画家Ⅱ

私は信じている

空は青いと信じている

私は信じている

朝、だんだんと白んでいく水平線を

遠くで叫ぶ嵐を

私は信じている

波の音を

砂を踏む音を

松林のざわめきを


楽園が瞬時にぐちゃぐちゃになったとき

私はそこにいた

熱波や閃光を感じる間もなく

気づいたのはずっと後のことだった

むしろ世界は闇だった


うめき声が聞こえる

だが潮騒はまだ遠くで鳴り響いている

寒々しい荒波が訴えている


楽園はどこへ行ったのだろう

私の瞼には永遠に焼きついている

私はむしろ幸せなのかもしれない

惨劇を見なくて済むのだから


私は筆を持つ

手探りで絵の具をつける

ここですよ、と手を添える看護婦に

私は静かに礼を言う


描きかけのカンヴァスは焼けてしまった

私だけが半端に焼け残って

永遠に戻るはずのないものを

私は再現しようと試みる

人はそれを祭り上げるだろう

構うものか


すり足で浜辺を歩いていると

気づきが脳裏に閃く

私はその種を灰色の砂地に蒔く

ベートーヴェンのように

馬琴のように

私はありたい


潮のにおいにうちひしがれて顔を上げると

べとべとと親しげに顔を触る潮風は

やがて未練なく去っていく

海は頑なに何を隠しているのか

私にはわからない

昔も今も

たぶんこれからも

教えてくれる者は誰もいない


楽園は消えるだろう

だがせめてカンヴァスの中にだけは

生き続けてほしいと私は願う


私は信じている

海は青いと信じている

砂は白いと

緑は生きていると

私は信じている

明日は必ず来る

たとえそれが幼稚な夢であったとしても

私は信じて疑わない

世界は美しいと

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