第8話 ヴァンフィールド城の使用人

 ヴァンフィールド城の使用人たちの食堂は、正午を一時間ほど過ぎてから混み始める。

 今はその混雑のピーク。

 広い食堂の席は半分以上が埋まり、使用人たちが自由におしゃべりに興じることが許されている時間とあって、ガヤガヤと騒がしい。

 その中で、ひときわ大きな声があがった。


「ええっ悪女!? 本当なの、メリンダ」


 若いメイドの発した聞きなれない単語に、何人かがそちらに顔を向けた。

 メイドたち数人が集まって、噂話をしている。

 その対象は、今日この城に到着し、辺境伯子息の婚約者であると知らされた侯爵家の令嬢。

 茶色の髪を三つ編みにしたそばかすのあるメイドは「そう」とうなずいた。


「私もびっくりしたわ。とあるご令嬢にお仕えしてる従姉が時々王都の珍しい話や面白い話を手紙に書いて送ってくれるんだけど、まさかその手紙に書いてあった王都で有名な悪女が若様の婚約者として来るなんて! 名前を聞いて本当に驚いたわ」


「どんな風に悪女なの?」


「高慢で贅沢で、しかもか弱いご令嬢をいじめるとんでもない女だとか。さっきちらっと見たらすごい美人だったけど」


「そんな人があの優しい若様の婚約者になるの……?」


「ってことはゆくゆくはここの女主人ってこと? うわー嫌だ。使用人いじめとかしそう~」


 メリンダは鼻で笑った。


「王都でちやほやされて偉そうにしてた人なんて、魔獣が出たって知らせを受けたら逃げ帰るんじゃない?」


「そうそう。結婚するまでどうなるかわかんないんだし、使用人いじめされても絶対に負けないようにしようね」


「そうね」


「うん、負けない」


 そんな彼女たちを、好奇心をもって見ている者もいれば、苦々しい表情で見ている者もいる。


「お前たち、馬鹿なことするなよ。お仕えする方の婚約者で貴族だぞ」


 苦々しい表情をしていたうちの一人、彼女たちよりやや年上の侍従ゼルがたしなめる。

 彼は若さゆえの誤った正義感が暴走しそうなのを、見過ごすことはできなかった。


「クビになるような無礼を働いたりしないわ。せいぜいちょっと確かめるくらいよ。本当に悪女かどうか」


 メリンダが笑いながら答える。


「本当に悪女ならなおさら危険だ。使用人なんてどうなるかわからないんだぞ」


「あら、まだ女主人でもないんだから、なんの権限もないわ。それに本当に馬鹿なことはしないから心配しないで」


「メリンダ。いくらお前が若様の乳母の娘でも、あくまで使用人だということを忘れるなよ」


「わかってるわよ。心配性ね」


 侍従がため息をつく。

 メリンダはレニーの幼馴染ということもあって、メイドの中では中心的人物である。

 そして次代の女主人の侍女になると目されている。 

 それゆえに、自分の立場を少々過信している部分があった。

 少々困った同僚にもう一度だけ釘を刺して、ゼルは食堂を後にした。




 辺境伯との話を終えて、侍女長に客室に案内されたアレクシアは、ひとまずソファに腰掛けた。

 お嬢様の身の回りの世話をする者を連れてきますとのことだったので、しばしそのまま待つ。

 ほどなくしてノックの音が響き、入室を許可すると、アレクシアと同年代とおぼしきメイドが侍女長とともに入室してきた。


「この者はメリンダと申します。専属メイドとしてお嬢様にお仕えさせていただきます。侍女としての教育も施しておりますので、お嬢様のお役に立ちましたら幸いです」


 つまり辺境伯子息の夫人となったときの侍女候補というわけね、とアレクシアは思う。


「メリンダと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


「ええ、よろしくね」


 そう言いながら微笑を向けると、メリンダは真っ赤になった。

 そして慌てて頭を下げる。

 アレクシアにとっては慣れた反応なので、特に気にもとめなかった。

 侍女長が退室したところで、メリンダもまた「お茶の準備をしてまいります」と下がる。

 しばらくしてカートとともに入室してきて、紅茶を淹れ、茶菓子とともにテーブルの上に出した。

 出された紅茶を一口飲んで、アレクシアは眉をひそめる。


「……。ひどく温いわ。紅茶の風味も出ていない。淹れなおしてちょうだい」


「はい」


 メリンダは魔道具でポットの湯を沸かし、もう一度紅茶を淹れる。

 淹れなおされた紅茶を一口飲んで、アレクシアは「茶葉を入れすぎよ、渋いわ」とカップをソーサーに置いた。

 今度はメリンダが返事をせずに淹れなおし、テーブルに置く。


「どうぞ。今度はちゃんと美味しいと思います」


「……」


 アレクシアが再度出された紅茶を手に取る。

 そしてカップをひっくり返し、床の上に紅茶をこぼした。


「……! な、なにをなさるんですか!」


 慌てて床を拭きながらメリンダが言う。


「今度は、ですって? つまりあなたあえて不味い紅茶を二度も出したということ。あなたはわたくしを馬鹿にしているのね」


「そのようなことはありません! いくら若様の婚約者とはいえ、このような……!」


「黙りなさい」


 大声ではないのによく通るその声に、メリンダが黙る。

 床を拭き終わって立ち上がったメリンダを、冷めた目で見上げる。

 それだけで、メリンダの中の強気な心はしぼんでいった。


「ガードナー家では、紅茶もまともに淹れられないメイドを婚約者の専属にするのね」


「……ガードナー家の方々は関係ありません。私が未熟だっただけです」


「ガードナー家では、返事も謝罪もろくにしないのに口答えは一人前にするようなメイドを婚約者の専属にするのね」


 さすがに次は反論できず、メリンダはただ頭を下げた。


「ガードナー家では、婚約者としてはるばる来た女性をまともにもてなさず、使用人にすら侮らせるのね。そういう教育を使用人にしているということね」


 幼馴染である辺境伯子息のために本当に悪女かどうか確かめようという子供じみた正義感は、もはや凍り付いていた。


「……どうかお許しください。本当に、ご主人様も、若様も、関係ないんです。よくお仕えするようにと言われておりました……」


 頭を下げたままのメリンダが震えだす。

 アレクシアが鼻で笑った。


「あなたはわたくしが悪女だという噂でも聞いたのかしら」


 ぴくりとメリンダの肩が揺れる。


「それで。悪女だったとして、あなたに何の関係があるのかしら。一介の使用人であるあなたがその立場を超えて、悪女だから追い出そうとした? それとも試そうと?」


「……それは」


「それをわたくしが不快に思い、このような無礼な使用人がいるところには居られないと帰ったら、あなたは主家の婚約を台無しにした責任をどうやって取るのかしら。解雇されればその罪が償えるとでも?」


「お……お許しください……」


 崩れ落ちるように、メリンダがその場に膝と手をつく。

 細いその体は、ガタガタと震えていた。


「あなたは裏方の洗濯メイドでも厨房の下働きでもない。すでにわたくしの専属として配属され、いずれは侍女にもなろうという立場。常に主に付き従うべき者が、主となる人間を浅知恵で侮っていいはずがない」


「も……申し訳ございません……」


「そしてあなたの愚かな言動が、あなたをわたくし付きにしたガードナー家の方々にも恥をかかせることにもなる。それがなぜわからないの」


「本当に申し訳ございません。私が愚かでした……。この城を出ていきますから、どうか、どうか、若様とのご婚約は……」


「それを決めるのはあなたではないわ」


 ぴしゃりと言われ、メリンダの目から涙が流れる。ぽたぽたと床に雫が垂れた。

 完膚なきまでに心を折られ、もはやメリンダにできることは何もなかった。

 アレクシアはベルで別の使用人を呼び、侍女長を呼びに行かせた。

 事の顛末を聞いた侍女長は、深々と頭を下げる。


「大変申し訳ございません。私の教育不足でございました」


 どこか他人事な態度に、アレクシアの瞳はさらに冷たさを増す。


「ええ、その通りね。職務怠慢もいいところだわ」


 冷たい声と言葉に、侍女長も震えだす。


「このメリンダは解雇いたします。どうかそれでお怒りをお静めいただければ」


「本当になっていないわね。無礼な使用人の進退もわたくしの気持ちも、あなたたちが自由に決められるとでも?」


 侍女長も黙る。

 アレクシアはため息をついた。


「辺境伯夫人が亡くなって六年だったかしら? たったそれだけの期間の女主人不在で、使用人がこんな振る舞いをするようになるとは。閣下はあの感じだから、おそらく使用人のことにまで口を出されることはないのでしょう」


 ヴァンフィールド辺境伯領の人間はおおらかだと資料にあった。

 細かいことは気にせず、貴族と平民を区別する意識もあまり強くはない。

 平民である騎士が辺境伯と親密に交流し、領内ではその地位も高いということも影響しているのかもしれないと思った。

 おおらかなのは美点でもあるが、同時に欠点になることもある。

 商売をするアレクシアにとって平民は見下すべき存在ではなく、ともに仕事をするし身分の上下を超えて語り合う仲間ともなりえる。

 だが、こと屋敷内においては、使用人との立場を明確に線引いていたし、理不尽にいじめることはしなくても厳しく指導することはあった。

 使用人の仕事は、主人に仕えること。それで給金をもらっている。

 メリンダにも伝えたように、使用人の質の悪さは主人の教育不足と見なされ、恥となる。

 下手をすれば社交界でも侮られかねない。

 ましてや使用人が主人の意に反して客を試すようなことは、絶対にあってはならない。


「わたくしは今日ここに着いたばかりの辺境伯子息の婚約者。あなたたちの主とはまだ言えない立場よ。けれど閣下に申し上げれば、無礼な使用人を解雇するくらい訳無いでしょう」


「……はい」


 蚊の鳴くような声で、メリンダが返事をする。


「けれど、わたくしは過ちを絶対に許さないほど狭量ではないわ。もちろん相手の心次第だけれど。顔を上げなさい、メリンダ」


 メリンダがびくびくしながら顔を上げる。


「反省はしたわね」


「はい。心から反省しております」


「なぜわたくしが苦言を呈したのか、それも理解したわね」


「はい。本当に私が愚かでした」


「わかったのならいいわ。下がりなさい。次からは馬鹿なことをしては駄目よ」


 優しさすら感じさせるその声と言葉に、メリンダの目からとめどなく涙がこぼれる。


「は、い……本当に……本当に申し訳ありませんでした……っ」


「ご婚約者様のご温情に心より感謝申し上げます」


 侍女長とメリンダは深々と頭を下げ、出て行った。

 静寂の部屋の中、ため息が響く。


「こういうところが悪女と言われる所以なのでしょうね」


 アレクシアが独りごちて苦笑した。

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