第9章 狼従者の甘やかな特別授業
第36話 従僕が家庭教師になりました
「ねえ、アルトは本当に良かったの? 今日が王立魔法学院の入学式だって、レグルス殿下のお手紙に書いてあったけど……」
王都にあるディートグリム公爵邸の自室にて。〈空間魔法理論〉の教科書とノートを机に広げていた私は、そばに立っていたアルトバロンを見上げた。
アルトバロンが魔力中毒で倒れて、私が正真正銘の〝毒林檎令嬢〟として固有魔法を発現させた誕生日から、あっという間に七年が過ぎ――私は十五歳になっていた。
とうとう来年には、【白雪姫とシュトラールの警鐘】の舞台である王立魔法学院に入学することになる。
私より一歳年上で十六歳になったアルトバロンは、本来ならば今年が入学時期。
しかも学院からは『首席として入学式でぜひ新入生代表のスピーチを』というお話も来ていたのに、彼はそれを蹴って今年度から入学しない道を選んだ。
「我が家に遠慮しなくて大丈夫なのよ? アルトには幼い頃から私の従僕をしてもらっているし、お父様だってアルトを息子みたいに可愛く思っているもの。遠慮せずに学生生活を謳歌してほしいって、お父様も私も願っているわ」
「いいえ、お嬢様。僕はほんのわずかにだって
「でも……」
そう言われても、にわかには信じがたい。
本来の運命ならば、彼は一学年目から学院に入学している。全寮制の寄宿学校は、彼にとって唯一の安らげる場所だったはずだ。
私はこっそりとアルトバロンの横顔を窺う。
彼は従僕として一ヶ月の暇を出された時期から、ことさらに勉学に励むようになった。
まるで『手始め』と言わんばかりに、〈時空間魔法理論〉を博士号修得レベルまで極めたかと思うと、彼は自分の固有魔法である〝箱庭〟の時間軸を固定した。
……つまり弱冠十歳にして、永遠を作り出してしまったのだ。
これには流石にお父様も言葉をなくすほど驚いていた。
だが、アルトバロンはそのまま〈時空間魔法理論〉を極めるわけでもなく。
それまでだって秀才だったのに、時間軸が動かなくなった〝箱庭〟の中で、彼は水を得た魚のようにあらゆる分野を猛勉強しだした。
そして彼が十三歳になった時。
ついに家庭教師になるために必要な資格を全学問で修得し、私の家庭教師に就任したのである。
現在のアルトバロンなら、王立魔法学院の最終学年生の専門分野まで指導が可能だ。
今まで私の授業を見てくれていた
生徒が王立魔法学院に入学する前に家庭教師から外されたとなると、再就職にも関わる。
『アルトが教えてくれるのは凄く嬉しいけれど、幼い頃から私に良くしてくれた先生が路頭に迷ったら困るわ!』
とアルトバロンに心配を吐露したのも束の間。
なんとアルトバロンが紹介した宮廷魔術師団の方とめでたく婚約が決まり、先生は前世で言うところの寿退職をすることに。
先生とお父様の部下の方は時々我が家で顔を合わせていて、お互いに気になっていたらしい。トントン拍子で決まっていくお話にびっくりした。
時々お手紙を貰うのだが、結婚したお二人が今もラブラブなのが文面から伝わってくる。もうすぐ赤ちゃんも生まれるそうだ。めでたしめでたしで良かった!
そんな感じで穏便に、私の家庭教師陣は一気に入れ替わり。現在では淑女教育のためのマナー講師・マーガレット先生が教える授業以外、すべての授業をアルトバロンが担当している。
十六歳になり魔力チートにますます磨きがかかったアルトバロンは、どんなに魔法を使う授業をしようとも、体力不足や魔力不足に陥ったりしない。
護衛としても常に神経を尖らせ、従僕としての仕事も完璧にこなしてみせた。
その実力は、ディートグリム公爵家の護衛騎士団でも遺憾無く発揮されている。
最年少であるにも関わらず、歴戦の猛者たちを抑える剣技と魔法の腕で、なんと彼は護衛騎士団〈副団長代理〉という地位にまで上り詰めてしまった。
彼の年齢で副団長代理を任されるなんて、異例のことだ。
でも、そんなアルトバロンだからこそ、王立魔法学院に通うべきだと思ってしまう。
いくら大人っぽくたって、十六歳なんだもの。
やっぱり、他の学生たちにまじって青春を感じてほしい。
「我が家で私の従僕として一年間を棒に振るより、学生生活を謳歌したり、アルトが志している専門分野の教授助手として将来の礎をつくるほうが、よっぽど有意義かもしれないのに」
だって、そのための教師資格だろうし……。
きっと彼はあの従僕の任務から外れた一ヶ月間で、自分自身の将来について深く考えたのだと思う。
……そう、毒林檎令嬢と結んだ主従契約を破棄した未来のことを。
それはとても現実的で、正しい判断だと思う。
だというのに。アルトバロンは来年度から私と一緒に学院に通う決断をした。
彼は編入生として二学年に入ることになる。
すでに様々な資格を修得しており、学院からも首席として迎え入れたいと言われていた彼にとって、一年生の授業を受けていないことは足枷にもならないだろう。
むしろ、『彼が王立魔法学院に入学する時間がもったいない』と主張する機関すらあるほどだ。
聖女様が来るのはアルトバロンが三年生の時だから、乙女ゲームの本編軸に問題は無いかもしれないけど……。
結局、私のせいで彼の青春を奪っている気がしてならない。
むむむ、と私が難しい顔をしていたのを見て、アルトバロンがふっと小さく笑みをこぼす。
「お嬢様と一緒に過ごせない学生生活など、僕には必要ありません。何のために教師の資格を修得したと思っているのですか」
「それは、アルトの将来のための……って、……まさかその顔……えっ? もしかして、私のため?」
「ふふっ。お嬢様に質の高い授業を受けていただきたいのはもちろんですが……」
私が座る椅子の背もたれに黒革の手袋をつけた手を置いていたアルトバロンは、上半身を屈めて私の耳元に顔を寄せる。そして彼の氷細工のように端麗な美貌に、悪魔的な微笑みを浮かべた。
「誰を差し置いても、僕が最もお嬢様のお傍にいられるようにです」
「あっ……。え、……えっ」
びびびびっくりした……!
急に甘さを含んだ低く艶やかな声で告げられて、私は一瞬、自分の魂が口から出たかと思った。
最近、ますます絶世の黒髪美少年っぷりに磨きがかかっているし、なんだかこう、私にすごく甘くて……甘くて、甘いのよね!?
それとも私が勝手にそう感じているだけ? 家庭教師として、生徒を甘やかしてくれているのかしら!?
想像もしていなかった返答のせいで、なんだか居ても立っても居られないような気持ちになる。
熱くなってきた頬を隠すため、羽ペンを置いて両手で頬を押さえた。
「そ、そうね! わっ私も主人として、アルトのような従者を持てたこと、ほっ誇り高く思うわ」
「ありがとうございます。では、授業を再開しましょう。
「え、ええ」
彼の手が私に羽ペンを持たせて、長い指先が教科書のページをなぞる。
その指先の動きがあまりにも色っぽ過ぎて、心臓がドキドキしてきた私の頭からは一瞬にして入学式の話が消えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます