藤野美知子の関西旅行(大阪万博EXPO’70に行く)

変形P

プロローグ

昭和四十四年四月、私、藤野美知子は秋花しゅうか女子短大英語学科に入学した。


そこで仲良くなったのが同じ英語学科の同級生の丹下佳奈たんげかなさんと嶋田芽以しまだめいさんだ。


東北や横浜に旅行した夏休みが終わって(『一色千代子の事件録』第5章参照)、後期の講義が始まってまもないある日、私たちの間で来年大阪で開催される日本万国博覧会EXPO’70(通称大阪万博)が話題になった。


「来年の春休みにでも私の家に来ない?一緒に万博を見に行きましょうよ」と佳奈さんが誘ってきた。


佳奈さんの実家は大阪府豊中市にあるそうだ。泊めてもらえるなら旅館代が浮くことになる。


佳奈さんはさらに雑誌の記事を広げて大阪万博のことをいろいろと教えてくれた。


「大阪のどこに会場を作ってるの?」と聞く芽以さん。


「吹田市ってところ」


「家から歩いて行けるの?」


「さすがにそこまで近くはないわ。万国博覧会の開催までに電車の駅が会場前にできるみたいだから電車を乗り継いでも行けるし、当然バスも走るでしょうね」


「万国博覧会って、何を博覧するの?最新の科学技術で作ったものなの?」


「そうねえ。・・・詳しいことはまだよくわからないけど、世界中の国がパビリオンという建物を作って、中に各国の特徴ある展示物を置くみたい。もちろん日本政府も、日本の有名企業もパビリオンを作るみたいよ」


「確か、『太陽の塔』というのが作られるのよね?」と私も口を出した。


「そう、そう。万国博覧会会場の中央にある『お祭広場』ってところに建てられるみたい」


「塔?東京タワーみたいなのかしら?」と聞く芽以さん。


「違うわよ。芸術家の岡本太郎が作る芸術作品よ。とても巨大な」と私は言った。


「岡本太郎?・・・知ってる?」と佳奈さんに聞く芽以さん。


「聞いたことがないわ。有名な人なの?」と私に聞く佳奈さん。


「私もよく知らないけど、世界的に有名な芸術家らしいわよ」


「どんな芸術作品なの、太陽の塔って?」と芽以さんが佳奈さんに聞いた。


佳奈さんは雑誌の特集ページを開いて、概要図を見せてくれた。


「何?・・・この変なの」というのが芽以さんの太陽の塔に対する最初の感想だった。大多数の人の素直な感想だろうと私も思う。


「左右に両手が伸びて、怪獣みたい」と芽以さんの酷評が続く。


「特に胴体の真ん中にある変な顔!」・・・確かに独特な、左右不対象な顔だけど、岡本太郎の象徴的な芸術作品なのだろう。


「この太陽の塔には四つの顔がついているらしいわ」と記事を読む佳奈さん。


「この中央の変な顔が『太陽の顔』、てっぺんについているパラボラアンテナみたいなのが『黄金の顔』、そして背中に黒い太陽の顔が描かれるんだって。それぞれが現在、未来、過去を表しているという話よ」


「顔がたくさんあるなんて、ますます怪獣ね。・・・四つ目の顔は?」


「書いてないのでよくわからないわ。どこか別のところに展示されるのかな?」


「塔の中にも入れるの?」と私は佳奈さんに聞いた。


「入れそうね。『生命の樹』という生物の進化を表す展示物が作られるみたい」


「ほかにはどんな建物・・・パビリオンがあるの?」と聞く芽以さん。


「たくさんあるけれど、やっぱり目玉なのがアメリカ館ね。七月に月面着陸が話題になったアポロ宇宙船の月着陸船が展示されるみたい」


「本物なの?」と聞き返す芽以さん。


「本物みたいだけど、アポロ十一号の月着陸船は地球に戻って来てないから、使っていない実物ってことなんじゃないの?」


「その後のアポロ計画で使われる予定のものかもね」と私も言った。


「ひょっとしたら月の石も展示されるかもしれないわ」と佳奈さん。


「月の石?・・・どんなのかしら?満月のように、銀色に光り輝く石かしら?」とうっとりした目をしてつぶやく芽以さん。


月の石はそんなキラキラしたものではないと思うが、私もあまりよく知らない。


「アメリカ館以外に注目されているパビリオンはあるの?」


「当然見ておかなくてはならないのが日本館ね。詳細はまだわからないけど、日本の昔と今と未来がテーマだそうよ」


「そのほかには?」


「国別だとやはりソ連館でしょうね。展示物の詳細はこちらも不明だけど、おそらくアメリカに対抗して宇宙開発関連の展示があるのでしょうね」


ソ連ことソビエト連邦はアメリカに先んじて人工衛星を打ち上げたり、有人宇宙飛行を行ったりしてアメリカに対抗していた。まだ月には行ってないようだけど。


「ほかには?」


「国別だと、今の時点ではその程度しかわからないわ。日本の有名企業のパビリオンだと・・・」と佳奈さんが話し始めたときに先生が講義室に入って来た。


「講義が始まるわ。続きはお昼休みにね」


午前の講義が終わって昼休みになり、私は佳奈さんや芽以さんと一緒に学生食堂に移動した。定食を頼んでテーブルに着くと、すぐに佳奈さんが話し始めた。もちろん万博の話題だ。


「企業のパビリオンで注目度が高いのは三菱未来館ね」


「目玉の展示が何かわかっているの?」と私は聞いた。


「ええ。通路上の空中に巨大なサメの映像が映し出されて、観客を襲ってくるそうよ」


「空中に?」私は意味がよくわからなくて聞き返した。


「そうよ。何もない空中・・・それも私たちの身長ぐらいの高さに映像が映し出されるらしいわ」


「どうやったらそんなことができるの?」と芽以さんが佳奈さんに聞いた。


「空中に煙のスクリーンを張って、そこに映像を映し出すらしいの」


「その煙のスクリーンに人の体が当たったらどうなるの?」


「すり抜けるだけなんじゃない?」


ほんとうにそんな技術があったらすごいなと思う。おもしろそうだ。


「ほかには?」


「エキスポランドっていう遊園地が作られるそうだけど、まだあまり情報がなくて、詳しいことはわからないわ」


「話を聞けば聞くほど万国博覧会に行ってみたくなるわ」と芽以さんが興奮ぎみに言った。


「だから芽以も美知子さんも、春休みにでも私の家に泊まりに来てね。一緒に万国博覧会を見物しましょうよ!」


「いいわね!でも、一日で全部を見て回るのは難しそうね」


「そうね。めぼしいパビリオンを見て回るだけでも二、三日はかかるでしょうね」


そのような話をしてから時が過ぎ、年が明けて昭和四十五年になった。


秋花しゅうか女子短大では一月五日(月)から講義が始まり、一月中に講義と試験が終わる。


二月七日(土)に入学試験があるが、関係のない在学生は、追再試や補講がなければ二月から三月にかけて春休みとなる。その時に佳奈さんの実家に行って、大阪万博を観に行こうという話を具体的に検討し始めた。


「万博は三月十五日から始まるから、十五日に二人で大阪に来てもらうということでいいかしら?」と佳奈さんが聞いてきた。


「万博が始まる日に大阪に行って、そのまま会場に行くの?」と聞き返す芽以さん。


「そうじゃないの。大阪に来た日に万博に行っても、半日もいられないじゃない」と佳奈さん。


「つまり、万博に行く日は早くて十六日になるのね?」と私は聞いた。


「そう。十五日は初日だし、日曜日だから来場者がとても多いでしょうね。その点十六日は月曜日だし、小中高はまだ春休みになっていないはずだから、少しは会場がすいていると思うの」


「なるほど。いい考えね」と芽以さんが感心した。


「三月十四日には開会式があるらしいけど、招待客しか入れないから私たちには関係ないわね。でも、テレビ放送があるみたいだから、それを観て気分を高めてね」


「オリンピック並のお祭なのねえ」と感無量な私。


「私は先に大阪に帰っているから、十五日になったら二人で新幹線で来て」


「そうか。行きは私と芽以さんの二人か」と私はつぶやいた。大阪が地元の佳奈さんが一緒でないので一抹の不安を覚える。


「二人で新幹線に乗れるかしら?」と芽以さんも不安を口にした。


「大丈夫、大丈夫」と根拠なく保証する佳奈さん。


「新幹線の運賃っていくらなの?」と私はもうひとつの心配事を佳奈さんに聞いた。


「えっと・・・ちょっと待ってね」手帳を取り出す佳奈さん。


「超特急ひかり号の普通車が、運賃二千二百三十円と特急料金千九百円で、合計四千百三十円ね。特急こだま号の普通車だと、特急料金が千五百円だから、合計三千七百三十円ね。これは指定席の料金で、自由席だと百円引きの三千六百三十円よ。そしてグリーン車がそれぞれに二千円足して・・・」


「あ、待って。グリーン車には乗る気ないから」と私はあわてて止めた。


「ひかり号とこだま号ってどう違うの?」と聞く芽以さん。


「ひかり号は停まる駅が少なくて、新大阪まで四時間で着くわ。こだま号は各駅停車だから五時間かかるわね」


「一時間しか違わないなら、こだま号の自由席にしようか?」と私は芽以さんに聞いた。数百円の差でも馬鹿にできない額だ。


「私はそれでいいわよ。指定席だと指定された列車にしか乗れないんでしょ?発車時刻に遅れたら大変だから、自由に乗れる方がいいわ」と芽以さんが言ってくれた。


「それで、新大阪駅に着いたらどうするの?」と私は佳奈さんに聞いた。


「私の家に電話して。そうしたらすぐに迎えに行くわ」


「佳奈さんの家は新大阪駅から近いの?」と聞く芽以さん。


「新大阪駅からだと在来線で梅田に出て、阪急電車に乗り換えるから、・・・急いでも三十分以上かかるわね。その間、どこかで待っていてよ」(作者註、阪急電鉄の昭和四十五年当時の正式な社名は京阪神急行電鉄だが、公式の略称は阪急だった)


「わかったわ。その時はよろしくね」と私たちは佳奈さんに言った。


大阪旅行のスケジュールを整理すると、三月十五日(日)に新幹線で新大阪駅に着き、佳奈さんの家にお邪魔する。十六日(月)と十七日(火)は朝から万博会場に行く。


東京に帰るのは三月二十一日(土)の予定で、十八〜二十日はその日の気分次第で京阪神を観光する予定だ。


「万博ではどのパビリオンから見に行くか、今から計画しておきましょうね」


「佳奈さんから聞いた三菱未来館と、月の石が展示されているアメリカ館は外せないわね」と芽以さん。


「ところで入場料はいくらなの?」


「私たちなら確かひとり六百円よ。パビリオンに入るのは無料ただだけど。・・・そうそう、私の家から万博会場まで電車に乗ると九十円かかるわよ」


百円単位ではあるが、どんどんとお金が出て行くようだ。


「電車?国鉄なの?」


「阪急電車よ。万博会場の西口ゲート前に臨時駅が作られたそうだから、駅から降りてすぐに会場に入れるわ」


「西口から入るのね。どこが近いのかしら?」と私が聞き、佳奈さんが持って来ていた万博会場の地図を見ながら三人であれこれと相談した。


「万博に行かない日はどうするの?」と聞く芽以さん。


「宝塚歌劇にでも行ってみようか?」と佳奈さん。


「いいわね」と芽以さんが答えた。まだまだお金がかかりそうだ。


「佳奈さんの家からなら比較的近いのね」


「宝塚歌劇を見るためにはまず宝塚ファミリーランドという遊園地に入園しないといけないの。それだけでお金がかかるから、どうせなら遊園地でも遊びたいわね」と佳奈さんが答えた。


こうして春休みのおおまかな予定が立った。短大の試験を落として予定が狂わないように、しばらくは勉強に専念しよう。

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