第10話 協力者

「なんか、疲れてない?」

「ちょっと外を走ってきたもので……」


 未だかつてない全力疾走で部屋に帰りつき、息と髪を整えてからスノウ様を起こしたのだが、さすがにバレた。ぼーっとしているように見えて、意外と人をよく見ていらっしゃる。




 夕食は班ごとにテーブルにつき、テーブルマナーを勉強しながら食べるコース料理だ。ミーシア嬢、スノウ様はさすがの品の良さで、二人が向かい合って食事しているだけで絵になる。僕も二人には劣るものの、手順を思い出しながら丁寧に食べることを心がけた。


 しかし心配なのはジュリだ。一応予習はしているはずなのだが、知識としては持っていても経験が乏しいのは否めない。しかも、毎回メニューが違うのでいつも教科書どおりとはいかない。加えて隣では、先ほど為政者の素質を見せつけていた公爵令嬢が背筋を伸ばして完璧な所作を披露している。緊張するのは当たり前だ。


 案の定、ジュリはナイフとフォークを持っておろおろと目を泳がせた後、僕を見た。他の生徒の真似をすればいいと思いついたようだ。正面の僕を見るのが一番わかりやすくて視線を動かさずに済むのは間違いないので、僭越ながらお手本になれるよう頑張ることにする。目を合わせて微笑んでから少しゆっくり手を動かすと、ほっとした表情で真似し始めた。


 するとその様子を見ていたスノウ様がぽつりと言った。


「練習なんだから、失敗してもいいんだよ」

「僕もそう思います」


 さすが、良いことを仰る。腰巾着らしく即座に追従することを忘れない。


「そうね。わからないことがあったら遠慮せずに聞いてちょうだい」


 ミーシア嬢も外面、もとい優しい淑女の姿を取り戻し、柔らかく微笑んだ。


「せっかくシェフが私たちのことを考えて作ってくれたんですもの。味わって食べるのが一番よ。それに食事会は会話も重要なんだから、楽しく過ごしましょう」

「はい!」


 おかげで少し緊張がほぐれたようで、ジュリはようやく料理の味がわかったような顔をして幸せそうに食べ始めた。

 先に怖いところばかり見ているせいでどうしても身構えてしまうが、ミーシア嬢は公爵家の人間としての振る舞いをしっかりと行っていて、敵対者に厳しいだけなのだ。──なぜか僕も敵対者だと思われている点については今後誤解を解いていきたい。




 和やかな雰囲気で夕食をとった後、部屋に戻ろうとしたらジュリが声をかけてきた。


「ハイドくん。ちょっといいですか?」

「何?」


 一緒にスノウ様も立ち止まったのを見て慌てているところを見ると、どうやら人には聞かれたくない話のようだ。


 ミーシア嬢はといえば、例の三人組を抜いた取り巻きに纏わりつかれながらぞろぞろと歩いていくのが見えた。既に噂は回っているようだが、せめて班行動でない時間だけでもそばにいようという魂胆らしい。


 そんな姿を確認してから、僕も自分が仕える相手を見る。


「スノウ様、申し訳ございません。先に戻っていていただけますか?」


 すると一瞬不安そうに瞳が揺れた。もしかしてこのお方、まだ部屋までの道のりを覚えていらっしゃらない。いくらこの建物が広いとはいえ、思ったより深刻な方向音痴かもしれない。


「他の生徒も行き先は一緒ですから。僕もすぐに戻ります」


 ねっ、と部屋の鍵を握らせると、スノウ様は小さく頷いて離れていった。僕とジュリも食事会場を出て、人気の少ない隅の方に移動する。


「ごめんなさい、帰るところを邪魔してしまって」

「大丈夫。それで、どうしたの?」

「さっきはテーブルマナーを教えてくれてありがとうございます。助かりました」


 深々と頭を下げられた。


「大したことはしてないよ。どういたしまして」


 穏やかに食事を進められたのは、どちらかというとスノウ様のおかげだ。


「それをわざわざ言いに来てくれたの?」

「えと、それだけじゃないんです」


 あわあわと手を振るジュリは、どう言い出したものか迷う素振りを見せた後、口元に手を添えてひそひそと訊ねた。


「外階段で助けてくれたの、ハイドくんですよね?」

「えっ」


 バレた。いや、むしろこんな簡単な変装なのに目の前にいても気付かないミーシア嬢の方がおかしいのだ。


「ええと……」


 同時に、気付かれていないと思って思いきり格好つけたことが今更恥ずかしくなってきた。どんな言い訳をしてもどんどん格好悪くなる気がする。何が『ごきげんよう』だ。


「大丈夫! ハイドくんが私のせいで罰を受けることになるのは嫌ですし、誰にも言いません!」


 ジュリの健気なフォローが心苦しい。バレてしまったものは仕方がないが、ミーシア嬢にはまだ気付かれていないのなら今後に活かそう。


「……いつ気付いたの?」

「私のこと、名前で呼びましたよね?」

「あぁー……」


 やっぱり第一印象が大事だった。彼女はほとんどの場合『特待生』と呼ばれていて、名前で呼ぶ生徒は少ない。だというのに初対面の男がいきなり名前を呼び捨てにしたら気にもなる。しかも慌てていてミーシア嬢が来るまで声も作っていなかったので、普段の僕が呼ぶのと同じ声だ。反省点が山盛りだった。冷静さを欠いたのが何より良くなかった。


「あと、胸ポケットの眼鏡が見えて……」


 抱き留めた時か。これからは内ポケットに仕舞おう。


「助けてくれてありがとうございます。さっきは言いそびれたので、お礼が言いたくて」


 ジュリがいい子でよかった。恥ずかしさからようやく立ち直ってきたところで今度は照れてしまい、頭を掻く。


「別に、友達が困ってたら助けるのは当然でしょ?」


 するとジュリはきょとんと目を丸くした後、一瞬遅れてはにかんだ。


「そうですね。ハイドくんも、私にできることがあったら言ってください。……理由はわからないけど、ミーシア様にバレると困るみたいですし」

「助かるよ……」

「あの大げさな演技、かっこよかったですよ」

「言わないで……」


 こうして、僕は小さな心の傷と引き換えに協力者を得たのだった。

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