6.旅立ちの時




「動きが遅い! もっと早くだっ。力強く斬り込んでこい!」

「はいっ」


 その日も、朝早くから剣術の師匠と訓練に励んでいた。今日が文字通り、最後の修練となる。

 この十数年間、何百回と模擬戦をやってきたけど、結局一度も勝てなかった。

 あと一歩というところまで行くんだけど、毎回最後の最後で木刀を弾き飛ばされてしまう。


「お前はまっすぐ過ぎるのだっ。もっと相手の予想を遙かに凌駕する動きを見せよっ」

「はいっ」


 僕は正眼に構えた師匠の左側面へと鋭く入り込み、そのまま木刀を一閃すると見せかけて更に後方へと回り様にすくい上げるように木刀を跳ね上げた。しかし、そのフェイントすらすべて見切られてしまい、思いっ切り蹴り飛ばされた。


「かはっ……」


 既に、地面に雪はなく、僕は思い切り大地に背中を強打した。一瞬、呼吸ができなくなるほどの強烈な一撃を食らってしまった。

 もしこれが実戦だったらと思うとゾッとする。


「まったく。こんな老いぼれにすら勝てんようでは、この先、すぐ敵に殺されてしまうぞ」


 大分白髪が目立つようになってきた師匠は、木刀を肩に担ぎながらしかめっ面となった。


「世界は広いんだ。俺なんかより遙かに強い連中や、卑怯な手を使ってくる悪党どもは五万といるんだぞ。そんなんじゃ、安心して外に送り出せんわ」

「――そんなこと、言われなくたってわかってるよっ」


 僕は立ち上がると、叫びながら一気に距離を詰めた。

 師匠に言われるまでもなく、そんなことは百も承知だった。この先、何が待っているのかなんて、僕が一番よくわかっているのだから。

 卑怯という言葉では言い表せないようなくそったれな連中とだって、何度も何度も渡り合っていかなくちゃならない。


 運命の舞台となるここから南東の商業国家エルリアにある大樹海だけでなく、その前に立ち寄らなければならないこの国の王都。

 そして、ディクフェラート内海から外洋へと出ていくとき、必ずといっていいほど寄港することになる要衝の港町バルロアで繰り広げられる、血みどろの騒乱にだって首を突っ込まなければならない。


 僕は歯を食いしばって懸命に木刀を何度も振り下ろした。そのたびに師匠に軽くあしらわれてしまったけれど、それでも諦めない。今後待ち構えている呪われた人生に明るい一輪の花を咲かせるためにも、僕は決して――


「諦めてたまるかぁぁっ」


 まなじりを決して、死に物狂いの一撃を繰り出したそのときだった。

 身体の奥底から得体のしれない力が湧き上がってきたような気がした。それはまるで、荒れ狂う精霊力の息吹のようだった。

 その力が腕を伝わり木刀へと一直線に突き抜けていった瞬間、上段から振り下ろした僕の木刀と師匠の木刀が激突し、僕のそれが木っ端微塵に砕け散ってしまった。


「なっ……」


 師匠は腕が痺れたのか顔をしかめ、木刀を落として右手をさするようにしていた。

 攻撃を繰り出した僕も、いったい何が起こったのかよくわからず呆然としてしまったけど、僕たちの訓練を軒先で見ていたじいちゃんと姉ちゃんが、どこか溜息を吐くような仕草を見せていた。


「なんだったのだ、今のは……」


 相変わらず、師匠はしかめっ面のまま、ぼそっと呟いたけど、僕に答えられるはずがない。


「まぁいい。まだまだお前はひよっこ中のひよっこだが、まぁ、何か底知れぬ輝きを秘めていることは確かだ」

「……はい」

「俺が教えられることは、あくまでも訓練程度の技術しかないからな。このままずっとここで訓練を続けていたところで、お前はこれ以上強くなれんかもしれん。あとは実戦で経験を積んで、潜在能力の限界まで自分を追い込み、努力していくしかないだろう。そうすればいずれは、もしかしたらという領域にまで到達できるかもしれんな」


 そう言って、師匠はニヤッと笑うと、僕に手を差し伸べてきた。僕はその手を取って固く握手を交わす。


「――よしっ。これにてお前は弟子卒業だ。大海に羽ばたけ、少年よっ」

「はい! 長い間、お世話になりました!」


 その場を去っていく師匠の背中を、僕は頭を下げながらいつまでも見送っていた。




◇◆◇




 そうして、旅立ちの時がやってきた。

 庵から寒村ポルトの出入口まで見送りに来てくれた、オーディスじいちゃんとラル=ファー姉ちゃん。それから幼少の頃からずっと、嫌な顔一つ見せず剣の稽古をつけてくれた師匠。それだけでなく、顔見知りの村人総勢二十名以上が僕の巣立ちを笑顔で見送ってくれた。


「やだっ。リル~~! やっぱり行かないでぇ~~!」

「ちょ、ちょっと、姉ちゃんっ。恥ずかしいからやめてよっ……」


 朝からずっと浮かない顔をしていた姉ちゃんが、我慢できなくなったみたいで首筋に抱きついてきた。

 思えば姉ちゃんはずっと優しくて、温かく包み込んでくれていたような気がする。本当の母親、本当の姉のように、ずっと一人で二役をこなしてくれた。まぁ、ちょっと過保護が過ぎる部分はあったけど、それでも、嫌じゃなかった。

 僕たちはたっぷりとお互いの温もりを確認し合うように抱き合い、頬に口付け合ってから離れた。


「気を付けていくんじゃぞ」

「はい。また頃合い見て、必ず一度戻ってきます。それまで達者で! 行ってきますっ」


 僕はオーディスじいちゃんに深く頭を下げたあと、これ以上ないと思えるような会心の笑みを浮かべ――そして、背を向けた。

 村から離れていくごとに、みんなの声援が遠ざかっていく。

 心細さや寂しさがこみ上げてきたけど、それを振り払うように晴れやかな気分で心を満たし、村を去っていった。


 目指すは南西の平原にあるイルファーレン王国王都イアゼピュロス。そして、そこから南東に下ったバルロアの港町。

 二つの巨大都市で大冒険を繰り広げたあと、バルロアから北東にあるメルフィーノの町を経由して、そこから東に位置する商業国家エルリアへと向かう。


 破滅の未来をすべて断ち切るために。

 最推しヒロインのあの子を、死をもたらす凶刃から救い出すために!


「待っててくれ、オルファリア。必ず僕は今以上に強くなって、君の前に現れるから。だから――」


 山を下りながら、まだ見ぬ美しくも愛らしい少女の姿を思い浮かべ、一人ごちた。



 ――時に、G・C一一五五年四月下旬の出来事だった。

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