第10話 その言葉に

 広い城をレニーが案内して回り、最終的に二人がたどりついたのは書庫だった。

 書庫というよりは図書館といっていいほど広く、蔵書の数ならブラッドフォード家にも劣らない。

 飾り気のない木のテーブルと椅子もあり、ここで話を、ということになった。

 レニーは入り口付近に立っていた騎士に少し離れて警護するよう命じ、アレクシアは椅子に座る。


「扉は開けておきましょうか」


「あら。婚約者ですのにそこまでしていたらかえって怪しいですわ」


「わかりました。では……」


 レニーが扉をそっと閉める。

 きょろきょろと周囲を見回して、落ち着かない様子だった。


「レニー様もお掛けになって?」


「……はい」


 彼がアレクシアの斜め向かいに座る。

 未婚の男女が二人きりという事態になったが、緊張しているのはレニーの方だった。


「ここはずいぶんと本が多いのですね」


「ヴァンフィールドの冬は王都よりも厳しいので、冬の間の数少ない娯楽として本を集める傾向があります」


「たしか雪も降るのだとか」


「はい。山間部以外はそうたくさん積もることはありませんが」


「そういえば子供のころに珍しく王都で雪が積もったことがありました。それがうれしくて、少ない雪をかき集めて雪だるまを作ったものです」


 レニーが小さく笑う。

 笑うとより一層優しそうだと思った。


「俺……私も雪だるまを作るのは好きです」


「ふふ、気が合いますわね」


「……そうですね」


 彼が顔をそらす。その耳はかすかに赤く染まっていた。


「それと、話しやすいようにお話になってくださいね。わたくしは素のあなたを見たいのですから」


「お気遣いありがとうございます」


「では、本題に入りますわ。レニー様は、この婚約には賛成だったのですか?」


「もちろんです」


 レニーが即答する。


「わたくしの人となりもわからないのに、わたくしがレニー様を気に入ったと言えばわたくしと結婚するのですか?」


 少し意地悪な質問だと自覚しながら問う。

 その質問には、アレクシアの家柄を望んでいるのかという意味を含んでいた。

 そもそも、貴族の結婚とは家同士のつながりを求めるもの。メリットを考えての結婚は悪いことでもなんでもない。

 愛情がなくても成立するものだし、時には数えるほどしか会っていない相手と結婚する場合もある。

 それをわかっていながらも、レニーがどういう気持ちでこの婚約話を受けたのかを聞きたかった。


「あなたが美しい上に経済力のある侯爵家出身だから、俺が婚約話を受けたと思われているのですね。たしかに、そう思われても仕方がありません」


 気を悪くした様子もなく、レニーが答える。

 彼の表情も口調もあくまで穏やかで、その様子に逆に罪悪感をおぼえた。


「あなたがどういう方なのかは、これから知っていきたいと思っています。それに……アレクシア嬢はおぼえてはいらっしゃらないでしょうが、王宮舞踏会であなたをお見かけしたことがあります」


「そうでしたか」


 たしかにおぼえていない。

 会場はとにかく人が多いので、舞踏会に来ている人すべてを把握することはできない。


「そのときに、思ったのです。美しいというのはもちろんですが、この女性はなんて堂々としているのだろうと」


「……」


「俺のような無骨な者とは違い、優雅で気品にあふれて、少しも物怖じしない。慣れない舞踏会で緊張している俺にとっては、とてもまぶしく感じました。こんな言い方は失礼かもしれませんが、あなたに興味をひかれました」


「……そうなのですね」


 気恥ずかしさを感じて、今度はアレクシアが下を向く。

 美しいという褒め言葉は今までさんざん聞いてきたというのに、堂々としていた、物怖じしない姿に興味をひかれたという言葉になぜか照れてしまった。


「わたくしのそういう物怖じしない態度やはっきりとものを言うところは、殿方にはあまり好まれませんのよ」


 か弱い女性のほうが男性に好まれることはアレクシアも知っている。

 だが、その背景には「女は黙って男の後ろを歩け」という古めかしい考えがあることを知っているので、演技でもそのように振る舞うことを嫌った。

 こんな調子だから浮気されたのだろうなと、苦い笑みが浮かぶ。


「俺はあなたのそういう部分をむしろ好ましく思います」


 その言葉に、心臓が跳ねる。


(ちょっと待って。わたくしが動揺してどうするの。女性慣れしていないはずなの男性相手になぜこんな……わたくしだって男性に慣れているわけではないけれど……)


 気持ちを落ち着かせるように、短く息を吐く。


「そう仰ってくださるのはレニー様だけですわ」


「あなたが王都でどのように言われているかは知っています。ですが、それはおかしいと思っています」


 レニーが不快げにわずかに目を細めた。

 そうすると、優しげな印象が薄れて迫力が増す。


「あなたが不名誉な呼ばれ方をするようになった経緯も知っていますが、なぜ傷ついた側のあなたが悪く言われるのか理解できません」


 もともと性格がきついと敬遠されてきたが、悪女とまで呼ばれるようになったのは、婚約破棄後。

 ミレーヌとやりあったのを見た貴族かミレーヌ本人からの噂だろうから、気にも留めないようにしてきた。

 もともと噂話などそんなものだ。


「わたくしは気にしていませんわ。殿下への気持ちが残っているわけではありませんし、傷ついたという意識もありません。高慢悪女と呼ばれるようになったのも、もともとの性格のきつさゆえでしょう。そう間違ってはいませんわ」


 何を余計なことを言っているんだろうと思う。

 こう言われて「そうですね」などと彼が言うわけがない。

 否定してほしくて言っているようなものだ。女のそういうあざとさや回りくどさを嫌ってきたというのに。

 予想通り、レニーは首を振った。


「俺はあなたを悪女とは思えません。メリンダの一件も、本当に悪女なら彼女を引っ叩いて追い出すだけでしょう。あなたは誇り高く堂々としているだけです。悪く言われるべきは不誠実な男のほうで、あなたではありません」


 アレクシアは真剣なまなざしから逃れるように視線を伏せる。

 今日会ったばかりの男性になぜこんなにも心を揺さぶられているのかと思いつつも、切なさにも似た感情が湧き上がってくるのを止められない。


(わたくしらしくないわね、こんなに弱々しいのは。でも……)


 うれしいと、素直に思えた。

 本当は誰かにこんな風に言ってもらいたかったのかもしれない。

 あなたは悪くないのだと。

 視線を上げて斜め向かいに座る彼を見つめる。きっと今の自分は気の抜けたような顔をしているのだろうなと思った。

 目が合うと、彼は落ち着かない様子でもぞもぞ動く。

 つい先ほどまで堂々と主張していた人と同一人物とは思えなくて、口元に笑みが浮かんだ。


「……そろそろ夜も更けてきましたわね。戻りましょうか」


「承知しました。部屋までお送りいたします」


 二人で書庫を出て、アレクシアが使っている客間に向かう。

 部屋の前に着くと、彼が扉を開けてくれた。


「送ってくださってありがとうございます。おやすみなさいませ」


「おやすみなさい、アレクシア嬢」


 優しく響く低い声が、耳に心地いい。

 その夜は、久しぶりにぐっすりと眠ることができた。

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