元神童は人知れず神に至る

筋肉痛

本編

 幼い佐々木は夢を見た。

 鼻腔から血が滴るほどに脳を酷使しても、勝てない相手と対局することを。全身全霊を捧げてもまだ届かない多幸感を。

 相手の姿を確認しようとするが影が蠢くだけで、それが誰かは分からなかった。

 知りたい、どうしても佐々木は知りたかった。それは確実に来る未来だと分かっていても待ち切れなかった。


 佐々木には未来視の力がある。近い未来なら起きていても集中すれば見られる。遠い未来は夢で教えてくれる。

 明晰な頭脳も併せ持つ彼には将棋は勝利が約束された遊戯ゲームだった。ただ勝つのが楽しいから指していた。あの夢を見るまでは。


 夢で味わった感覚に比べれば、ただの勝利などゴミだった。退屈で仕方なかったが、勝ち続ければいつかあの感覚にたどり着くと信じて勝ち続けた。

 気づけば棋士になっていた。プロデビュー最年少記録10歳3か月という驚異的な記録を打ち立てた。周囲の人々は神童だと彼を持て囃したが、そんなことで彼は満たされなかった。むしろ、自分を特別扱いして半ば諦観して相対する者達ばかりで心は乾いていくだけだった。

 それでも勝ち続けた。しかし何人かのタイトルホルダーに勝利しても、夢は実現しなかった。


 諦めかけた頃、再び同じ夢を見た。今度は相手の姿が少しだけ見えた。それはなんと形容していいか、佐々木には分からなかったが、ひとつだけ確実に分かることがあった。


 それは


 そうと分かればもう人間には用はない。いくつかタイトルを獲得していたが、あっさりプロは引退した。

 人間に興味を失っていたため差し手に魂がこもらず、引退間際は負けが込んでいた。そうした状況から、世間は勝手な理屈で無理やり納得した。『才能が枯れた。神童はただの人の子だった。しかし、去り際は流石だ。潔い』と。


 真実は真逆だった。

 世俗を断った佐々木は、その時に備えて牙を磨き続けた。つまらない相手との対局により、窮屈に閉じ込めれていた才気は、宇宙のように膨張し続けた。


 人間でないなら、AIなのかもしれない。佐々木はそう考えて、その世代最強のAIを研究し尽くした。最初のうちは確かにある程度興奮する対局ができるものの、成長し続ける佐々木を満足させ続けることはできなかった。

 常識では考えられないが、5年ほどで最早佐々木はAIを超えていた。それでも佐々木は止まらない。神童は神になろうとしていた。


 だが、10年経過しても夢の対局相手は現れない。佐々木が絶望しかけた時、世界に衝撃が走る。


 異星人が侵略してきたのだ。


 彼らは何の前触れもなく地球にやってきた。

 そして、全世界に向けて高らかに宣言した。

 

「君達を武力で制圧するのは数分でできる。それではつまらない。だから、遊戯ゲームで決めよう。ハンデとして人類側が開発したものをランダムに選ぼう。よし、将棋だ。対局では何を使ってもいいよ。1か月後、将棋で我々と勝負して、勝ったら見逃す。ついでに、君達の種族的課題もいくつか解決してあげよう。ただ、負けたら家畜だよ」


 最初人類はその言葉を信じられなかったが、デモンストレーションで世界一高い山を一瞬で平地にされた時、疑う者は誰もいなかった。

 

 その宣言後、世界中の叡智が結集し、史上最強の将棋AIが完成した。AIは最善手を指し続ける。必勝であるはずと人類は楽観したが、その希望はすぐに打ち砕かれる。


 異星人がサービスと称して期限1週間前に行われたエキシビジョンマッチで、人類はぼろ負けした。人類と彼らでは思考能力にそろばんとコンピューターくらい差があった。その人類が開発したAIでは、幼生の異星人にようやく肩を並べる程度だった。そもそもどの遊戯ゲームだとしても勝ち目がないのだ。


 そうして絶望に陥る人類を見て、異星人はほくそ笑んでいた。猶予を与えたのもこのためだった。

 だが、ただ一人歓喜に打ち震える人間がいた。そう、佐々木その人である。いよいよ時が来た。夢の相手は異星人だったのだ。


 佐々木は異星人用に開発された最強AIに難なく勝利し、人類の代表となった。突然現れた謎の最強アマ棋士に世間は沸き立った。群衆は神童を一度忘れ、今再び無責任に希望を託していた。


 だが、彼は別に人類を救いたくて必死になっていたわけではない。むしろ、自分を退屈させて、勝手ことばかり言う人類は滅べばいいとすら思っていた。

 ただ楽しかったのだ。自分の能力を限界まで絞り切っても勝てないかもしれない相手に挑む事が。常人の何倍もの早さで命を燃やすほどに。


 そして、佐々木が渇望した一局は、彼の辛勝に終わる。全力と全力のぶつかり合いだった。満身創痍の彼は今初めて、勝利の真の喜びを知ったのだった。

 

 異星人が無機質な電子音で佐々木に賞賛の声を送る。そして特別待遇として、佐々木の個人的な願いをひとつ叶えると言う。


 佐々木はただ一言。


「もう、一局……」


 そう言い残して、盤面に倒れこみ、幸せそうな表情で息を引き取った。

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