中編

 

 十年前――自分が小学生だった頃、この星に複数の隕石が落ちてきた。

 正しくは、それらは隕石ではなく……異星の生命体が搭乗した宇宙船で。

 そこから降り立った生命体は、あっという間にこの世界の文明レベルを大幅に引き上げ――たったの一年ぽっちで、実質的な地上の支配者として君臨することとなった。


 俺たち人類は、彼らのことを「フォノヴォア」と呼んでいる。

 彼らはキツネやフェネックといった生物によく似た大きな耳を持ち、音に含まれる情報をエネルギーに変換して活動しているらしい。

 中でも俺らが「歌」と呼ぶものは、彼らにとって非常に美味であるらしく……彼らと共存するようになってから、食事として「歌」を提供する金糸雀という職業が生まれるまでに至っている。


 ただ、彼らの持つ「歌」に関する感覚は、俺たちとは少し異なっていて。

 従来では「音痴」に分類されていた歌ですら、彼らは情報量さえ多ければ喜んで食す。

 これにより、歌は「情報量」で測られるものとなり、芸術としての側面は緩やかに衰退しつつある。

 当初は文明への侵略だという声も多数挙がったが……結局、フォノヴォアがもたらした大きな利益に人類は抗えず、今の社会が形成された。


 でも……たったそれだけのことが、次第に大きな歪みを生んだのも事実で。

 人類を高く売り飛ばす非合法な組織が現れ、人身売買を行ったり。

 歌を芸術として尊ぶ人類がフォノヴォアに反旗を翻し、今もなおクーデターが発生していたり。

 世界は、平穏とは言い難い。




 俺の主人が『青い』血を吐いて倒れてから、数時間が経った。

 あの後、屋敷に常駐しているかかりつけ医による迅速な処置を経て、主人は一命を取り留めた。

 ……フォノヴォアの医療は人類のそれとは全く異なっていて、隣で見ていても何が起こっているのか理解するのは困難だったが。


「君が居てくれたお陰で助かったよ。あと一歩遅ければ、娘は……」


 主人の父親――フォノヴォアと人類の共存に関する旗振り役を務める、名のある資産家だ――が、一介の金糸雀である俺に頭を下げた。

 高度な文明と技術力を持つ生命体、フォノヴォア。

 彼らは種族共通の特性として少しの高慢さを有し――その分、非常に責任感が強い。

 人類がかつて「ノブレス・オブリージュ」と呼んでいたものに近しい精神性を有する彼らのそれは、ある種の美点とも呼べるかもしれないが……かつてはその義理堅さとお人好しさ故に侵略の憂き目に遭い、種族が誕生した星を追われたらしい。

 ……まあ、そんな種族だからこそ、多少の衝突の中でも根強く人類と共存しているのかもしれないが。


「…………ご主人様の、容体は」


 普段あまり使わない声帯を震わせて、俺は彼女の父親に問う。

 それに応える彼の表情は、一目見て分かるくらいに青白かった。


「……一命を取り留めはしたが、お医者様は今夜が峠だと。医療金糸雀の『歌唱施術』も効果がなく、このままでは衰弱する一方だ」


 医療金糸雀――人類がする点滴のようなもので、病気で苦しむフォノヴォアに適切な「歌」を補給することを生業とする金糸雀たちだ。

 彼らが行う医療行為「歌唱施術」は非常に効率よく各種栄養素や投薬効果を与えることができるのだが……「歌」に込める情報を操作して効果を発生させているため、人類からしてみればそれは「歌」と呼ぶには程遠い音の羅列である。


「……あの」


 そもそも、主人は「歌」を摂取することができない。

 医療施術の効果が見られないのも、それが原因のように思う。


「何故、ご主人様は『歌』を召し上がることができないんですか」


 踏み込み過ぎているという自覚はある。

 それでも、俺は謎の歯痒さに急かされるようにして、その問いを口にしていた。


「……あの子はね、幼い頃に『歌』にあたっているんだ」


 俺の問いに一瞬驚いた顔をしつつも、彼は穏やかな声で答えを返してくれた。


「それこそ、我々がこの星にやってきて間もなく――当時はまだ、『歌』に関する研究や法整備も進んではいなくてね。人々は自由に歌い、我々はそれを享受した」


 ……その頃の記憶は、俺の中にも朧げに残っている。

 相次ぐ衝突、混乱する世界――そして、相次ぐフォノヴォアの「中毒死」。


「君も金糸雀なら聞いたことはあるだろうが……『歌』に含まれる情報の中に、『毒』に類するものが混入することがあってね。詳細な研究は今も続いているが、『不信感』や『嫌悪』といった情報はそれに該当する、というのが現在の学術的見解だ」


 ――何人たりとも、強制されて歌うことを禁ずる。

 フォノヴォアと人類の間で取り交わされた条約のうち、最も重要視される一文だ。


 他者に強制され、劣悪な環境で歌わされた歌には『毒』が混じり――その『毒』は、フォノヴォアを蝕んで命を脅かす。

 この真実が公表されて以降、強制歌唱に関わる組織の検挙や、国家公認金糸雀商取引の設置、先に挙げたような法の制定など、様々な施策が駆け足で行われてきた。


「だが……どこにだって見落としはあるものだ。娘は学友の『歌』を摂取し――その結果、半年間の昏睡状態に陥った」


 それは、彼女が私立の小学校に転入した頃のことだ。

 学校で毎年催されてきた、年に一度の合唱大会。

 そこで発表される「歌」を歌うのは、数十人単位の児童たちだ。


 大人数で歌う「歌」には、様々なものが混じる。

 それは、強制的に練習させられることへの鬱憤だったり、家庭環境や友人関係に関する不安だったり……突如襲来した異星人に対する、本能的な恐怖だったり。

 純粋無垢な子供たちの「歌」にさえ、そういった負の感情が乗ること――大人たちは、それを見落としてしまったのだ。


 そして、「歌」の正しい摂取方法を体得できていない幼い少女は、それらの情報を一身に受け……深い傷と共に、眠りに就いた。


「昏睡状態から目覚めたとき、娘は『歌』を食せなくなっていた。地球人類を恨んだりしなかったことは、唯一の救いかもしれないね」


 自分がみんなを怖がらせてしまった――彼女は、そう言って泣いていたという。

 深いトラウマから「歌」の摂取が不可能になり、人類と同じものを食して弱っていくことしかできなくなっても……責任感の強いフォノヴォアである彼女は、自分が彼らにもたらしてしまった恐怖や不信感を、罪悪感として抱えたまま生き続けてきたのだろう。


「……娘に金糸雀を飼うよう勧めたのは、何か変わるきっかけがあればという思いからだった」

「……申し訳ありません。この様な事態になってしまい……」

「ああ、責めるような意図はないんだ。それどころか……君が我が家に来てくれてから、娘は以前より穏やかな顔をするようになったと思っているよ」


 父親が言うのも何だが……あの子は友達が居なかったからね。


 そう苦笑して耳を揺らす彼の顔色は変わらず優れないが、事態に対して態度は穏やかだ。

 彼女が「歌」を口にできなくなった日から、きっとこの時が来ることを覚悟していたのだろう。

 ……この境地に至るまでの苦悩は、俺には想像がつかない。


「……俺に、何かできることはありますか」


 またしても、反射的に口にしていた。

 ただ、このまま黙って終わりを待つのはなんとなく嫌だと、そう感じた。


「…………では、ひとつお願いしようかな」


 そう言って、目の前の男性は寂しげに笑うのだった。

 

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