第6話 『断じて違う! あれは事故なのだ! そしてあれも事故なのだ!』

 1984年(昭和59年)9月3日(月)


『断じて違う! あれは事故なのだ! そしてあれも事故なのだ!』


 51脳のオレはそう理解して割り切っているのだが、11脳のオレはその両手に残る感触と、網膜に焼き付いた光景を、五感をフル動員して思い出さずにはいられない。


 そしてやっぱり……してしまった。


 まあこれ、悲しいかな、11歳の健全な体なのよね。


 それはともかく、2日経ったとはいえ、どんな顔して2人と会えばいいんだ? とりあえず、純美あやみの方は面と向かって謝ったし、本人も許してくれた……と、思う。


 だからひとまずは安心だ。


 それに純美のケースは、絶対にないとは言えない。もしかすると全国の男子学生に匿名でアンケートをとったら、何人かは(何人?)YESと答えるかもしれない。


 第一に、服は着ている。第二に、ぶつかるなんて事は往々にしてある。オレも実際にあった。第三のむにゅ。これは確率はかなり下がるが、あぶないって思った瞬間に手が出る……というのはあり得る。


 可能性は低いとしてもね。


 問題は美咲だ。あれはもう、どうしようもない。弁解のしようがないというか、事故でしかないのだが、こんな状況ってあり得るのか? ?


 まず、女の裸を見るシチュエーションっていうのは限定される。


 もちろん、相手が彼女の場合は相応の年齢ならある。

 

 それから相応の年齢でそういう店に行けば、ある。しかし彼女でもなく、大人でもない小学生があり得るシチュエーションなんて、なんだ?


 ……更衣室をのぞく事くらいしか、ないじゃないか。


 しかも見つかれば罵倒をあびせられ、袋だたきに(?)される。


 たまたま帰り道を変えて、たまたまそこに美咲の家があって(知っていたとしても)、たまたま入浴中で、たまたま窓を開けて、そしてたまたまオレと目が合って、その……それを目撃された。


 どんだけたまたまだよ!





 教室に入ると、純美と目が合った。彼女は少しほおを赤らめて微笑んだが、すぐに友達と話し始めた。普段と変わらない様子に少し安心する。(セーフ!)


「ん? どうしたの純美? 悠真となんかあった?」


「え? なんで? なんにもないよ。なんで悠真なんかと……」


「ふうん……。あ、ねえねえこれどう? 似合うかなあ……」


 なんだか雑紙のようなものを見て、自分に似合うかどうか、どれがいいかなんていう他愛もない会話。うん。セーフだ。


 美咲の席に目をやると、ノートに何かを必死に書き込んでいた。顔を上げる気配はない。オレの心臓の鼓動が速くなる。どう接すればいいのか。頭の中で言葉を探すが、どれも適切とは思えない。


 やっべーな。学級委員だから、絶対1日に1回は会話するし、同じ時間を過ごさなきゃならない。


 まてまてまて……。オレの転生人生3か月目にして、フラグたってる? 計画通りに残りの小学生の期間をすごして中学へ行き、そして計画通りに3年間を過ごす予定が、まずくねえか?


「おはよう」


 結局、いつも通りの挨拶をすることにした。挨拶をせずに無視するのはどう考えてもおかしいし、それに、相手に失礼だ。これしか方法がない。


 美咲はビクッと体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。たまたま友達は近くにいなくて、1人だ。


「お、おはよう……」


 かすかな声で返事をする美咲。目が合った瞬間、2人とも顔を真っ赤にして視線をそらした。自分の顔だからよくわかる。気まずい空気が2人の間に漂う。


 美咲は慌てて再びノートに目を落とし、ペンを走らせ始めた。その手の動きが少し震えているのがわかる。


 



 朝のホームルームが始まり、担任の先生が少し遅れて入ってきた。


「みんなおはよう。来週の修学旅行のしおりができたんだけど……」


 先生の言葉に、教室全体がざわめく。悠真と美咲は同時に顔を上げる。目が合った瞬間に、すぐに逸らす。


「学級委員の悠真くんと美咲さん、ホームルームを始める前に、そう、あと10分くらいしたら、ちょっと職員室に来てくれる? しおりを取りに来てほしいんだ」


 オレたち2人は小さくうなずく。


 -10分後。


 クラスメイトは男も女も修学旅行の話題で盛り上がっているが、職員室へ向かう廊下では、オレと美咲の間に不思議な静けさが漂い、足音だけが妙に大きく響く。


 美咲は下を向いたまま歩いている。オレは必死に前を見つめる。でも、横にいる美咲の存在が気になって仕方がない。体の半分の全神経で美咲の動きを観察しているのだ。


 左耳、左目、左半身全てのレーダーが美咲をむいている。


「あの……」


 突然、美咲の小さな声が聞こえた。思わず横を見ると、顔が真っ赤だ。


「あの……土曜日、みた……よね?」


 震える声。オレは言葉を失い、心臓がバクバクいってる。


「うん、あの……見た、けど、えっと……何も見てない。……いや、嘘。でもわざとじゃないんだ」


 雨の日の事故じゃない。全員が経験したことではなく、オレは見て、美咲は見られたのだ。例えわざとではなく、事故だとしても、謝るべきは謝らなくてはならない。


「あのね……。私、お父さん以外の男の人に、その……見られたのは、はじめてなの」


「う……うん。だから、ごめん。本当にごめん」


 オレはもう一度謝った。


「その……だから、あの……悠真が、初めての人」


 ん? 何を言っているんだ? おい! ここだけ切り取って聞いたら誤解を招く発言だぞ! と51脳のオレは冷静に叫ぶが、11脳のオレはそれどころではない。


 美咲の言葉に、頭の中が真っ白になる。11脳が暴走しそうになるのを、51脳が必死に抑え込む。冷静に、冷静に。それでも心臓の鼓動が収まらない。


「そ、そうか……」


 やっと絞り出した言葉は情けないほど小さかったが、美咲はオレの反応を待っているようだ。目を合わせられず、廊下の窓から見える校庭に目をやる。


「美咲、オレ……」


 何を言おうとしていたのか、自分でもわからない。そのとき、目の前に職員室のドアが現われた。



 


「はいこれ。先生も持つから、2人で半分こにして持っていってね」


 修学旅行のしおりを半分に分けて持ち、美咲と一緒に教室に戻る。


 クラスメイトたちに配る間、互いに目を合わせないよう気をつけた。授業中、美咲の後ろ姿を見つめながら、さっきの会話が頭から離れない。集中できずに1日が過ぎていく。


 放課後のチャイムが鳴り、教室がざわめく。バレー部の美咲と純美は急いで支度を始める。

 

「悠~真~。今日も一緒に帰る?」

 

 純美が声をかけてきた。その瞬間、美咲がこちらをチラッと見た気がした。


(今日も? 一緒に帰る?)

 

「あー、……今日はちょっと用事があって早く帰らないといけないんだ」

 

 とっさについた嘘だったが、もちろん気が引けた。だけど、今の状況では仕方ない。直感で51脳も11脳も、平等にしなくちゃいけないと感じたのだ。


 もちろんん、美咲が誘ってきたら、の話だが。

 

「そっか。じゃあ仕方ないね。また今度♪」


「え、あ、うん」

 

 純美の笑顔に対して、本当に申し訳なく思う。


 教室が静かになり、窓の外では部活動に向かう生徒たちの姿が見える。オレはゆっくりと荷物をまとめ始める。

 

「悠真」

 

 振り返ると、美咲が戻ってきていた。バレーのユニフォームに着替えている。やばい、どうしても胸に目が行ってしまう。男とは悲しい生き物だ。


 一応というか、ちゃんと土曜日の件は謝ったぞ。美咲の言葉の意味は、そのまま受け止めて、言葉通りだとは思うが、他に意味があるのだろうか?

 

「え? 部活は?」

 

「ちょっと忘れ物。それより……さっきの話、やっぱり気になってて」


 さっきの? 土曜日の話か? それとも純美がまた一緒に帰ろうって言った事か?


 美咲の言葉に、頭の中でサイレンが鳴り響き、心臓はバクバクだ。心電図で測ったら心拍過多か機械のエラーだ。


「あ、ああ……その話か」


 声が裏返りそうになるのを必死に抑える。美咲の顔が赤くなっているのが見て取れた。


「美咲!  早く行かないと早崎先生(顧問)に怒られちゃうよ!」


 突然、廊下から純美の声が響く。美咲はビクッとして振り返る。


「ごめん! ちょっと待って!」


 美咲はオレの方を見て、少し迷った様子で言った。


「悠真、その……今日一緒に帰らない?  話したいことがあって……」


 予想外の展開に頭の中が真っ白になったが、昨日の今日ではなく、土曜日の今日である。断れるはずもない。それに平等にしようと決めたのだ。


「あ、うん。いいよ」


 必死に平静を装って言葉を口からひねり出す。美咲は少しホッとしたような表情だ。


「じゃあ、部活終わったら正門で待ってて。すぐ終わるから」


「あ! 正門はダメだ! バレるから! 神社の境内で!」


 バレるから! の言葉に美咲の顔が少しだけ引きつったように見えた。のは……気のせいか?


 美咲は急いで体育館へ向かった。


 図書館で本を借りて、神社に行って時間をつぶす。


 オレは本は好きだったが、小学生の頃はあまり読んだ記憶がない。中学に入って、小説だったり、なぜか社会問題に興味が湧いて読み出したのだ。


 小学校の図書室にある本なんて、51脳のオレが読める訳はないから、悩んだ末に、漫画日本の歴史を数冊借りた。歴史は小学生の頃から好きだったのだ。





 2時間後、神社に美咲が走ってやってきた。


「ごめん、待たせちゃった?」


「ううん、大丈夫」


 日本語の会話がおかしいだろう? と思いつつ、オレはふと気づいた。一緒に帰る、とはいったものの、神社から美咲の家は歩いて5分くらいの距離だ。すぐ着いてしまう。


「ちょっとここで時間潰す?」


「う……ん」


 美咲は小さく頷いた。


 境内の鳥居の近くにある古びたベンチに座る。夕暮れ時の空気が少し肌寒く、木々のざわめきが静寂を破る。美咲は隣に座り、膝の上で両手を握りしめている。オレは何を話せばいいのか分からず、ただ前を見つめる。


「あの……土曜日のこと」


 先に美咲が口を開いた。その声にオレの背筋がピンと伸びる。


「本当に……悠真が初めてで……」


 だから、切り取ったら誤解を生む表現……。


 それだけ言って言葉につまる美咲。オレは喉の奥が渇くのを感じる。


「でも、悠真だったから……良かったなって」


 その言葉に、11脳が大興奮する。51脳が必死に冷静さを保とうとするが、難しい。おい! なんだこの急展開は! オレの計画と全然違うんだが!


 ここで突っ走ってしまっては、オレの本来の目的は達成できない。


「そ、そうか……オレも、その……」


 何を言えばいいのか分からず、言葉が出てこない。沈黙が流れる。


 突然、美咲が顔を上げ、真っ直ぐにオレを見つめる。


「悠真は……私のこと、どう思ってる?」


 想定内の質問だったが、本当に言われて頭の中が真っ白になる。


「美咲は……すごくだと思う」


 やっとの思いで絞り出した言葉。美咲の目が少し潤んだように見える。でも、これがこの場合の、オレの計画上の最適解だ。『好き』ではなく、『いい子』なのだ。


 現時点では! 


「そう……ありがとう」


 美咲が微笑む。その笑顔に、胸が熱くなった。


「ねえ、修学旅行楽しみだね」


 オレの返事をどう解釈したかわからないが、突然美咲が話題を変えた。その柔らかな笑顔に、緊張が少しほぐれる。


「う、うん。楽しみだ」


 ぎこちないながらも、会話が少しずつ弾み始める。学校のことや友達のこと、いろんな話をする。時間が経つのも忘れて、2人で笑い合う。


 やがて日が暮れ始め、帰る時間が近づく。


「じゃあ、そろそろ帰ろっか」


 美咲が立ち上がる。その姿を見ながら、これからの日々がどうなっていくのか、期待と不安が入り混じる。


 美咲の家の前まで来て、オレたちは向かい合った。


「今日は……ありがとう」


 美咲の言葉に、オレは何と返せばいいのか分からない。


「うん、また……明日ね」


 美咲は笑顔で手を振り、家に入っていった。





 ! この状況は、確かにオレが望んだものではある! しかーし、違うのだ。


 オレの今世の目標は、女にモテてモテてモテまくり、やってやってやりまくる。そして金を稼いで稼いで稼ぎまくって、人生の成功者になる事だ。


 つまり、不特定多数の女に同時進行で好きになってもらわないとイケないし、場合によっては二股や三股もOKしてくれるように、女を調教、いやいや違う。


 教育、ああ、語弊がある。


 えーっと……。相互理解のもとに……そう! オープンリレーションシップやポリアモリーだ。


 いや、この時代にその概念があったか? オレも何かの取材で知った知識だ。


 どっちにしても、そういう認識を持って貰えるように、する。いや、それか……1人と付き合うことに固執するなら、別れてすぐに別の女と付き合うとか……。





 頭の痛い問題であった。





 次回 第7話 (仮)『長崎オランダ村』

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