第14話

「……気持ち悪いって、言わない?」

 

 少し迷う表情を見せた彼は、じぃっと私を見つめる。こんなに好きなのに気持ち悪いなんて思うはずもない。大きく頷くと、束宵スーシャオは私に向かって両腕を広げた。自分からそこに納まりに行くと、ぎゅっと抱き締めてきた彼は耳元に囁く。


玲花リンファの中に、オレの精――活力とか、生命力みたいなのを直接注いでるから」

「どういうこと?」

「毎日、ここに注いでるの、わかってるだろ?」

「…………ッ、?!」


 活力とか生命力とか言うから一瞬理解できなかったけれど、するりと回された出て下腹部を撫でられれば、いくら学のない私でも気付く。つまりそれは、あの行為自体に意味があったということだった。てっきり子供でも出来て、このまま流れで結婚することになるのかと思っていた自分が恥ずかしい。


「今回は、上手く馴染んでるみたいで良かったって思ってる」


 低く囁かれた声に顔を上げると「ん?」と小首を傾げた彼はまた軽く口付けてきて。


「もうすぐ今まで通りに外にも行かせてあげられるようになると思うから、もう少しだけ我慢してくれる?」

「うん。早くまた働きに行きたいな」

「働かなくても良いのに。オレが稼いでくるからさ、玲花はオレのことここで待っていてくれて良いんだよ」

  

 そうは言うものの、働いて他の人と交流するのが楽しいのだと言えば、束宵は「玲花はそういう子だもんな」と認めてくれる。


「このままじゃダメになっちゃうし」

「それ、玲花が、束宵がいなきゃもう生きていけないって思ってくれるってこと? ははっ、それいいなあ。思ってよ。オレなしじゃダメって言って?」

「冗談言わないで」


 ぐりぐりと束宵の胸に頭を押し付けると、痛い痛いと笑った彼は、大きな溜息を吐いた。


「……今回は、絶対に治してあげるからさ」

「今回は?」

「うん。今のところ、順調に回復してるみたいだしね。ちょっとだけ安心してるんだ」

「束宵、今回ってなに?」


 私が彼の前で寝込んだのは今回が初めてで、彼から看病してもらったのだってこの2年間で初の出来事だった。さすがに2年程度の記憶なら完璧にある。忘れているなんてことはないはずだ。


「ん? そんなこと言った?」

「言ったよ。今回、っていうの、しょっちゅう言ってる。なんのことなの?」

「そうかなぁ? なにか聞き間違えてるんじゃないか?」


 そうなのかなぁ、と首を捻る私に「じゃあ、オレがなにしてるか理解してもらったところで、今日もオレの生命力わけたげる」と言った彼に抱え上げられて寝室に運ばれる。


「あ、やだ、もうすぐ刺繍終わるのに」

「オレの精を受け入れるんだって認識で抱かれてくれたら、もっと効果ある気がするんだ。試してみたい。ダメ?」

「そういうもの?」

「うん」


 専門家からそういうものだと言われれば、あっさり言いくるめられてしまうのは私の良くない部分だとは思う。

 本当にそれだけ? と確認すれば「本当は、我慢できなくなっちゃった」と甘えるような顔をされる。私は彼のこういう表情に弱い。立派な男が甘えてくるという状況に、彼が心を許してくれているのだと心をくすぐられる。


「うー……もう、ちょっとだけだよ」

「うん、ちょっとだけ」


 嬉しそうな顔で口付けられて、寝台に寝かされる。そうは言ったところで、私の身体のための行為なのだと理解すれば、丁寧に触れてくる彼にされることのすべてに意味があるように思えて、素直に受け入れようと身体を開く。


「玲花、今度こそ、添い遂げようね」


 ぼんやりとした頭で、彼がそう呟いたことはうっすらと知覚していた。



 束宵の懸命な看病のおかげで、私はすっかり元気になった。また料理屋にも行かれるようになって、毎日が充実していた。時々残り物を貰って帰って、それを夜ご飯にすることもある。料理屋の女将さんに教えてもらって、私の手料理もだいぶ上手になったのでは? と自分では思っているのだけど、私の手から食べるものはなんでも美味しいと言う束宵の味覚はいまいち信用できない。


「ねえ、なにか特に好物なものとかないの?」

「なんだろうな、ごはんが美味しいって感じるのが久し振りすぎて思い出せないや」


 ――本当に好きだったものなら忘れなさそうだけど。

 もしかしたら、子供っぽい料理であまり言いたくないのかもしれない。なにが好きなんだろうと思いながら、今日持たせてもらったものを巾着から取り出した。


「今日は桃を貰ったんだよ。食後に剥いて食べようね。桃は邪気払いの力を持つって言われてるんでしょ? あと不老長寿だっけ」

「……ただの果物に、そんな力はないけどね」

「呪禁師なのにそんなこと言っちゃうの?」


 こういうものはいかにも重宝しそうなのに。

 桃は安価ではないけれど、手に入れるのが難しい果物ではない。それなのに、この2年間ここで見たことはなかった。

 ――桃の形のお饅頭も出たことないな、そう言えば。

 いつも通りに今日あったことを話しながら剥いた桃を彼の口に運ぶ。しかし、束宵はそれを食べようとしなかった。


「君の手から、食べたい」


 するりと手を撫でられる。


「食べさせてるじゃない」

「直接」


 指でつまんで食べさせろ、と。つまり束宵はそう言っているのだ。


「えー、お行儀悪くない?」


 私に一般的な作法を教えてくれたのは彼なのに、時々このような要求をしてくる。手で食べることに抵抗があるような育ちはしていないから、構わないと言えば構わないのだが。

 おねだりに従って、切った桃を指で直接彼の口に運ぶ。口が開けられると、赤い舌が見える。その上に白い果実を乗せれば、彼は私の指ごと汁を啜った。


「ん……久しぶりに食べたな」


 そう言いながら、彼は私の指についている汁を余さず舐めるように指の間に舌を絡めてくる。


「まだあるから、そんなに念入りに舐めなくても」

「もったいない」

「束宵!」


 じゃれるようにふたりで桃を食べて、口付けを交わして。


「玲花から、桃の香りがする」


 うっとりした声で言った束宵に抱き締められたそのあとは、いつもの通りの夜を過ごしたのだった。

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