第12話

「んっ」

「は……ぁ、玲花……玲花……好き、大好き。君とこういうことできるの、ずっと夢見てた」


 じゅるっと音がして舌を吸われる。逃げようにも、寝かされた状態では逃げ場がない。びりびりと痺れるような感覚に頭がぼうっとしてくる。息が浅くなる私の服の間から、彼の手が入ってくる。


「……え」

「――ダメ? この2年間、ずっと我慢してきたんだけど」


 押し付けられる熱いもの。知識だけはあるから、なにを言いたいのかはわかる。でも。


「私で、いいの?」

「玲花が良いんだよ。他の誰でもない玲花が良い。他の人なんて要らない。オレが愛したいのも、触りたいのも、全部、全部、欲しいのは、玲花だけだ」


 何度も名前を呼ばれれば、確かに自分が求められているのだろうと理解できる。愛してる、という声が熱くて甘くて、それだけで頭の芯から蕩けてしまいそうで。


「玲花が、欲しい」

「ん。私も束宵のこと、好きだから、いいよ」

「オレのこと、欲しい?」

「……欲しい……」


 ああ、嬉しい――泣きそうな顔で呟いた束宵は、また私に深く唇を重ねてきた。全身に触れてくる手が、唇が、舌が熱い。


「ここも、ここも、ここも、全部オレの」


 あちらこちらに口付けられて、きつく吸われて跡を残される。普段の余裕のある態度はどこに行ったのか、切羽詰まった様子で強く抱き締めてくる。

 私がここにいることを確認するように全身を撫で、舐め、噛んで、何度も何度も名前を呼ばれる。


「玲花……玲花……っ」

「束宵、痛い」

「ごめん。でも、こうしてないと、君がどこかに行っちゃいそうで不安なんだ」


 また強く抱き締められて、みしっと骨が鳴る。


「どこにもいかないよ」


 彼の背中を撫でると、少し力が抜ける。じっくりと私の身体を解した彼は、やっぱり必死な様子で私を求めてきた。


「もう、良い?」

「……うん」

「玲花、ねえ、愛してる。もう、どこにもいかないで」

「どこにもいかないよ。私の帰る場所がここだっていうのは、知ってるでしょ?」

「本当?」

「うん」

「ああ……ッ! 玲花……ッ」


 ぐっと彼自身を押し付けられ、1つに繋がる。慣れていない私の様子を気にする気配がなかったわけではないが、束宵はまるで初体験かのように一切の余裕なく私を抱いた。

 慣れてそうな男が、無心に私だけを欲しがっている。それは心の奥を疼かせ、求められるままに空が白みかけるまで彼の腕の中にいた。


「どこにも行かないって、約束して」


 最後、ねだるように言ってきた彼に、眠りに落ちつつある意識の中で何度も頷いた。



 翌朝、身体が動かなくなった私の全身を按摩してくれた彼は、1日ゆっくりとベッドの上で過ごすことを許してくれた。最初の日のように彼の手からごはんを食べさせられて、私も彼にごはんを食べさせて、それが終われば、また引き寄せられるように自然に交わう。

 しかし、前夜で体力を使い果たしていた私は、もう彼にされるがままで声も掠れていた。細身の身体からは想像もつかないほどの体力で私を求め続ける束宵は昨晩よりも余裕はあるようではあったが、それでもその必死な様子は変わらなかった。


「そんなに我慢してたの?」


 ふぅ、と脱力して横に寝転がった彼に抱き寄せられながら問えば、額に口付けてきた束宵は「うん、おかしくなるかと思うくらい我慢してた」と真面目な顔で答える。

 背後から抱き締められ、首や肩に何回も口付けられる。一時も離れていたくない、と言われているようで、また胸の奥が甘く、苦しくなる。


「栄養不足だったし、痩せすぎてる子供みたいな身体だったから、これまでは痛々しくて抱けなかった?」

「ううん。ただ我慢してたんだって言ってるじゃないか。オレは、君の許可が欲しかっただけ。抱いていい、って。抱いて、って。玲花から言われるのを待ってたんだよ。無理矢理にでも抱けたけど、そんなのはオレの望むものじゃないからさ」


 ――ああ、やっぱり大切にされてる。

 嬉しくて、彼の頭を抱き締める。すぅっとそこで深く息を吸われるのが、においを嗅がれているのが恥ずかしい。


「もう、やめてってば」

「なんで?」

「くすぐったいし、恥ずかしいよ」

「オレの腕の中にいてくれるっていうの、本当だって確かめたいんだ。幻じゃなくて、生きてる君だって確認して、安心したい。ゴメンだけど、ちょっとだけ許して?」


 オレの玲花、と繰り返されるのも、なんとも恥ずかしい。しかし、ずっと我慢していたと言われて、実際にこれだけ切羽詰まった様子で求められるのは悪い気はしない。全身で愛されているのを感じる。


「幸せって、こういうことなのかな」


 半分微睡んだような状態で尋ねれば、彼は何度も唇の当たる位置に口付けながら言う。


「オレと一緒にいることが幸せ、って思ってくれたら――嬉しい。死んでも良いって思うくらい」

「やだ、死なないでよ」


 なに莫迦なことを言っているのか、と彼を責めれば、それでも束宵は嬉しそうな顔をする。もっと一緒にいたい、と素直な気持ちを伝えた私に「うん。オレは死なないよ」そう答えた彼だったのだけど――


「どうせ、死ねないしね」


 低く呟かれた声を、私は聞き逃さなかった。身体を起こしながら「それ、どういうこと?」と問えば、彼は心ここに在らずというような笑みを浮かべる。その顔にぞわっと鳥肌が立つ。


「心配しなくても、玲花を置いて死んだりしないよ。今までだってそうだっただろ?」

「今までって、束宵、なに言ってるの?」


 本当は時々感じていた。

 束宵は、私を見ていないことがある。私を見ているようで、その視線が遠く、私を透かして誰かを見ていることがあるのを知っていた。

 昔の女を思い出しているのか、と思って腹立たしくなったこともあったのだけど、この表情はそんな単純なものでもなさそうだった。


「……束宵?」

「なに?」

「束宵は、誰が好きなの?」

「玲花に決まってるだろ」


 応える声にも顔にも迷いはない。でも、冷静になって見ればどこか違和感が拭えない。


「愛してるよ」


 口付けようとしてくる彼を押して拒否すれば、傷付いた顔をされる。嫌だったわけではなくて、ちゃんと話をしたかっただけ。でも、彼は顔色を真っ青にして、手を震わせた。


「リン、ファ……? オレのこと、拒絶しないよね? 愛してるって、一緒にいたいって言ってくれたの、嘘じゃないんだろ?」


 そこまで衝撃を受けるとは思っていなかったから、驚いてしまう。おずおずと伸ばされてくる手を握れば、彼は少しだけ強張っていた表情を緩めた。


「嘘じゃない、けど」

「ずっと、オレと一緒にいてよ。ね? なんでもするから。君の望むことなら、なんでも叶えてあげるから。今までみたいに、全部オレが」

「……う、ん」


 良かった、と安堵した顔になった束宵は私をまた抱き締めてくる。

 ――これは多分、あまり深く詮索しない方がいいのだろう。私には他に行き場もないし、私を愛してくれるのは彼だけなのだから。

 その時、そう思って深く考えないようにしてしまったことを、私は激しく後悔することになるのだった。

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