第40話 香り華やぐ城下街
「この辺りも、精油を使った商品のお店や香炉専門店などが増えましたね」
馬車を降り、貴族の多く住む地区にほど近いお洒落な雑貨屋が立ち並ぶ通りを歩いていると。ふと気がついたように、アルトバロンはショーウィンドウを眺めていた私へ言った。
「そう言われてみればそうね」
「精油と言えば以前は、錬金術を用いた『昔ながらの魔法薬』としての印象が強かったですが」
「今は魔法薬というよりも香りを楽しむ方に重きが置かれているから、気軽に購入できる印象に変わったわね」
「はい。厳しい材料基準のある魔法薬ではなく、芳香剤として売る方が原材料費が抑えられる関係で、商品が幅広い層に受け入れられたのかもしれませんね」
いつ頃からか、城下街にはアロマ関連のお店が増えた。
おぼろげな記憶を辿ると、レグルス殿下から謝罪の品として『林檎の花の
今や精油製品は生活の彩りとして、そしてゆったりとした時間を感じられる癒しグッズとして、香油や蝋燭、石鹸などさまざまな姿形で定着している。
社交界でも贈り物の定番商品だ。
レグルス殿下からも、毎年のように林檎の花の精油が届く。
薔薇に似た甘さと爽やかな新緑を思わせる林檎の花の香りは大好きだけれど、最近はちょっと使用を控えている。
というのも、最近はあの精油をアルトバロンにランプで焚いてもらうたびに、彼のもふもふの尻尾が不快そうにゆらゆらするからだ。
香りが部屋に漂い始めると、アルトバロンの顔から表情がすっと消える。影を落とした無表情はどこか不安を煽るし、目も硝子玉みたいで怖い。
私はそんな彼に『あああアルト? どっどうかした?』と、びびりながら声を掛ける始末。
『どうかとは?』
『えっ。突然すごくいい笑顔だけど、……お、怒ってる?』
『いいえ、まったく』
『そ、そう……?』
だけど、そんな状態のアルトバロンを何度か見て、実は彼が体調不良を言い出せないでいるのかもしれない、と気がついた。
獣人のアルトバロンは人間よりも匂いに敏感だ。青年期に入り、特に嗅覚も成長しているのかもしれない。
彼にとって苦痛を思わせる匂いのものを、主人として使用し続けるわけにはいかないだろう。
ということで、レグルス殿下には申し訳ないが、今はただのインテリアにさせてもらっている。
「へえ〜。こんな風にキャンドルに魔法仕掛けが施されているお洒落なものもあるのね」
お散歩しながら、次のお店のショーウィンドウを見てみる。
店内に飾られているのは色とりどりのアロマキャンドルだ。細かい装飾がなされていて、周りに妖精風の光が舞う魔法がかけられている。夜明け前の空のような紫と赤の淡い炎は、特別感が演出されていてとっても素敵だ。
「このお店は妖精植物から抽出した精油で作ったアロマキャンドル専門店だそうです。入ってみますか?」
「妖精植物から? それは興味をそそられるわね。……でも、アルトはアロマ製品が苦手でしょう?」
「え?」
「ほら、レグルス殿下からいただいたアロマオイルをランプで焚いた時、なんだか体調が悪そうだから。アルトのことだもの、隠していてもわかるわ」
ふふん、と得意げに胸を張る。
するとアルトバロンは虚を突かれたような顔をする。それから、悪戯がバレた少年みたいに照れつつも、苦笑を浮かべた。
「申し訳ありません。お嬢様が気に入っていらっしゃるのは承知しているのですが、どうしても身体が拒絶反応を……。もっと上手に隠し通さなくてはいけませんね」
「いいのよ。私も、言われなくても気遣いができるようにならなくてはダメね。でも、不快な時はちゃんと言葉にしてちょうだい。いい?」
「はい」
目元を淡く染めたアルトバロンが、心から嬉しそうに微笑む。ううう、可愛い。
「それでしたら今日は、お嬢様のまとう香りを僕に選ばせていただけませんか?」
「ええ! アルトに選んでもらう方が安心して使えるから、アルトの好きな香りを選んでくれる?」
「承知いたしました」
どうしてそんなに嬉しいのかはわからないが、可愛い狼従者の健康を守るのは私の役目だ。獣人も安心して使える香りのアロマキャンドルを買おう。
新規開店したばかりらしいそのお店のドアをアルトバロンが開けると、カランカランとベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ。ようこそ、『トトホル&ターラ・ララントの
奥のカウンターから、上品な精霊族風ドレスを着たおばあさまが声をかけてくれた。
私たちはお辞儀を返してから店内へ入る。休日ではないにも関わらず、店内は多くの女性客で賑わっていた。
「わあ……。色々なキャンドルがいっぱい。金色の粉がきらきらしてるのは、なんの材質なのかしら。まさか純金?」
説明が書かれたラベルは古代精霊語で書いてあるから難しい。
「ラベルの記載によると、これは妃胡蝶の鱗粉だそうです。純金でないにしろ、貴重な素材には変わりありませんね」
「妃胡蝶……。妖精植物の蜜しか吸わない、幻の蝶々。居るところにはいるのね」
我が家の庭園も妖精植物に関しては負けないつもりだが、さすがに精霊族の王国に分布する妃胡蝶が訪れているのは見たことがない。
色々と見て周っていると、「お嬢様」とアルトバロンが私の肩に手を添えた。
「こちらに〝フィーリア・ウィーティス〟のキャンドルもありますよ」
「どこどこ? あっ、本当だわ! いい香り〜」
試供品として炎が灯されているキャンドルを手に取って、顔の近くに寄せる。
アルトバロンの瞳と同じ色をした炎から光の妖精が飛び立ち、キラキラと燐光を残しながら香りとともに私の周囲を舞った。本当に癒される良い香りだ。
そんな風に蝋燭の炎で熱せられた〝フィーリア・ウィーティス〟のあたたかな匂いを堪能していると、隣にいたアルトバロンも、すんっと香りを嗅いだ。
彼のすっと通った端麗な鼻梁が、一瞬耳元をかすめる。
あまりにも近い距離と、感じたことのないくすぐったい感覚に、私は驚きで息を止めた。
「……甘い、良い香りがします。お嬢様にぴったりですね」
意図していないのだろうけれど、こんなタイミングで見つめられては急激に顔が熱くなってしまう。
「お嬢様?」
「……へっ?」
「こちらにしてもよろしいでしょうか?」
私はひどい羞恥心にさいなまれながら返事もできずに、真っ赤な顔でこくこくと頷いた。
「あらあら、初めてのお客様ですね。ようこそ、店主のターラです。まあまあ、黒狼の獣人の方を見るなんていつぶりでしょう」
会計に向かうと、先ほど挨拶をしてくれたおばあさまがニコニコの笑顔で言った。こんなにお客様が多いのに、まさか一人一人の顔を覚えているのだろうか。
アルトバロンが社交的な笑みで「初めまして」とにこやかに挨拶を返す。
私の方はといえば、なんとなくターラさんに対して好印象を抱いていた。
だって、本当に優しそうなおばあさまなのだ。
「初めまして。妖精植物の精油で作ったキャンドルに惹かれてお邪魔しました。このキャンドルの製法も素敵で……とっても珍しいですよね」
「ええ、ええ。そうなんです。この店の奥にある工房で、夫のトトホルがひとつずつ丁寧に手作りしているんですよ。どれも世界に一個だけの妖精蝋燭なんです」
精霊族の老夫婦・ララント夫妻が経営しているこのお店では、世界各国の妖精植物の精油を使ったキャンドルを扱っているそうだ。
精霊族の王国において、〝
しかし、最近は手間がかかる製作工程と伝統工芸技術を受け継ぐ職人が減ったせいで、文化そのものが衰退してきているらしい。
そんな折に、シュテルンベルク王国で精油製品が盛り上がりを見せているという情報を聞きつけ、『妖精蝋燭という文化が見直されるキッカケになれば』と、移住してきたという。
「不思議なもので、妖精蝋燭は最後の炎が消える一瞬に〝好きな人の現在の様子〟を映すと言われているんです。まあ、恋占いのようなものですが」
「それでこんなに大勢の女性のお客様が……」
「ふふっ、いつの時代も女の子は恋占いに憧れるものだわ。わたしはよく、工房にこもりっきりの夫の頑張っている姿を見せてもらうんですよ」
お喋りに夢中になっている間にも、ターラさんが丁寧に商品を包み、会計に移ってくれる。
ターラさんのお話を聞いて、私は今度マーガレット先生が主催される『刺繍お茶会』の手土産として、妖精蝋燭をいくつか購入していこうと決めた。
「アルト、お会計をお願いしてもいい? 私はあっちの棚を見てくるわね」
「わかりました」
私は先ほどアルトに選んでもらった妖精蝋燭の会計を任せて、色とりどりの商品が並ぶ棚を見に行くことにした。
「う〜ん、どれにしようかしら?」
悩んでいる最中にも、ターラさんとアルトバロンの声が聞こえてくる。会話の内容までは聞こえないけれど、どうやら話が弾んでいるようだ。
「ララント夫人。ひとつだけ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、なんでもどうぞ」
「獣人避けは、使用されていないんですね」
「獣人避け? もちろんですとも! なぜそんなものを入れる必要があるのです。獣人族、人族、精霊族……すべての人々に、蝋燭の灯は平等ですよ。これは平和の光です」
「……申し訳ございませんでした、不躾な質問をお許しください」
「よいのですよ。きっと、嗅いだことがあるからこその質問でしょうから。
さあ、あなたには特別にこれを。〝フィーリア・ウィーティス〟の妖精蝋燭は、ひとつだけではなくて番で揃えなくては」
「いえ。でしたら、お金を支払います。無償でいただくわけには参りません」
「いいのいいの、あなたにプレゼントさせてくださいな。〝フィーリア・ウィーティス〟の花言葉は、『甘い初恋』『探し求めた番』。それから……『あなたは私だけのもの』。……お嬢様、大切になさってね。ふふふっ」
「…………ありがとうございます」
お喋りを終えた二人から優しげな視線を向けられて、私は首をかしげる。
今日は素敵なお店に出会えて良かったな、と私の心は温かくなったのだった。
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