34、好きだと仰い、王子様

「わ、あ……」


 辿り着いた先。

 夜の『想いが成就する木』は、ぞくりとするほど妖艶な雰囲気を纏っていました。

 

 蝶々みたいな形の薄紫の花が、淡く発光しています。

 

 ひらり、はらり。

 夜風に舞う花びらの間を泳ぐみたいに、幻想的にふわふわと淡く光っているのは……夜光蝶ではないでしょうか。

 お花と同じような、青や紫の光を放っていて、とても綺麗なのです。


「すごい。美しい、ですわね」

「夜光蝶は、花が仲間だと思って集まってくるんだ」

 

 わたくしが感嘆の溜息をこぼすと、オヴリオ様はそう仰って、わたくしを地面に降ろしてくれました。

 

「というか、何か事情があるならちゃんと話せば、俺や兄上が警備兵くらい……トムソンと、俺にわからない話をするのはやめてほしい……」


 ごもっともなことを仰るオヴリオ様の額には、うっすらと汗が滲んでいます。

 わたくしはハンカチを取り出して、頭を下げてくださるようにアピールしました。


「ん」

 ちょっと嬉しそうに身をかがめるのが、なんだか可愛いではありませんか。


 ……可愛いではありませんか。


 よ、ようし。

 頑張ります、……か。

 が、が、……頑張りますわっ。


 こ、ここまで来たんですもの。やるしかありませんわ……!

 

 わたくしは、覚悟を決めました。

 

「オヴリオ様、そのままちょっと目を閉じてくださる?」

「ん?」

 一瞬ふしぎそうにしてから、オヴリオ様は目を閉じてくださいました。素直です。従順です。


「……」


 無防備です。

 そんなに無警戒で大丈夫? って心配になってしまうくらいです。


 銀色の髪が夜風にさらさらと揺れて、発光する花や夜光蝶に照らされて、幻想的に煌めいています。

 髪と同じ色をした長い睫毛は、繊細で、霜が降りたような、儚い雰囲気も漂わせています。

 普段わたくしをいろんな感情をたたえて見つめてくる緑の瞳は、今はまぶたに隠されて、見えません。

 

 ……わたくしは今彼を見ているけれど、彼の視界は真っ暗なのですわね。

 そう思うと、ドキドキしてきました。

 


 美しく整った顔立ちの薄く閉じられた唇に目がいって、呼吸が落ち着かなくなってしまいそう。

 とくん、とくんと早鐘のように高鳴る心臓の音が、すごいです。


「メモリア?」

「……そのまま」

 

 わたくしはちょっと必死になってお願いしました。すると、オヴリオ様は「わかった」と頷いてくれました。


 わたくしの頭の中には、先日ぱちりぱちりと蘇ったいくつもの記憶があります。思い出があります。

 

 いつも失いたくないと思っていた、想い。

 大切に思う気持ち。

 愛しさ。

 応援したい、力になりたい……そんな切望。

 

 かつての……過去のわたくしが抱いていた恋心。

 

 彼への想いを全部こめるみたいにして、わたくしはそっと唇を寄せました。

 吐息を奪うようにして唇を彼のそれに重ねると、触れた瞬間に時間が止まったみたいに、フワッととびっきり特別な感じが湧きました。


「……!!」


 小鳥が一瞬だけ、くちばしの先で挨拶をしたみたいな。

 そんな甘酸っぱくて可愛らしいキスをして、吐息を解放させて、わたくしは目を開けた彼に微笑みました。


 きっと、わたくしの顔は真っ赤ですわね。

 けれど、オヴリオ様だって、すごく上気したお顔で、真っ赤で。呪いの発動を怖れているのがひしひしと伝わってきます。


「覚えています」


 その言葉をずっと、言いたいと思っていたのでした。


「え……」

 夢をみるような王子様の顔は、今まで何度もが破れたのだ、とわたくしに伝えてくるようでした。

 

 希望はかなわないんだと痛感しているような。

 期待してはいけないんだと自分を守ろうとするような。

 そんな悲痛な顔なのです。


 だから、わたくしは「そんなことないですわ」と言いたくて、精いっぱいの笑顔を浮かべました。

 

「わたくし、思い出したのですわ、オヴリオ様」


 あなたがいつも、「やってしまった」とか「また忘れられてしまった」と嘆いていたこと。

 毎回、わたくしに忘れられてしまって、とても辛そうだったこと。

 

 

 理不尽を嘆くような。

 自分を責めるような。

 心が今にも折れてしまいそうな。

 すぐにそばに寄って、支えてあげたくなるような。

 

 

 ……そんな痛々しい感じのあなたが、わたくしを見て、「もう一度がんばるか」って顔をして、笑うのを。


 

 強がるみたいに背筋を正して、演技をして、無理に明るく振る舞って。

 わたくしに話しかけてくれたのを。


「もう、忘れないのです。呪いは、解いたのですわ」

「……」


 そんな奇跡は、何度も夢見て、けれど叶わなかったのだというような瞳が、痛々しい。

 わたくしはその頬へと手を伸ばしました。すると、怖がるみたいにギクリと身を竦ませているのです。


「大丈夫ですわよ、怖がりさん」

 大きな図体をしているのに、まるで小動物のよう。

 子供の頃は、何も怖くないってやんちゃな方だったのに。


「何度も、何度も、何度も、何度も、何度も失敗して、……だから、怖いのですね」

 切なく呟けば、痛みを自覚して、押し殺そうとするような表情で頷くではありませんか。

 

 

「お慕いしておりますわ」


「言わないでくれ」


「好きです」


「やめろ」


「愛していますの」


「……メモリア!!」

 



 動揺する体に体当たりするみたいにぶつかって、指先で首筋を撫でると、オヴリオ様はぎゅっと目を瞑りました。


「いやだ」

「いやなことは、もう起きません……わたくしの大切な殿下」

  

 くたりと脱力したようにオヴリオ様が膝を折って座り込むので、わたくしはぎゅっと抱きしめたまま、彼が落ち着くまで頭を撫でていました。


 ねえ。

 ずっと、頑張っていらしたのでしょう。


 ずっと、わたくしを好きでいてくださったのでしょう。


 ずっと。

 ずっと。


 わたくしが悲しい思いをさせて、けれど、笑ってくださったのでしょう。

 わたくしを励まして、安心させようとして、幸せにしようとしてくださっていたのでしょう。

 

 

「オヴリオ様……、」

 

 なんて、愛しいの。

 なんて、嬉しいの。

 ……わたくしは、この方をどうやったら安心させられるの。

 

「大丈夫……大丈夫」

 


 ふわふわと優しく光る夜光蝶が周囲を舞って、きらきらの視界に上を見上げれば、真っ暗で冷たい夜空には宝石箱の中身を撒いたみたいな星がたくさんたくさん輝いています。

 視界の隅で星がひとつ尾を引いてするりと流れて、瞬きする間に見えなくなってしまって。

 それはとても印象的で、綺麗で、神秘的な光景でした。


 

「オヴリオ様……オヴリオ様」

 今、星が流れたんです。

 わたくし、あなたの幸せを願いましたわ。

  

 心の中で呟いて、わたくしはゆっくりと言葉を選びました。

「わたくし、忘れていませんわ。思い出しましたわ……ずっと忘れていて、ごめんなさい。お辛かったですよね?」

 

 わたくしは世界がとても綺麗だと思いました。

 そして、異世界人のリックが以前話していた「元居た世界は自然環境を破壊してしまっていたので、この世界より星空が澄んで見えない」という声を思い出しました。


 

「あなたがぬいぐるみをくださったのですわ」

 

「あなたは、わたくしの周りに宝石とか、お花とか、変な陶器とか、いっぱい並べましたわね」

 

「怪我をなさっていて、痛くないですのってきいたら強がっていましたわ」

 

「わたくしが聖女になれなかったとき、慰めてくださいましたね」


「夜光蝶の名前も、あなたが教えてくださったのですわ」


 

 ひとつ。

 またひとつ。


 ゆっくり、たくさん思い出を語ると、オヴリオ様はその都度、「うん」と頷いてくれました。

 


「流行小説と違って、あなたは冷酷な権力者でもないですし、わたくしも聖女ではないですけど、……奇跡くらい、起こせるのです」


「うん」


 ――うん、しか言えなくなってしまったみたい。


 わたくしは年上の王子様の頭をよしよしと撫でて、頬にそっとキスをしました。

 

「では、わかったなら……いつもの、合言葉ですわ」

「合言葉?」

「その……あ、あなたが始めた、あれです。何か言うたびに付け足す、フレーズです。あれ、ご令嬢方にツンデレ合言葉とか言われてるんですわ」

「なんだそれ」 


 軽く肩を揺らして笑うオヴリオ様は、ちょっと元気が出たみたいな、いつもみたいな明るい気配を取り戻してきた様子でした。


「俺は、ツンデレとやらではないぞ」

「……そうですわね」

 あなたは、わかりやすいのですもの。

 

 今こうしてお話するお声も安心したのがわかるトーンで、いつもよりはしゃぐみたいで。

 

 ……よかったですわ。

 

「よろしいですの? わたくしがあなたを好きだと申しますから、あなたもわたくしのことが好きだと仰い、……わたくしの王子様」

 首に両腕を絡めてすがりつくようにすれば、オヴリオ様はわたくしを抱き寄せて、糖分過多な声で囁いてくれました。

 

 

「……好きだ」

 


「好きだ、……メモリア。ずっと、そう言いたかった」

 

 

 王子様の頬に透明な何かがきらりと一筋煌めいて、わたくしはその光が今宵見た光の中で一番綺麗だと思ったのでした。

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