第10話 侍女は王の部屋を訪れる

 グラントがその場から去るのをしっかりと見届け、マデリーンはヴィンセントではなくローレンスのほうを見た。

 興味津々といわんばかりの視線で説明を求める。


 ローレンスは返事の代わりに咳払いをしただけだ。しかしそれでも扇越しにじっと見ていると、落ち着いた声で話し始めた。


「グラント侯爵には、妹である令嬢がひとりいます。今のところフロルド公爵の孫娘である令嬢との一騎打ちです」


 なにがとまでは言わなかったが、二人の令嬢が争っているということは、そういうことなのだろう。

 すぐにヴィンセントがローレンスをじろりと睨む。


「余計なことを言うなローレンス、俺にそんな気はない」

「気持ちがなくとも、そろそろ決めてもらわなければ困ります」


 その会話から、マデリーンもおおまかに察した。


 つまり国王の正妃候補だ。


 二人の令嬢の争いが熾烈になってきて、決めなければいけないと焦らされているのか。

 視察先でリファナ妃を見初めたヴィクトルのことしか知らないマデリーンは、複雑な立場の割にそんな苦労とは無縁である。

 それなのにどうしてこんな、もやもやとした面白くない感情が浮かんでくるのだろう。


「若いのだから、どーんといったらいかが?」

「どっ、下品な物言いはやめろ」

「下品ねえ、一体なにを考えたのかしら」


 面白くない、そんな感情が露わになっているであろう頬を慌てて扇で隠してから、わざとらしく言い返す。


 激昂させてもおかしくない言動なのに、ヴィンセントはじろりとマデリーンを睨んだだけで済ませた。

 戻した視線を、じっと茶器の中で揺れる琥珀の液体へと向けたまま、ヴィンセントは告げる。


「俺の心は一途に決まっている、……彼女にはそう伝えてくれ」


「どうしてわたくしが」


 マデリーンは思わず、扇を揺らしながらふいと顔を横に向けた。


 彼がこちらを見ても、視線が合わないように。

 こんなに真摯に思っているヴィンセントの心を知ってもなお、偽り続けている。マデリーンなんて本当に、面の皮が厚い嫌な女だと思った。


「ひとつ訊いてもよろしいでしょうか?」


 黙り込んだ空気を入れ替えるように口を挟んだのは、ローレンスだった。いつの間に用意されたのか、新しい焼き菓子を丁寧な仕草でふたつの皿に移している。


「なんだ?」

「先ほどの人払いの件と襲撃者、そこに関係があるのかと」

「それは……」


 思わずマデリーンとヴィンセントは顔を見合わせた。

 若い侍女が拐われた、そう聞いてヴィンセントは迷わず駆け出した。


 鍵の力を持つ彼を誘導するつもりだったのなら、もっと上手くやれば成功したかもしれない。

 しかしそれを結びつけるにはやや強引すぎる気もする。

 マデリーンがそう考えていると、ヴィンセントが重く口を開いた。


「お前かアランが裏切っているのなら、有り得るだろうな」


 ヴィンセントの蒼い瞳が、ゆっくりとした動きでローレンスへと向く。


 まさかそんなあからさまに言うとは思わなかったマデリーンのほうが慌てる。


「ちょっとヴィンセント王っ」

「そういうことだ、理解したか」


 ローレンスはゆっくりと瞬きをしてから、すぐにその場で頭をわずかに伏せた。


「はい、どうか無礼をお許しください」


 腹心だと言っていた二人なのに。はっきりと言い切ったヴィンセントの怒りは、とても静かだったが確かにその場にいた全員に伝わった。



 その日の夜、マデリーンの装いを解き、侍女として働いていたマドカは、トレサが繰り返す注意を聞いていた。


「じゃあマドカ、お食事はこれで全てだよ、並べたら退室しておいで」

「わかりました」


 何度も頷くが、トレサはどこか心配そうだった。

 昼間に拐われかけた侍女は、マドカよりいくぶん年上だ。それでも彼女からしたら同じくらいに見えて心配なのだろう。


 東の庭園での茶会が終わった後、ヴィンセントはそのまま執務室に入った。

 それから政務をおこなっていたようだが、日暮れ前には少し休むと告げて部屋に戻ってしまったらしい。


「じゃあ、行ってきます」

「はい、よろしく頼むわね」


 マドカとして、ヴィンセントに会うわけにはいかない。ずっとそう思っていたが、部屋から出てこないならマドカだって心配だ。

 だから今日だけは、彼への食事の配膳を任せてもらうことにした。

 配膳台を押して歩き始めたマドカには、騎士がふたりついている。部屋や廊下にも普段以上の人数が配置されているが、昼間の襲撃者は見つかっていない。


 これから行く王の居室に入ったことはある。

 しかし国王がヴィンセントになってから、来るのは初めてのことだ。


 部屋の前には、アランが控えて立っていた。


「陛下へお食事を、お持ちしました」


 そう告げて視線を上げると、アランは少し驚いたような表情を浮かべた。あれだけヴィンセントが話題にしていたのだ。そういう意味で、彼もマドカを見知っている。

 アランが戸を二回叩き、部屋の中へと声を掛ける。


「ヴィンス陛下、食事が用意できたそうです」

「一食ぐらい抜いても支障はない」

「ですが……」


 確かに一食ぐらい食べなくても大丈夫だろう。でも食事は元気のもとなので少しでも食べて欲しい。

 心配になって配膳台を掴んだまま、開かない戸を眺めていると、アランがさらに言い添えた。


「無事の確認を、と仰っていた侍女殿が配膳に来ておりますが」


「……入れてくれ」


 数拍おいて、ようやく上擦ったような許しの声が返ってきた。アランはマドカへさっと片目を瞑ってみせる。


 なんの合図なのかは知らない振りをした。


 ゆっくりと戸が開けられ、配膳台を押して部屋に入る。


「失礼します、陛下、お食事を用意させて頂きました」


 そう告げてその場でゆっくり礼をした。


「ああ、わかった」


 了承の言葉を聞いてからゆっくりと顔を上げて、部屋とその主を見る。

 執務室が散らかっていたから、居室の状態も少し心配だった。しかし他の侍女が片付けているのか、滞在時間のせいか、綺麗に整っている。


「そちらの机でいい、用意してくれ」


 示された机のそばまで配膳台を押していくと、マドカは料理を並べ始めた。

 普段はマデリーン用を自分で食べているので、配膳など気にしていない。トレサに何度も注意されたことを思い出しながら、慎重に並べていく。


「陛下、食事が終わりましたらまたお呼びください」


 並べたらすぐに退がってくるよう、トレサにも指示されている。


 もう一度礼をして、配膳台を押して部屋から出ようとした時だった。


「待ってくれ!」

「は、はい?」


 驚いて振り返ると、ヴィンセントがこちらへ片手を伸ばしていた。


「そのままここにいろ、食事の間だけでいい」

「はい、承知いたしました」


 少し考えてから、マドカは配膳台を邪魔にならない壁際まで寄せ、その傍に立つことにした。

 その間にヴィンセントはアランに命ずる。


「アラン、お前はいらないから外だ」

「露骨だな……」


 他の騎士は部屋の外だからだろう。目を細めて呟くアランに対し、ヴィンセントは追い払うような手の動きを繰り返す。


 これもマドカは聞いてないし見てない振りをした。

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