第10話【想いの記憶は今に溶ける】

 お見合いパーティーの日以降、ブラックフォード邸にはひっきりなしに求婚者が後を絶たなかった。

 同時に増える護衛騎士たち。

 エヴァはクライムがいなくなる未来の準備みたいで嫌だった。


 求婚者たちは皆エヴァを病弱な深窓の令嬢だと勘違いしている。

 一見大人しいのは人見知りだからで、病弱と思われるのは生涯この屋敷の敷地外に出ることが出来ないからなのに。


 

 

 エヴァは夕日が差し込む窓から本日最後の求婚者が馬車で去って行くのを見届けると、ようやく一息ついた。

 見計らっていたメアリーがエヴァの目の前に紅茶を置く。


「ありがとう。……今日も疲れたわね……」

「本日も大変お疲れ様でした、お嬢様」


 メアリーにも休憩するよう勧め、共に紅茶を飲んだ。


「それにしても……旦那様がお薦めする婚約者候補たちは皆屈強な武人ばかりでしたね」


 その言葉に連日の求婚者を思い浮かべると、確かに皆図体が大きく如何にも武人という見た目だった。


「さすがお父様の推薦すいせんよね。貴族の次男やそれ以降が多いし、意外と見た目よりも性格が穏やかな方が多かったわ。中には情熱的な方もいたけど」

「どなたか良い方はいましたか?」

 

 その言葉にうーんと悩む。

 どうしてもクライムと比べてしまうのだ。


 クライムだったらもっと静かに紅茶を飲んでお菓子を食べる、とか。

 クライムだったらこんなに質問攻めにしない、とか。

 クライムだったら自分の話ばかりせずむしろ全然話さなかったな、とか。

 クライムだったら私の話にもきちんと耳を傾けてくれるのに、とか……。


 エヴァは思わず項垂うなだれた。


(私、重症だわ…………)


「お嬢様?」

「ごめんなさい、なんでもないの」


 パッと顔を上げてカップに口を付けると、メアリーは察したように微笑む。

 

「やはりクライム様と比べてしまうのですね」


 ぶーーーー!!

 

 勢いよく紅茶を噴き出す。

 淑女にあるまじき行いにすぐ我に返ったエヴァは、真っ赤な顔のままあわあわとハンカチで口元を拭った。

 

「も、申し訳ありませんお嬢様。まさかそこまで動揺されるとは思わず」


 焦りつつも微笑みながらテーブルを拭いたりエヴァを拭くメアリー。

 

「な、なななななんでわかるの?」

「それはまぁ……どう考えてもお嬢様に一番相応しい殿方とのがたはクライム様ですし。何よりお互い想い合っているように見えましたので」

「ええ!? クライムも!?」


 身を乗り出すほどの驚きにメアリーはパチクリする。


「普段からエヴァお嬢様を目で追っていらっしゃいましたが、一定の距離を保つようになってからは些細な事までお嬢様のことを訊かれますので、てっきり相思相愛なのかと」

 

 違うのですか? と、きょとんとした表情で言われてしまった。

 全然気が付かなかったし、周りからはそう見えていたのだろうかと浮足立つ。

 

「そ、そうだと良いなとは思うけど……どうかしら。お父様がクライムを婚約者候補から外したことを彼も知っているから、あまり話せる機会もなくて」


 照れながら言うと、メアリーは「なるほど、そのようなことが……」と納得しながら励ますようにエヴァの手を取る。


「あたしはエヴァお嬢様を応援してますからね! お二人はお似合いなんですから、きっと旦那様も認めて下さいます!」

「……ありがとう、メアリー」


 その気持ちが嬉しくてふんわり微笑んだ。

 


 

 父を納得させるには時間が必要だ。

 

 他の男性にもしっかり目を向けたうえでクライムを選ぶこと。

 クライム以外の男性では吸血鬼から自分を守れないと理解してもらうこと。

 そして何より――エヴァがクライムを好きだと、怖くないと納得してもらうことだ。それはもちろん本人にもだが。


(そもそも私に吸血鬼を返り討ちに出来るほどの強さがあれば……)


 自ら戦えるなら別に守ってもらう必要もないのだ。

 しかし昔から父にはそれを許してもらえなかった。護身の為に剣を握るくらいいいじゃないかと不満だが、エヴァの血の特性を考えると吸血鬼相手に護身程度ではあまり意味がないと判断された。

 

「そうだわ! クライムならこっそり鍛えてくれるかも!」



 

「ダメです」


 夜、帰宅したクライムに速攻ダメだしされた。

 部屋に突撃し、彼を説得しようと試みたが普通に無理だった。


「何故俺なら引き受けると思ったのですか。旦那様と同意見ですよ。エヴァ様の血の特性で吸血鬼相手はかえって生存率を下げる恐れがあります」

「そ、そんな……」

 

 呆れた顔でこちらを見下ろし淡々と話すクライム。その様子に、やはりクライムでもダメなのかとショックを受けた。

 いや、わかってはいたんだけれど。少しだけ期待してしまった。

 

 幼い頃父に言われた言葉。


 ”吸血鬼を舐めるな”

 ”敷地の外に出なければ一生安全でいられる”

 ”その為に騎士を何名も雇っているのだ”――と。


 その現実が思い出されて落ち込んだ。


「やっぱり私が吸血鬼を倒そうなんて無理なのかな……」


 悲し気な顔でクライムを見つめたら、突然ズキンと痛んだ頭を苦しそうに押さえるクライム。


「ご、ごめんなさいクライム! 私が無茶なお願いをしたからっ……。困らせちゃった?」


 心配をして顔を覗き込むエヴァに、「いえ……それは俺の力不足のせいで……」と言いかけると唐突に頭の奥から記憶がなだれ込んでくる。


 

 それはとても懐かしい記憶だった。


 

 目の前にはエヴァによく似た赤い髪、灰みがかった青緑色の瞳の女性。

 少し気が強そうで、共に笑い合っているクライムとその女性はとても仲が良さそうだった。


(俺は……この人を知っている)


 軽装の防具を着込み腰には銀の剣を下げている様子から、彼女は吸血鬼ハンターだったと思い出す。

 

 しかし次の記憶では、彼女が血を流して倒れていた。

 何かを口にするがよく思い出せない。


 そしてクライムはこと切れる寸前の彼女の首元へ――――。



『生まれ変わったら……今度はお前と……――――』



 彼女のその言葉を思い出した瞬間、はっとして顔を上げると、心配そうにこちらを見るエヴァと目が合った。


(今の記憶は……――――)


 戸惑っていると、どうやらクライムの瞳が赤く輝いていたらしい。


「血が、欲しいの……?」


 そう言って首元のリボンをほどこうとするエヴァの手を制し、どうして当たり前のように自分を差し出すのだと小さな怒りが湧く。

 たった今思い出した記憶の中の女性も自らを差し出していた。

 同じだ。


「お嬢様は俺が……本当に怖くないのですか? あなたの憎む吸血鬼……化け物に血を啜られるのが」

 

 クライムは何故今になって記憶の断片を思い出したのかよりも、目の前のエヴァの方が気になった。

 

 あなたの血しか飲めないのは、あなたのその血の特性のせいかもしれないのに。

 他の吸血鬼と同じあなたを狙う化け物にすぎないのに……。


 いくらエヴァが許してくれていても自分が許せないのだ。

 エヴァの、大切な人の命を分けて貰っているようで――。



「怖くないわ」



 真っ直ぐ向けられる瞳に息をのんだ。


 すっと差し出される温かい手がクライムの頬を包み込む。いつかの日のように。


「何度でも言うわ。怖くないの」


 そう言ってエヴァはふんわりと優しい微笑みを向けた。


「クライムは特別で……大切な人だから」


 その言葉に目を見開く。

 信じがたい程の喜びが駆け巡り、記憶の中の女性がエヴァに上書きされていく。

 エヴァの笑顔と優しさが沁み込んで満たされていく。


 せっかく諦めようと思ったのに。

 本心を隠しながら彼女を支えていこうと覚悟したはずだったのに……。

 

 彼女の隣を、誰にも譲りたくないと思ってしまった。

 

 

 

(ああ――……俺は、エヴァ様を……――――)


 

 

 後に続く言葉を飲み込み、無意識に彼女を抱き寄せ口づけていた。

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