第2章 ツンツン従者にはかまいたい
第6話 エルダーアップルの樹の下で
◇◇◇
お父様が主催した私の誕生日を祝うパーティーは、我が公爵家自慢の庭園も解放して行われていた。
すっかり太陽が沈んだ夜だというのに、淡い紫や緑の光で明るく照らされているのは妖精植物のおかげだ。
妖精植物とは通常の植物とは桁違いの魔力を持つ植物だ。
魔法薬や錬金術で使う貴重な材料となる。我が家の土壌は魔力が豊富なため、美しい妖精植物が育ちやすい環境にあった。
お父様に付いて回って招待客への挨拶が終わったあとは、アルトとふたりで会場内の散策をすることにする。
せっかくだからパーティーを楽しみながら親睦を深めたい。
「素敵なお庭ですね」
「ありがとう。今はちょうど、私の誕生日ごとに増えたエルダーアップルの果実が見頃なの。こっちよ」
アルトバロンの手を優しく握る。
黒革の手袋に包まれた手のひらはされるがままで握り返してはくれない。
けれど気にせずに、そのまま手を引いて、庭園の中でも私の一番のお気に入りの場所へと向かう。
エルダーアップルは林檎が魔力を得て妖精植物として進化した種だ。
希少価値の高い品種で、この世界では『万能薬』や『すべての魔法薬のもと』と呼ばれるほど高度な魔法薬作りに欠かせない。
途中、こちらへやってきた使用人からシェフが腕を振るった料理とドリンクを受け取って、アルトバロンにも「一緒に食べましょう」と勧める。
まだ八歳だというのに、専属従者として側にいてくれるアルトバロンとは、堅苦しい礼儀を抜きにして親睦を深めたかった。
「気を失ったせいでお昼を食べ損ねたから、お腹ぺこぺこになっちゃった。アルトはどれくらい食べられそう?」
「いえ、その。従僕として、お嬢様と一緒に食事はできません」
「あっ、そうよね。でも、今日はせっかくのお誕生日だから……誰かと一緒に食べたいの」
お父様は招待客との交流で忙しいし、前世のように誕生日の晩餐を一緒に楽しんでくれる家族や友人がいなくて寂しいのは本当だ。
だけど、いつものことと言えばそれまでで。
今は子供らしからぬ態度を貫くアルトバロンに、少しでもこの時間を楽しんでもらいたいというのが、なによりの本音だった。
「やっぱり、ちょっとわがまますぎるかしら?」
「……いいえ。ですが」
「お嬢様お一人で」と辞退した彼に、私は「じゃあ、これだけ」と言ってドリンクのグラスを手渡す。
外部からの訪問客に対してだけでなく、私に対する警戒心や緊張で張り詰めているだろうアルトバロンに、心を少しでも解きほぐしてもらいたかったのだ。
この際、食事は諦める。どうか、あとでいっぱい食べてね。
「ね、とりあえず乾杯しましょ?」
「……わかりました」
「えーっと。それじゃあ、アルトと私が出会えた記念日に、乾杯っ」
「乾杯」
彼はしぶしぶと言った様子で乾杯すると、私がこくりとひとくち飲んだのを見てから口をつけてくれた。
これは主人への遠慮? それとも、もしかして毒味……。
えっ。だとしたらツンが強過ぎない!?
内心ハラハラしてしまう。
「ねえ、どう? 美味しい?」
「わっ。口の中でドリンクが弾けて、しゅわしゅわします。……美味しい」
「ふっふっふ! それはね、エルダーアップルのソーダなの!」
これはこの日のためにエルダーアップルと檸檬をじっくり蜂蜜に漬け込んで、魔法で生成した炭酸水と割った特製なのだ。
アルトバロンは好奇心にきらめく瞳をぱちくりと瞬かせて、華奢なグラスの中を見つめる。
「……こんな飲み物、初めて飲みました。本当に美味しいです」
輪切りにスライスされた檸檬が浮かぶ琥珀色のドリンクの中では、皮ごとカットされたエルダーアップルの果実が淡く光っている。
「立ち上る気泡も相まって、まるで宝石のような飲み物ですね」
「そうでしょう、そうでしょう」
「……もしかして、お嬢様が作ったのですか?」
「そうなのっ。アルトに喜んでもらえてよかった」
この世界には炭酸水を飲むという文化がない。初めて作った時には、お父様も使用人のみんなも驚いていたが、今では我が家に欠かせないドリンクとなった。
今夜招待客へ振る舞ったのは、ちょっとした意趣返し。
思いがけずアルトバロンにも振る舞うことができて、テンションは爆上がりだ。
美味しさからか頬を染め、年相応に表情を弾ませて静かにドリンクを楽しんでいる彼を眺めながら、「ふふふ」とやわらかな笑みが漏れる。
彼がグラスを傾けソーダを喉に流すたびに、もふもふの耳が驚きいっぱいにぴょこんと動くのが、とっても可愛らしかった。
私だけの軽食を挟んだあとは、目的の場所へと向かう。
庭師と私で試行錯誤しながら、わざと幹が低く横に広がるように剪定して大切に育てた枝には、今年もたわわな果実が実っていた。
このエルダーアップル。見た目は普通の林檎に近いが、日が暮れると月の魔力を得てランプのように果実の内側から光が灯る。
頭上に並んだたわわな林檎のすべてが様々な色調の赤や橙色の光る様子はまさに圧巻。感動せずにはいられない。
「……幻想的ですね」
「私の自慢の庭園なの。と言っても、私が管理しているのはまだエルダーアップルの一角だけだけど」
妖精植物を使ったガーデニングは今は亡きお母様の趣味だ。
今も庭師たちが一生懸命育ててくれているため、お母様が大切にしていた妖精植物はみずみずしく成長している。時々やってくる著名な錬金術師の曰く、大金を積んででも採取させてもらいたいほど状態が良いらしい。
そんな庭園の敷地内には盗難防止の魔法が掛けられている。
まあ、招待客は貴族とその使用人なので、盗難なんてまずあり得ない。
だからこうして、安心して楽しめるわけだけど……。
「お嬢様、こちらへ」
「ありがとう」
「……先ほどから、一体何なのでしょうか。本日の主役はお嬢様だというのに」
私から視線を外して前を向いたアルトバロンの前髪がさらりと揺れ、その向こうにある菫青石の瞳が不快そうに細められる。
招待客に異様なほど怯えられている私は、「いつものことよ」と慣れた様子で朗らかにしていたわけだが、アルトバロンにとってはどうやら違ったようだ。
アルトバロンと主従契約を結んでから半日。
私には一度も直接視線を向けて微笑んではくれないし、ほとんどツンとした表情しか見せてもらえていない。
そんな彼が、今は『自分の主人を蔑ろにされるのは少し不愉快』というお顔をしている、なんて。
貴重すぎる……!
どうやら彼なりに、大なり小なり従者としての自覚は芽生えているのかもしれない。それも、どちらかと言えば好意的な意味で。
その事実が嬉しすぎて、私の口元は緩みっぱなしだ。
アルトバロンは、招待客が遠巻きに私を嫌悪する視線から私を守るようにして庭園を歩く。
黒い狼耳がぴくぴくと左右に動いており、すごく忙しそうだ。
どうやら会場内が喋り声や楽団の奏でる音楽でざわざわとしている中、私に対する有害な音がないか、彼は細かく聞き分けようとしてくれているらしい。
うわあ、アルトが守ってくれてる! ひえええっ。か、か、可愛い……!
公爵家の紋章が掲げられたお仕着せに身を包んだ姿は、まさにうちの子! こんなに可愛いくて頼り甲斐のあるもふもふ美少年がうちの子でいいのだろうか。
いや、まあ、最終的には聖女様のアルトなのですけど!
だけどアルトが聖女様のところへ行くまでの十年間は、可愛いうちの子でいてほしい。いっぱい好き。
小さな従者に対する庇護欲があふれ出た私は、思わずその背中にぎゅっと抱きついた。
「ふふふ」
「っ! お嬢様!? ……は、離してください」
振り返ったアルトバロンはまるで少し恥ずかしそうに目を泳がし、ぶわりと毛を膨らませた尻尾で私の腕をぴしりと叩く。痛くない。もふもふだ。
「うん、すぐ離すわ。でもその前に。――私のお誕生日プレゼントになってくれて、ありがとう。ずーっと大切にするからね、アルト」
「…………っ、そうですか」
アルトバロンは長い睫毛に縁取られた双眸を大きく見開くと、わずかに頬を染め唇をきゅっと噛みしめる。それから、ややあって「せいぜい寝首を掻かれないようになさるといいかと」と呟いた。
「えっ。……え!? いいい今の冗談だよね、アルト? ……アルト!?」
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