第45話 今明王
「さて、何したら良いんだ?これ」
「なんでも、隙ちゅうもんがあるけん、そこ突いたらええらしいけど、隙ってなんぞ?」
「ああ。説明してなかったね」
一時の休憩を取っていた明日香は、地面に座って飲み物を片手に持ちながら、敷いた布の上に置いた刀を手入れしている。鞘の表面に傷がついていないか、汚れが付いていないか。
「最初は私もわからなかったんだけど、何度も続けるうちに段々と
三人に背を向けて地面に胡坐をかいて座る枢機を、手入れの手を止めた明日香はジッと見つめる。次第に、彼女は枢機の周囲に展開された壁の気配を感覚で感じ取る。
「見ただけじゃ無理だけど、感覚でわかる。枢機の周りに展開された壁には、小さな穴がある。さっき、弥園さんが『斬糸』で貫いた所がそれ」
明日香は、枢機の周りにある壁の一点を見続ける。その視線の先にある壁には、直径僅か一センチほどの小さな穴が開いている。そして、明日香は再び手入れを再開した。明日香にはもう、その小さな穴は
「その隙を突けば良い、って話だったんだけど……。な~んか、何時の間にか要求レベルが上がっててね。弥園さんが貫いた隙は一つ目、つまり表面に展開された壁の穴で、今は更に奥で展開された二つ目の隙を突くってことになってて……。で、現状、その隙を突くことができなくて止まってる」
「なるほど。しかし、それでは先ほどのように動き回り、彼方此方から攻撃を仕掛けていた理由は何でしょう?場所がわかるのであれば、そこまで苦労はしないのでは?」
「そう。問題なのは、その隙を矢鱈に動かしてること。正面かと思えば後方。かと思えば左右。かと思えば上方。わかると言っても、場所の特定には相当な集中力を必要とするから、動きながら特定は不可能。立ち止まって特定、そして隙を突こうとした時には既に、隙は別の場所へと移ってる」
布の上に刀を置き、片手に持つ飲料を傾け、飲み口から流れ出る液体を口の中に流し込んでいく。数十ミリリットル飲むと、蓋をして布の上に置き、右手で柄を、左手で鞘を持って、刀を鞘から抜く。
上向きの曲線を描く刀は、少し前方に刀身を傾けるだけで背景の反射により、その刀身は景色と一体となって見えなくなる。
明日香は、いつも手入れするときのように注意深く刀身を見続ける一方、三好は刀身を信じられないものを見たように、唖然とした様子で見続けていた。
「あの……その刀、どこで手に入れたんですか?何か、刀身を見る限り、相当な業物ですよね」
「やばいばい、これ。誰か
刀好きな鍋島は、視界に映る大業物を輝く目で眺め、わくわくする心を理性で無理やりに押さえつけて、それでも、心の代わりに手がわくわくと踊る。興奮のあまり、敬語が完全に抜けている。
「殴ってない。今日の早朝、協会の貝山会長から渡されてね。貝山会長曰く、国から私に渡すように言われたらしくて」
「国から?……じゃあそれ、国宝並の代物なんじゃ……」
「せやで~。明らかにバリ有名な刀工の手によるもの。職人中の職人が鍛刀したものなんは間違いなしやな」
「まあ、詳細は知らされてないから、刀工は誰で、刀の名前も知らないけど」
刀身を傾けて傾けて、別角度から見て、その素晴らしさに鍋島は感嘆符を漏らしながら息を吞む。曲線を描き、鏡のように太陽光を反射してキラキラと輝く刀は、まさしく芸術品。美を極めた美しさに目を奪われるのも仕方がない。
刀身に刃毀れが無いことを確認すると、傍に置いた箱から手袋と目釘抜きを取り出し、目釘抜きで柄に嵌めてある目釘を抜く。そして、両手に手袋をはめ、柄を右手で持ち、左拳で右手の手首を何度か叩くと刀身が柄から浮く。落とさないよう慎重に慎重に刀身を引き抜くと、一度柄と刀身を布の上に置く。
「……ん?これ、銘が打ってありますよ」
「え?」
柄の中に納まっていた
「製作者はっと……うわっ」
「え~と……まじか……」
「うひゃ~。こら凄か!」
茎には製作者の名前と制作された年月日が銘として刻まれていた。その製作者の名前を見た三人の内、二人は恐ろしいものを見たように目を開き、一人はアイドルを見たように目を開く。
「正宗って、確か……」
「国お抱えの刀工ですよ。国宝級の刀を幾つも作り出してる刀鍛冶の名人の。じゃあこれ、ホントに国宝じゃあ?」
「いんにゃ、これは国宝ちゃうな。一覧で見たことないけん、まだ未登録か、もしくは意図的に登録してないかのどっちかちゃうかな。
どこか興奮した様子の鍋島は、布の上に置かれた刀を嬉々として眺め、その観察を楽しんでいる。
「じゃあ、最低でも数千万、下手したら数億の値がつきますね」
「うわ~……。じゃあ、大切に扱わないと」
「それで、刀の名前はどうするんです?」
手入れをする明日香を見ながら、鍋島はそう尋ねる。尋ねられた明日香は顎に手を当てて、しばし悩む様子を見せる。ふと目に入った正宗の字を見て、妙案を思いついたのか、ふっと笑みを浮かべる。
「確か、正宗さんの異名、明王だったよね?」
「そうですね。いつも怒ってるような表情と態度をしてるので、似たような容貌の明王像から取られた渾名らしいです」
「じゃあ、その名前からとって、明王っていうのは?」
「その名前の刀は既にあります」
得意顔で刀の名前を口にした明日香に対し、鍋島は一瞬の間を置くことなく事実を教えた。
「確か、文化遺産に登録された数百年前の刀だったと思いますが」
「……」
ツーンと拗ねた表情を顔に浮かべた明日香だが、彼女の頭には再び妙案が浮かんだ。
「じゃあ、
「今明王ですか……。その名前の刀は無かったですね」
鍋島の言葉を聞いて明日香は満足そうな笑みを浮かべると、目の前にある刀をジッと見つめて、その輝きを暫くの間堪能すると、手入れを再開し、時間をかけて刀を整えた。
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