第33話 王子、申し込む
アレクシアに指定した、薔薇園の温室。
貸し切りにしたため、薔薇が咲き誇る温室の中に人影はない。
薔薇の香りが漂う中、クリストファーは丸いテーブルに両肘をつき、祈るように両手を額の前で組んでいた。
(ここでアレクシアとティータイムを楽しんだのだったな。咲き誇る薔薇にも負けないほど、アレクシアは美しくて……。彼女は笑みを浮かべて、私のくだらない話にも熱心に耳を傾けてくれていた)
アレクシアの何が悪かったのか、何が気に入らなかったのか。
そう問われても、今は答えられない。
ただ優秀な彼女を弟と重ね、勝手に息苦しくなっていただけだった。
そんな時に本音を話せるミレーヌに出会い、惹かれた。
だが、それは間違いだったともう気づいている。
アレクシアともっと腹を割って話をしていれば、最後まで彼女を裏切らなければ。
この上なく美しい妻と富、賞賛を手に入れ、父王にも認められ、いずれ子にも恵まれて穏やかに暮らしていけるはずだった。
(取り戻す、なんとしてでも。どうか来てくれ、アレクシア……!)
王子の願いが天に届いたのか。
温室のガラス扉が開き、“女神”が姿を現した。
喜びのあまり思わず椅子から立ち上がる。だが、彼女に駆け寄ることはできなかった。
彼女の後ろには、ブラッドフォード騎士団の制服を着た四人の騎士が控えていたから。
おそらくクリストファーが何か仕掛けていないかを確認しに行ったのだろう。
アレクシアがテーブルに歩み寄り、クリストファーの向かいに立つ。寄り添うように彼女のすぐ後ろを歩いていたフードの騎士が椅子を引き、彼女が席についた。
「来てくれてありがとう、アレクシア。騎士が確認しに行ったようだが、他には誰もいないし何も仕掛けたりしていないから安心してくれ。ただ君と話がしたかったんだ」
言いながら、彼女の後ろの騎士を見る。
騎士は微動だにしない。
「来たくて来たのではありませんわ。殿下は仮にも王族。いつまでも待っていると言われて無視するわけにはいかないからです。もちろん、一人で来るような愚かな真似はいたしませんが」
「はは、信用がないな。だが仕方がない。君が安心するなら、後ろに騎士が控えていてもかまわない」
「ご用件は手短にお願いいたします。わたくし、今日は用事がありますので。このようなお呼び出し、本当に最後になさってくださいませ。次は何があろうと応じません」
「あ、ああ……。まずは謝りたくて。あのとき、愚かにも君を罵って一方的に婚約破棄してしまった。ミレーヌの言葉を信じ、君の言い分も聞かず……。本当に愚かだった、申し訳ない」
クリストファーが頭を下げる。
アレクシアは意外だというように少しだけ目を見開いた。
「……頭を下げていただく必要はありません。もう終わったことです。それに、わたくしがここに来たもう一つの理由。それは、過去にけじめをつけたかったからです。わたくしにも反省すべき点があったと殿下にお伝えしたくて」
「反省すべき点……? 君に?」
アレクシアがようやく口元に笑みを浮かべる。
見慣れているはずの彼女の笑顔に、クリストファーは見とれた。
同時に思う。彼女はこんなにも柔らかく笑う人だっただろうか。そして、こんなにも美しかっただろうかと。
「はい。最後に思い切り罵ってしまいましたが、王都を離れ、わたくしに少しも非がなかったとは言えないと思い至ったのです。殿下はたしかに不誠実でしたが、わたくしも殿下と心を通わせようとする努力が足りなかったのだと思います」
「アレクシア……」
彼女の言葉に、涙腺が緩みそうになる。
アレクシアは気が強いが、それは彼女の性格のごく一部に過ぎない。物事を公正に見る目、己を顧みる冷静さ、そして優しさを兼ね備えている。
以前の自分はなぜそんなことにも気づかなかったのだろうと、よりいっそう後悔が押し寄せた。
「ですから、殿下に対する負の感情はもうありません。もちろん、未練も少しもありません。わたくしと殿下はそれぞれ別の道を歩むこととなりましたが、ミレーヌ嬢とお幸せになられますよう、心からお祈りいたしております」
「違う……そうじゃない……ミレーヌとはもう、なんでもないんだ」
その言葉には何の反応も見せず、アレクシアが腰を浮かせる。
「ま、待ってくれアレクシア! まだ話は終わっていない! 私は君とやり直したいんだ……!」
その言葉に
クリストファーも慌てて立ち上がり、アレクシアに向かって手を伸ばす。
だがその手が彼女に届く前に、後ろに控えていた騎士が間に入った。
「どけ」
怒気をはらんだ王子の命令にも、騎士は怯まない。
それどころかフードを跳ね上げ、「身勝手が過ぎるのではありませんか」と言い放った。
「お前は……」
短い金茶色の髪に、やや紫がかった青い瞳。
その珍しい瞳の色には見覚えがあった。
辺境伯ヴァージル・ガードナーと同じ色。
「お前が……レニー・ガードナーか」
記憶にも残っていなかった辺境伯子息だが、今は強烈な存在感を放っている。
優しげに整った顔立ちだが貴族子息らしい甘さはなく、堂々とした体躯も相まって
夕闇のような瞳は、身分差などないかのように真っすぐにクリストファーを見つめていた。
「はは、は……。弟の言う通りだ。来るとしたら、きっと婚約者を連れてくるだろうと」
「マクシミリアン殿下が?」
アレクシアの問いには答えず、クリストファーはレニーに一歩近づいた。
「“ファーレイ”を申し込む。受けろ、レニー・ガードナー」
「!」
レニーが、不快げに目を細めた。
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