだから」

「……【万有五感】か」


 アンブレード卿の【デスネーム】に加えて、もうひとつの血能。

 吸血した生き物と五感を共有する。

 つまりその辺のニャッコウの血でも吸って偵察させておいたのだろう。ニャッコウと五感を共有した際に、僕の名前を盗み聞きしていても不思議ではない。

 しかし、アンブレード卿の答えは違った。

 そして僕はアンブレード卿から衝撃の告白を聞くことになる。


「それは汝が――吾輩の息子ゆえに」

「はあ……?」


 僕は一瞬、言葉の意味がわからなかった。


「……な、何を言っているんだ」

「嘘だと思うかね?」

「嘘も何も……」


 僕の両親は吸血鬼警察で現在は本部に転勤したばかりだ。


「汝は両親と血液型は違うであろう?」

「両親の血液型なんて……」


 僕は知らない。

 でも、ふたりがあえて僕に教えていなかったとしたら……。


「Rh‐nullVV」


 ドキリと僕の心臓が痛む。


「それが汝の血液型であろう?」


 確信的に言うアンブレード卿。

 なぜか僕は追い詰められている気分になった。

 強がるように言い返す。


「くだらない。血液型占いくらいくだらないよ」


 しかし僕の反論に構わず、アンブレード卿は無慈悲に続ける。


「汝の左首筋にある吸血痕」


 僕は左首筋のふたつの穴に右手で軽く触れた。


「何を隠そう、それを残したのが吾輩ゆえ。そして吾輩は汝と五感を共有したのである。つまり汝が生まれてから何を感じて生きてきたのか、吾輩はすべて知っている」


 つまり転生してからの僕の人生をずっとアンブレード卿は監視していたってことか。

 シンプルに気持ちが悪い。

 アンブレード卿の血が僕の中に流れていることでさえ信じられないのに……。

 加えてこの鬼の過保護っぷり。乳母日傘。あまりの毒親ぶりに吐き気がする。


「考えてもみよ。汝が並みの吸血鬼ならば、この戦でまず生き残れなかったであろう?」

「それは……」

「吾輩に従え。我が愛しの息子サンよ」


 アンブレード卿は魅惑的な声で言った。

 一転、声の調子を落とす。


「さもなくば、吾輩が汝の名を呼ぶぞ?」

 

 事実なのかもしれない。

 真実なのかもしれない。

 僕の第二の人生がすべてアンブレード卿の手のひらの上だったのかもしれない。

 それでも僕の両親はグレーウォーカー夫妻だけだ。

 新しい世界で無償の愛をくれた掛け替えのないふたりだ。

 それをこんなポッと出の父親と名乗る人物から息子だと言われて「はいそうですか」などと、信じてたまるものか。


「呼べるものなら呼んでみろ」


 僕は挑発するように言った。

 だいたい自分の子供の名前も呼べないような親がどこにいる?


「だめ、ソラシオ!」


 とそこで、アオハルは血界の中でスーパーボールのように飛び跳ねた。しかし、アンブレード卿が十字傘で、左手に載せた血界を小突く。すると血界内の音がパッと消えた。

 アオハルはパクパクと口を開けて何かを訴え続けていたが、僕の耳には届かない。


「そこでおとなしくしておけ。ゴッドスライムの心の臓よ」


 アンブレード卿は気を取り直して僕を見つめた。


「そうでなくては吾輩の息子ではないゆえ」


 アンブレード卿のスライム仮面が波打つ。

 まるで口角が吊り上がっているように見えた。

 そして僕の名前を呼ぶ。



「汝の名は、ソラシオ・グレーウォーカー」



「――ッ!」


 突如、この世のすべての苦しみを詰め込んだような痛みが僕の全身を襲った。

 発熱、吐き気、鼻血、腹痛、座骨神経痛、痛風、尿管結石、痔、打撲、粉砕骨折、眼球破裂、脳梗塞、くも膜下出血、虫歯、癌、心臓発作。

 ありとあらゆる種類の痛みが僕を壊す。体中に血の手形のような痣が浮かびあがった。しかも、老若男女の手形サイズである。まるで血の紅葉だ。


 これが【デスネーム】。

 死の名前。

 逃れられない死。死。死。


 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死タヒ死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死。



 僕は絶対絶命する。

 そうか。

 やっと理解した。


 僕はここで死ぬのか。また。


 これで何度目だ。

 吸血鬼の不死性のせいでややこしいけど、ちゃんと死ぬのはこれで二度目か。

 血の手形が白血病時代の紫斑みたいだ。懐かしい。

 でも次こそはもう生まれてこなくていいよね。

 これで僕は本当に死ぬんだから。

 心残りがあるとすれば、友達100人作りたかったなぁ。恋人はひとりでいい。

 ここに来て僕はこの異世界で出会ったいろんな人の顔を思い出す。

 父、母、サエ、アオハル、アリスメリー、ルノ、オニトマト校長。

 みんなにまた会いたい。

 僕はけっこう人が好きだったんだな。

 そんな僕とも今日でお別れだ。

 さようなら……僕。

 ――って、あれ? 


 そもそも僕って誰だっけ?


 もうそんなこともわからなくなっちゃったみたい。

 僕の意味。

 僕は僕で僕が僕。

 あーそうそう、僕はソラシオだった。

 僕の名前はソラシオに決まってる。

 それ以外考えられない。


 いや、違う。


 僕には……本当の名前があったはずだ。


 何だったっけ?


 思い出せない。


 でもまあ、もういいか。

 どうせ死ぬんだから。

 名前を思い出したところで何になるっていうんだ。

 本当は一度死んだら終わりなんだし。往生際悪すぎるんだよ。

 ほんとう。

 本来、僕には関係のない異世界じゃないか。

 だから、これでいいんだ……これで。


『おーい。あきらめるのかい?』


 突如、暗闇のなかでそんな脳天気な声が聞こえた。

 きみは誰?


『わかってるはずだよ。僕はきみで、きみは僕――だろ?』


 あーそういうこと……。きみは前世の僕か。


『もちろん』


 要するに、前世の自分と現世の自分が僕の中でせめぎ合っているというわけだ。

 僕は僕を責める。


『いつも、きみは……僕はそうやって諦めて。言い訳して。誰かのせいにして。逃げて』


 わかってるよ。

 でも、しょうがないじゃないか。

 僕にはどうする事もできないんだから。


『はっ! 今を生きているこの世界で頑張れなかったら、どこの世界に行っても、何度転生しても同じことの繰り返しなんじゃないのかい?』


 僕だってわかってるよ。


『だいたい異世界に転生するなんて運がいいにもほどがあるだろ。そんなこと二度もないぞ、普通。まったくもってきみの人生は大吉だね』


 だから、そんなこと僕が一番わかってるって!


 って……あれ?


 だい、きち……? 

 大吉?

 大吉大吉大吉。

 大吉って、あれだよな。

 おみくじでもっとも位が高いという。 

 死んでばかりの僕とはほど遠いもののはず……。

 それなのに前世の僕はなんで自分が大吉だなんて思ったんだ?

 せめて最後くらいはそう思いたかったのか。

 でも、どうしたことだろう。なんだか聞き覚えがある。耳馴染みがいい。妙にしっくりくる。

 暗闇のなかでそれだけは輝いて見えるもの。

 数多の言葉の流れのなかで自分にとって唯一特別なもの。

 そうだ。思い出した。

 この異世界にも長いこといたから本当の名前を忘れかけていた。



 僕は、吉野ヶ里大吉だ。



 すると目の前の暗闇がパッと晴れる。そのずっと向こうで、ベッドの上に横たわっている人物が見えた。その人物は病院服の襟をかき合わせて上半身を起こす。緩慢な動作で右手を挙げてから口を動かす。


『おおきに』


 その次の瞬間、僕は前世ぶりに、まともに呼吸をした気持ちになった。


「――ガッ! ハァッ……ハァハァ……スゥ!」


 心臓が再稼働した。

 僕の胸のなかで熱く動いている。サーッと全身の血がめぐる。

 体中の血の手形の痣が徐々に薄くなって消えた。

 僕が僕の中に戻ってきた。

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