第百九十四話 ひめちゃんは何でも褒めて男をダメにする系です

 ひめ、運動は苦手だと言っていたのだが、柔軟性はあるらしい。


(もしかしたら運動もしていないだけで、やってみたら結構できたりするのかな?)


 幼い頃は病弱だったみたいである。その影響か、本人が積極的に運動をしようとしない。

 しかし、成長するにつれて肉体も健康的になっているみたいなので、いずれ運動面での才能が開花してもおかしくはなさそうだ。


 何せ、まだ年齢が八歳なのである。

 現時点においても才能がすごすぎて言葉が出ないと言うのに、未知数の未来まで感じさせるひめはやっぱり特別な人間なのだと思った。


 そんな彼女に対して、平凡な俺の柔軟性と言えば。


「ひ、ひめ……ここが限界かも」


「ふむふむ。お姉ちゃんよりはマシですが、陽平くんもまぁまぁ酷いですね」


 基本的に、俺に対しての評価が甘いひめなのに。

 ハッキリ『酷い』と言われるレベルで、柔軟性はなかった。


 一通り、ひめのストレッチが終わった後のことである。

 今度は俺の番ということで、まずは前屈の姿勢になってひめに背中を押してもらった。もちろん、まったく体が曲がらなかった聖さんよりは前に屈むことはできたのだが……手のひらとつま先の距離が遠かった。


 それを見て、ひめは腕を組んで何やら頷いている。

 いったいどんなことを考えているのだろう。


「でも、自力でここまでなら決して最悪ではありません。お姉ちゃんと比べると救いようがたくさんあるので、安心ですね」


 あ、やっぱり甘かった。

 この子、俺に対してとことん優しい。何をしても基本的に肯定してくれるんだよなぁ。


 もちろん、そういうひめが嫌いじゃない。むしろ厳しくされるよりも優しくされたいので、素直に嬉しい……って、俺もなんだかんだダメ人間に分類されるタイプなのだろう。聖さんと考え方が似ていて、そんな自分がちょっと嫌になった。


 もう少し、立派な人間になれるよう努力しないと。


「ひめ、押してもらってもいい?」


 地力だとこれ以上は体が曲がらないので、ひめに助力を要請する。

 彼女は力強く頷いて、俺の後ろ側に回ってくれた。


「それでは、押しますね。んっ」


 背中に、小さな手の感触がある。

 肩の少し下に手をついて、ひめが押してくれた。


「ぐっ」


 一瞬、息が詰まるような痛みに声が漏れた。

 しかし、ひめのおかげで筋肉が伸びて先ほどよりも前に屈むことができた。


「陽平くん、偉いです。文句も言わずにできてすごいですね」


 先ほど、ぎゃーぎゃー喚いていた聖さんと比較しているのかもしれない。

 何も言わずに痛みに耐えているだけなのに、ひめが褒めてくれた。


 本来、ひめはこうやって励ますタイプだと思うんだけど……すぐ調子に乗って天狗になる聖さんには、あえて厳しく接しているんだろうなぁ。姉にだけ態度の違うのもまた微笑ましい、なんていう姉妹の特別な関係性についてはさておき。


「も、もう少し押せる?」


 正直なところ、限界はすでに達している。

 ただ、あとちょっとだけ……一瞬でいいから、指をつま先に届かせたい。そう思って、ひめに更なる助けを求めた。


「……分かりました。任せてください」


 腕力ではもう限界だったのだろう。

 手を離したひめが、今度は後ろから覆いかぶさるようにして体重をかけてきた。


 おんぶの姿勢みたいに、体を密着させてきたのである。


「がんばってください」


 ただ、おんぶの時とは少し違って、ひめの顔が俺の肩に乗っている。

 少し湿った吐息と一緒に、声が鼓膜を震わせた。


「おおっ?」


 いきなり、ひめの顔が真横に現れてびっくりした。

 その反動でなのか、体が更にぐいっと曲がって……目標のつま先に指が届いた。


「おー。すごいです」


 体がさらに曲がったからだろう。ひめはもはや、俺の上に乗っていた。

 夏だから、密着していると暑い。その上、ひめは幼いせいか体温も高めなので、ぽかぽかしている。


 暑いのは苦手だ。

 でも、この暑さは……嫌いじゃなかった――。

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