16、手作りクッキー、おばあさま

 青空に真っ白な雲がふわふわ遊ぶ、よく晴れた日。

 わたくしはナイトくんを抱っこして、お父様と一緒に、おばあさまのお見舞いに参りました。

 

 教会が運営する施療院は王都の郊外にあります。

 三階建の建物はちょっとくたびれた雰囲気。周りの景色もなんとなく郷愁を誘うような、のどかな場所です。


 元聖女であるおばあさまは、聖女のお勤めをされている間は、教会にいらっしゃることの多い方でした。今は、施療院内の三階にある大きなお部屋の窓際に座っていました。

 白ネコをお膝に乗せ、撫でています。隣にいるのは、なんとトムソンではありませんか。


「おばあさま、ごきげんよう……」

「母上……」


「リヒャルトはネコが好きねえ」

 

 リヒャルトというのは、お父様の名前です。

 お父様が息を呑む中、おばあさまはトムソンの亜麻色の髪をいい子、いい子と撫でました。


 そして、自分の息子を見るような目でトムソンを見つめて、愛情たっぷり微笑んだのです。

 

「リヒャルト、指にまめができているわね。お勉強を頑張っているのね、えらいわ」


「……お、おじさま」

 

 トムソンがバツの悪そうな顔でこちらを見て、へなりと眉を下げました。

 

「ボク、お父さまのお見舞いにきてて……お城の偉い人たちがお父さまのお見舞いにいらして。席を外してほしいと言われてネコさんとお散歩してたら、おばあさまがボクを」

 

 微妙に伝わるような伝わらないような説明に、お父さまは大人の微笑みを返し。


「母上は、君を私だと思っているみたいだ。もしよかったら少しだけそのままで、そばにいてあげてほしい」


 お父さまの声が優しく、寂しそうで、胸がツキンと痛みます。

 

「おばあさま、お見舞いの品をここに置きますね」

 

 料理人のリックと一緒に作ったクッキーの袋をテーブルの上に置くと、使用人が花や果物を一緒に並べてくれました。

 

 おばあさまはそれを見て、「お花がきれい」とか「りんごが食べたいわ」とか、幼いお嬢様のように無邪気にニコニコなさるのです。


「わたくし、レティシアと一緒にお菓子をいただきますわ。レティシアはね、魔法がとても得意なの。ご存知?」

「ええ、存じておりますわ。おばあさまのご友人だった方ですわね」


 閉め切った窓から、明るい日差しがさんさんと注いで。

 おばあさまのお膝で、白ネコが目を細めて、気持ちよさそうに伸びをしています。

 

「にゃあぉ」

 鳴き声は愛らしくて、おばあさまはニコニコと白ネコに視線を落としました。

「レティシア、クッキーをいただきましょう……」


 ……おばあさまは、白ネコをレティシアさんだと思っているようでした。


 

 ◇◇◇


 

 おばあさまのお部屋から退室すると、お父さまはフゥッと肩の力を抜いて、わたくしを撫で撫でしてくれました。


「おばあさまがお元気そうで良かったね。メモリアのクッキーも喜んでもらえて、パパは鼻が高いな」

「お父さま……」


 どんな言葉を返したらよいのか、一瞬、わたくしが言葉に詰まったとき。

 廊下の向こうから、聞き慣れた声がしました。


「メモリア?」

 

 ふわっと清涼な風が吹き抜けたような錯覚を覚える中、廊下の向こうから姿を表したのは従者をたくさん連れたオヴリオ様でした。


「オヴリオ様」

 

 なんて嬉しそうな笑顔を浮かべるのでしょう。

 わたくしを見つけた緑色の瞳がキラキラ光って、とても綺麗です。

 

「これはこれはパーティ大好きな第二王子殿下! 我が娘の指に指輪を填めた第二王子殿下ではありませんか!」

 お父さまがササッと前に出て、ご挨拶をしています。お言葉にトゲがあるようなのですが。

「いやもちろん当伯爵家は王室をお慕い申しておりますからな、お会いできて嬉しいですぞ!」

 

 ピリッとした緊張感みたいなものがお父さまの全身から発せられていて、わたくしはドキドキしました。

 敵意。敵意が隠せていません、お父様――。


「未来の義理の父上にお会いできて俺も嬉しい。次のパーティには美食伯もぜひお招きしたいな。義父上」

「ははははは、その呼び方は気が早いですぞ! ははは」


 大丈夫でしょうか……。わたくしがそっと案じたとき、廊下の向こうから奇怪な叫び声がして、トムソンがバタバタと走っていきました。あれは、トムソンのお父様――エヴァンス叔父様の声のようです。


「見舞いに来ていたんだ」

 言い訳するように言って、オヴリオ様は軽く後ろを気にする仕草を見せました。


「トムソンのお父様と、お知り合いでしたの?」

 トムソンのお父様は、病む前から元々あまり社交的な方ではありません。お屋敷の奥のお部屋に引きこもり、ずっと書き物をなさっているような方だったのです。

 素朴な疑問を口にすれば、オヴリオ様はススっと目を逸らしました。そこで気づいたのですが、本日は手袋を外していらっしゃるのですね。珍しい……。

 

「本のファンなので」

「なるほど、ファンとして」

 

 ふむふむ。確かに、オヴリオ様はエヴァンス叔父様の小説に影響を受けておられる言動をなさっていましたね。

 当て馬とか悪役令嬢とか。ざまぁとか。


「本にサインをいただいたり?」

「サインはもらえなかったな。エヴァンス先生はご不調のようで、あまりお話できなかったし……この袋は?」


 お話ししていると、ナイトくんがピョコンとジャンプして、オヴリオ様にクッキーの袋を渡してしまいました。


「可愛い包装だな。中身は……? お菓子? いい匂いがする」

「あーっ、あぁ……そ、それは……」

「俺にくれるのか?」

 

 ――それはトムソンのお父様にと思っていた分なのですがっ?


 わたくしがおろおろしていると、お父様がキリッとした勇ましい声で「なぜそう思われるのですかな? 娘は本日ここであなたに会う予定もなかったというのに、自意識過剰ではありませんかなっ?」などと水を差しているではありませんか。

 

 ――お父様! その通りですが喧嘩腰はいけません、お父様! お相手は王子様ですよお父様!


 わたくしが恐る恐る見守る中、オヴリオ様は「それもそうか。自意識過剰ですまない」と納得顔でクッキーの袋を返してくださり、「また学園で」と笑顔で去って行こうとなさいます。あっ、背中に哀愁が……「あげればよかった」なんて思っちゃうじゃないですか。そんなにクッキー食べたかったんですか。


「あら、美食伯とお嬢様」

 涼やかな声がしたのは、そのときでした。


「あら……」

 

 廊下の曲がり角から姿を見せたのは、聖女アミティエ様でした。手には、本が抱かれていました。


「殿下、忘れ物ですよ」

 

 その手が本を差し出して、オヴリオ様が受け取ります。

 手袋をしていない手がアミティエ様の手と触れ合うのが、とても印象的でした。


「……!」


 触れると、爆発するのでしたっけ?


 わたくしがビクッと身をすくめる中、1秒、2秒……と時間は過ぎていきました。


「それでは、また」

「またサロンで会いましょうね」


 おふたりが笑顔で通り過ぎていき、その場には――何も異変が起きませんでした。


「……」


 ……。

 

 ……爆発しないじゃないですか?

 

「ええ~……っ」

「どうしたんだいメモリア。あっ、さては王子殿下が聖女様とご一緒でショックを受けたのかい? あの王子め、さっそく浮気とは許せん……!」


「……いいえ、なんでもありませんわ、お父様」

 わたくしはお父様の声にふるふると首を振りました。


 そして、とりあえず気を取り直して、クッキーをエヴァンス叔父様に届けたのでした。

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