第22話 王は侍女に逢いたい
頭が溶けるのではないかと思ったぐらい考えて、寝て起きてからもう一度考えた。
後悔はしないと何度も心の中で繰り返しながら、マデリーンはフレデリクの元へ向かう。
昨日のように商品さえ並べていなかったが、フレデリクはマデリーンを見ると穏やかな笑顔を浮かべてくれた。
「マデリーン様、おはようございます」
「おはようございます、フレデリク様」
「わざわざ訪ねて頂けて嬉しいです」
長く話をしていると、心に決めた返事がうまく出来ないかもしれない。
そう思ったマデリーンは、単刀直入に話をすることにした。
「フレデリク様、昨日のお返事ですが」
「はい、どうでしょうか、考えて頂けましたか」
「よく考えましたが、わたくしは今回のお話に頷けません」
きっとこのまま頷いたら、幸せになれると思う。だからこそマデリーンは、悩んで考えた答えを真っ直ぐフレデリクに返した。
「実際に会ったフレデリク様は、年もわたくしと釣り合っているし、聡明でとても好感がもてるかただと思います」
フレデリクは黙って聞いてくれている。
「強引な手続きではなく、こうしてお会いして返事をする機会を頂けたことさえ、とても有り難くフレデリク様の優しさだとわかっています」
「それでも、頷いてはいただけないと?」
「はい、申し訳ありません」
はっきりと断りの言葉を告げ、マデリーンは俯いた。
少し間があってから、フレデリクがゆっくりとした口調で訊ねる。
「ひょっとして僕が急いたからですか? こうして何度かお会いして機会を重ねたとしても、考えていただけないですか」
「申し訳ありませんが、わたくしはフレデリク様の思うような者ではありませんので」
「そんなことはないと思っていますが、そうですか」
素気なく言ったつもりだったのに、フレデリクは微かに笑いを見せただけだった。
断りの返事をしたからには、長くいるわけにはいかない。
フレデリクは、マデリーンに丁寧な礼をして部屋の外まで見送ってくれた。
「ありがとうございましたマデリーン様、どのようなお返事であれ、直接お会い出来て嬉しかった」
縁を断っているというのに笑顔で言い切るフレデリクの真意は、マデリーンにはわからない。
「様々なお話、大変楽しかったわ」
話が楽しかったことは真実だ。それに感謝も感じているので、マデリーンにしては珍しく素直な笑顔を浮かべた。化粧はしているが、いつもの威圧的ではない柔らかな笑顔が覗く。
「どうもありがとうございます、フレデリク様」
「あのっ、マデリーン!」
フレデリクが声を張り上げると、護衛のために部屋の外に控えていた騎士が振り返った。視線に気が付いたから、すぐにマデリーンは見られないように扇で顔を隠す。
なにか言いたそうなフレデリクの視線は感じたが、マデリーンは敢えて知らぬふりをした。
彼に応えられない以上、そうするしかない。
「ではわたくしはこれで、部屋に戻ります」
そう告げると今度こそフレデリクに背を見せて歩き出した。
これで良かったのだと思いながら、昨日と同じように部屋に向かって歩く。
前を歩いていた警護の騎士が足を止めた。俯いていたマデリーンは、なにごとかとゆっくり顔を上げたが、またすぐに扇の影で下を向く。
かなり離れた回廊の向こうに、ヴィンセントの姿が見えた。
あちら側からマデリーンは見えないし、なにか会話をしながら歩いている様子からして気がつかないだろう。
そうは思ったが、なんだかとても気まずいような感情が湧いて、マデリーンはしばらく下を向いていた。
安心して大きく息を吐けたのは、部屋に戻って鍵を掛けてからだった。
マデリーンとして、嫌悪のような感情を向けられることには慣れているが、ああいった好意のような感情はどうしても戸惑ってしまう。
トレサにも休息するように伝えたので、一人になるとまずは化粧部屋に向かった。
気が沈んでいるような時は、もうマデリーンなどやめてしまうに限る。
「もう今日はやめた! 顔でも洗ってすっきりしようっと」
誰もいないのをいいことに、敢えて声を出して宣言した。
化粧部屋に入ると、水を汲みすぐにマデリーンの化粧を落としていく。
「もったいなかったかな、あんな良さそうな人」
条件としては良いものが揃っていたと思う、本人も穏やかで博識そうに見えた。商品に対する話を聞いていても、とても聞きやすかったし好感が持てた。
「でも、違うって思ったんだよね」
考えて欲しいと告げられた時、すぐさま浮かんだのはヴィンセントのことだった。
ヴィンセントのためにもマデリーンは退かなければならない。しかし縁談を受けると言えば、そんなこと許さないと言ってくれるのではと考えてしまったのだ。
溜めた水で丁寧に顔を洗い、水を拭うとすっきりとする。いつもの流れで、化粧水を浸した布を顔に貼り付けていると、部屋の扉が叩かれた。
「誰だろう、トレサかな」
化粧部屋を出て扉のほうへ向かうと、念のため声音に気を付けて返事をする。
「だあれ?」
「お嬢様、トレサですが、ヴィンセント陛下がいらしております」
「えっ!」
すっかり化粧を落としたマドカは、思わず窓の外を見た。まだかなり明るい。今の時間はまだ執務室か謁見室にいる時間だ。先ほどちらりと見かけた時も、執務中だったように見えたのに、どういうことだろう。
「ええと、陛下だけ?」
「はい、おひとりでいらっしゃっております」
一人で来ているという報告を聞いて、マドカは少し考えて部屋の鍵を開けた。慌てて顔に貼り付けていた布を剥がす。
仮病を使い追い返すことも一瞬考えたが、さきほどフレデリクに会うために出歩いているから、それを知っているならすぐにばれるだろう。
ヴィンセントからは見えなかったと思っていたが、ひょっとして見えていたのだろうか。そこまで考えてどきりと心臓が跳ねる。
ヴィンセントは鍵を開けた扉からゆっくり入ってくると、すぐにトレサへ下がるように言い付けた。
一体なんの話があるのだろうか、緊張するマドカに掛けた声はとても優しいものだった。
「ここ数日、体調がすぐれないと聞いていたが、様子はどうだ?」
「ご心配お掛けしました、もうだいぶ良くなっています」
「ああ、さっきマデリーンが歩いているのを見た、客人とは珍しいな」
「はい、珍しい品があると聞いて、見せていただきました」
あんなに遠かったのに、見かけたからわざわざ来てくれたというのか。
ヴィンセントの話す様子は穏やかで、体調の悪かったマドカを本当に心配してくれていたのだろうとわかる。
つまり彼はやはりフレデリクの件も聞かされていないのだろう。
だったらマデリーンとしてもマドカとしても話すべきではない。それは分かっているのに、マドカは口を開いていた。
「その、実はマデリーン宛に、今後のお話の提案を頂きまして」
「今後の話?」
ヴィンセントにそれを話してどうなるのかはわからない。
これはとてもずるいことなのかもしれないと感じたが、断った以上きちんと話しておきたかった。
「マデリーンと縁を結んでくださるというお話があって、少し遠方にはなるのですが、とても良いお話だったのです」
「どういうことだ?」
ヴィンセントの顔色が変わり、険しい表情が浮かんだのがわかった。
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