鬼姫様は籠の中。

夕藤さわな

第一話

 青く澄んだ空が広がっている。梅雨明けの眩しいほどに晴れた空だ。スズメだろうか。小鳥たちがさえずっている。


「何、これ? 嫌味!?」


 そんなのどかな空気を切り裂いたのは少女の金切り声だった。小鳥たちは鳴くのをやめると逃げるように飛び去って行った。

 十五才になる少女がキッ! と目をつり上げて睨み付けるのは幼馴染の少年だ。いや、十八才になるのだから青年と言った方がいいだろうか。

 差し出した竹製の鳥籠をはたき落として睨む少女――三姫さんひめを見つめて、青年――鬼童丸きどうまるは困り顔になった。


 ここは花籠の国――。

 四方を山に囲まれ、その山に季節ごとに美しい花が咲くことからその名が付けられたとされている。

 国の名のせいか、花が身近だからか。四季折々の挨拶やお礼、祝い事に花を模した宝石や菓子などを籠に入れた〝花籠〟を贈る風習がある。

 鬼童丸が三姫に差し出したのも〝花籠〟。鬢削びんそぎの儀を祝う花籠だ。


 鬼童丸が背にして立つ池には何艘なんそうもの船が浮かんでいる。舳先へさき龍頭りゅうとうげき――に似た鳥が飾られた絢爛豪華な船が池に浮かぶのは四季折々に行われる宴や節目節目の儀式の時。藤野とうの家、中原家に次ぐ名門貴族の桔梗ききょう家では今日、鬢削ぎの儀が盛大に行われようとしていた。


 主役はいつも以上に上等な布と糸で作られた十二単姿の三姫。桔梗家現当主の三番目にして末の姫である三姫こそが今日の主役だ。

 鬢削ぎの儀は女性にとっての元服、成人の儀式だ。後ろ髪と同じ長さだった前髪を切って子供から大人の女性になるのだ。つまり今日、これから、三姫は大人の女性になるための儀式に臨むのだ。

 だと言うのに、だ。


「きい丸は知っていたのでしょう? お父様や伊勢いせから聞いていたのでしょう? 鬢削ぎの儀が終わったら私が嫁ぐこと! それなのに花籠こんなものを持ってくるなんて嫌味? 嫌味なんでしょ!?」


 庭から屋敷に上がるための五段のきざはしの一番上に立った三姫は幼い子供みたいに地団駄を踏んでいる。庭へと転がり落ちてしまった贈り物の花籠を拾い上げ、鬼童丸は顔を真っ赤にして怒る三姫を困り顔で見上げた。


「誰かから聞いたわけではありませんが……ただ、桔梗家の姫ともなれば鬢削ぎの儀のあとには裳着もぎの儀が、その後には婚礼の儀があるものと想像は……」


「悪かったわね! 当たり前の想像もできないバカで!」


 鬼の形相で怒鳴る三姫に鬼童丸は首をすくめて口をつぐんだ。


 幼馴染の少女が頭に血が昇りやすいたちなことも、怒鳴るだけ怒鳴って、言いたいことを言いたいだけ言い終えるまで口を挟む隙がないこともわかっている。疲れて肩で息をし始めた頃に誤解であることを伝え、誤解させたことを謝罪すれば、そこからは気まずそうに唇を尖らせながらもちゃんと話を聞いてくれることもよくわかっている。

 だから、その時機を黙って待つつもりだったのだが――。


「誰のせいで入りたくもない〝花籠〟に入る羽目になると思ってるのよ! きい丸がいつまでもそんな髪、してるからでしょ!」


 三姫に自身のみずら髪を指さされて鬼童丸の顔から表情が消えた。


 左右に分けた髪を耳の上あたりで結い、輪を作って組み紐で結んだ髪型は元服前の男の子がするもの。本来、十八才になる青年がする髪型ではない。

 でも、仕方がないのだ。

 元服にはお金がかかる。鬼童丸は貧乏貴族の四男坊で上にも下にも兄弟が三人ずついる。男ばかり七人兄弟だ。

 どうにかこうにか次男までは元服させたものの、それ以上、ない袖を振ることはできない。下の弟たちも食べさせないといけない。三男は貴族として元服することを諦め、無位となり、従者として貴族に仕えることになった。


 でも、鬼童丸はいまだにみずら髪姿のまま。


 それを自分よりも遥かに家柄が上の年下の幼馴染に指摘され、鬼童丸は虚ろな目で下を向いた。

 でも――。


「入りたくて、会ったこともない人の〝花籠〟なんかに入るわけじゃない! きい丸がもっと高い身分の家の子だったら……せめて、そんな子供みたいな髪型やめて成人してたら……! ううん、そんなのだってどうでもいい! きい丸に私をさらうくらいの度胸があれば……!」


「私が、三姫様を……攫う?」


 鬼童丸はゆっくりと顔を上げると怒鳴り散らして肩で息をしている三姫を見上げた。


「そんな度胸があったとしたら? あったとしたら、なんだと言うのですか……?」


「……っ」


 いつもは穏やかに、微笑んでいるかのように垂れた目が鋭く自身を射抜くのを見て三姫はたじろいだ。

 三姫の表情を見てか、何か考え込んでいるのか。鬼童丸は口元を手でおおって目を伏せると黙り込んでしまった。

 三姫にとっては気まずい沈黙がしばらく続いたあと――。


「また、来ます」


 鬼童丸は階の一段目に花籠を置くと三姫を見もせずにきびすを返して庭を出ていってしまった。


「……なによ」


 鬼童丸が去っていくのを呆然と見送った三姫だったが、そのうちに拗ねたように唇を尖らせた。着慣れない十二単をさばきながら一段、二段と階を下り、一番下の段に鬼童丸が置いていった花籠を抱えあげた。


 竹でできた鳥籠の中には百合の花が入っていた。

 綺麗に洗濯されてはいるけれどくたびれた白の手拭いで折られた花だ。鬼童丸が持っている手拭いの中では一番、上等な生地の物を選んだのだろう。

 土がついて少し汚れてしまっている。三姫は鳥籠のすき間から指を差し込んで土を払った。


 色のせた水干すいかんにみずら髪姿という年令不相応な格好をした幼馴染。三姫が物心つく前からの付き合いの幼馴染。喧嘩けんかをしたことも怒らせたことも何度もある。いつもは穏やかに微笑んでいる幼馴染が怖い顔をするのも何度も見たことがある。

 だけど、今日見た表情はこれまで見た怖い顔とは違っていた。何が、かはわからない。でも、何かが違っていた。あんな表情の幼馴染を三姫は初めて見た。

 幼馴染が見せた初めての表情に、視線に、低い声に、心臓が痛いほどに跳ねている。この先もずっと続くと思っていた心地良い〝当たり前〟が変わっていく。崩れていく。不安で胸がざわざわする。

 三姫は鬼童丸が置いていった花籠を抱きしめるとぎゅっと目をつむったのだった。

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