第3話 王子、意気消沈する

 王宮の荘厳な謁見室には、二人の人間がいた。

 重厚な椅子に座し、眉間に深く皺を刻みながら息子を見据える国王。

 そして、王よりも三段低い位置に立ち、頭を下げている第一王子クリストファー。


「この愚か者」


 怒りをはらんだ王の叱責が王子に降りかかる。

 クリストファーは何も言えなかった。


「アレクシアを大事にしろと、何度も言っていたではないか。それをたかが子爵令嬢に入れあげて、婚約破棄まで勝手に決めるとは!」


「魔石鉱山の件を仰っていてくだされば……」


 その言葉に、王が立ち上がる。


「お前に何も伝えないこと、お前を自由にさせること。それがブラッドフォードが出してきた婚約の条件だったのだ! 腹芸のできないお前に余計なことを教えればそれをアレクシアに見抜かれ、婚約時の契約に基づき国庫に大打撃を与えるほどの慰謝料を支払うことになっただろう! そもそもブラッドフォードとの婚約だぞ、少し考えればその重要性がわかるだろう!」


 それでもこっそり教えてくれればわからなかったのではないかとクリストファーは思ったが、国内に二つしかない嘘を見抜く魔道具のうちの一つをブラッドフォード侯爵家が持っている。

 何よりも“契約”を大事にするブラッドフォードは、怪しいと思えば王家相手でも魔道具を使うのを躊躇わないだろう。


(たしかにブラッドフォード侯爵家には莫大な金がある。だが私がアレクシアと結婚したところで王家がその金を自由にできるわけでもないし、政治的にはなんの力もない。たしかに魔石鉱山の件は損失ではあるが、ここまで叱らなくてもいいのに……)


 だがそれを口に出せばさらに父王が激高することはクリストファーにもわかっていた。

 ただしおらしく下を向くことしかできない。


「その顔。お前はいまだにブラッドフォードの影響力を甘く見ているな。エレノーラが甘やかして育てるからこのように見通しの甘い男になったのだ」


 母を悪く言われ、さすがにむっとする。


「だいたいブラッドフォードとのつながりと切り捨てるほど、その子爵令嬢のどこに魅力があったというのだ。凡庸な娘ではないか」


 怒ることにも疲れたのか、王が椅子に座ってため息をつく。


「そんなことはありません。ミレーヌは愛らしく優しい女性です」


「馬鹿馬鹿しい。一時の気の迷いで極上の女を捨てるとは。容姿、家柄、血筋、品格に度胸に賢明さ……アレクシアとは比べ物にならないではないか。同年代で彼女より優れた女がいるか?」


 極上の、女?

 たしかに彼女は美しく賢い。

 だがそれだけで……。


「何がそんなに気に入らなかったのだ」


「彼女は傲慢で……気も強く……」 


 気が強いのは重々承知だったが、そういえばいつから彼女を傲慢と思うようになったのだろう、とクリストファーは思った。


(私が何か間違いを犯せば正そうとするが、そういえば人前で注意されたことも、追い詰めるような言い方をされることもなかった。やんわりとたしなめるだけだ。私を下に見るようなこともなかったし、常に微笑んでくれていた……私がミレーヌに惹かれるまでは)


 ならなぜ傲慢だと思ったのか。

 そこでふと気づいた。ミレーヌの話を聞くようになってからだと。


(何が不満? 不満……だったわけじゃない。では私はなぜ……)


「いずれにしろもう遅い。お前が婚約を破棄してしまったのだからな。契約違反時ほどではないが、持参金の予定額に比例するため婚約破棄の慰謝料もかなりの痛手だ。何より、ブラッドフォードの実質的な後ろ盾を得る機会を失うことになるとは……。あの侯爵家が王家に嫁を出すなど滅多にないことだというのに、この愚か者めが」


「……申し訳ございません」


「もういい、下がれ。お前の顔など見ていたくはない。一時はエレノーラにそそのかされてお前を王太子に指名しようかと思ったこともあったが、思いとどまってよかったと心から思う。マクシミリアンがいてくれて心底安心だ」


 無慈悲な言葉に、クリストファーの胸が激しく痛む。

 王太子となるべく生まれた優秀な弟と常に比べられてきた彼にとっては、一番言われたくない言葉だった。


(王太子の地位など望んだことはないというのに)


 この国においては正妃の息子が王太子となるのが常で、本来ならば側室の子であるクリストファーは第二王子どころかまだ幼い第三王子よりも王位継承権が低いが、彼が第一王子ということもありエレノーラ妃の出身家であるダッドリー侯爵家は諦めていないと囁かれていた。

 水面下では、ダッドリー侯爵家を筆頭とする派閥と正妃の出身家であるエルドレッド公爵家を筆頭とする派閥の争いが続いているらしいこともクリストファーは知っている。

 だがクリストファー自身は背負うものが大きすぎる王座に興味がなく、もうすぐ成人である十八歳を迎える弟マクシミリアンが王太子になってやがて王になればいいと考えていた。

 自分はそこそこ豊かに暮らし、王子としての体面を保てる公爵となり、愛する人と穏やかに暮らしていければいいと。


 だが、王座を望んでいないからといって比べられて劣っていると言われて平気なはずがない。

 弟マクシミリアンよりも優れていると言えるのは剣術のみで、他はすべてにおいて弟にかなわなかった。そのことにクリストファーは劣等感を抱いてきた。

 そもそも剣術が優れていたところで、王族にとっては重要ではない。

 長年抱いてきた劣等感を刺激され、だが反論することもできず、クリストファーはただ立ち尽くしていた。


「何をしている。さっさと下がれ」


「……失礼します」


「最低でも三か月は件の女には会わず反省していろ。町への外出も禁止だ。これ以上ブラッドフォード家を刺激するな」


「……承知いたしました」


 謁見室から出て、とぼとぼと歩く。

 自室に戻ろうとしたそのとき、廊下の向こうから歩いてくる人影に気付いた。

 銀色の髪に、深い青の瞳。――アレクシアと同じ色合い。

 だが彼女と見間違えることはない。歩いてきたのは男性、しかも弟だから。


「兄上」


「……マクシミリアン」


「その……大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だ。心配いらない」


 母は違えど、幼い頃からクリストファーを兄と慕ってくれるマクシミリアンはかわいい弟だった。

 そのかわいい弟は、いつしか嫉妬の対象になっていった。

 容姿の良いクリストファーではあるが、それ以上に圧倒的に美しい弟。髪も王家の色と言われる銀髪。クリストファーは金髪だった。

 習ったことはすぐに吸収し、人付き合いも上手く、誰にでも愛される弟。

 それでいて「この人に従いたい」と思わせるカリスマ性を持ち、偉大な王になるであろうと言われて育った、正妃の息子――。


(ああ……そうか。アレクシアが苦手になった理由。私はいつからか、アレクシアに弟を重ねていたんだったな……)


 美しく賢いアレクシア。社交界で圧倒的な存在感を放つ女性。

 その髪や瞳の色も相まって、弟と印象が重なった。

 アレクシアの美しさに憧れにも似た感情を抱き、彼女の存在感に嫉妬にも似た感情を抱いた。

 次第に彼女の存在はクリストファーをみじめにさせるようになった。

 名ばかりの公爵となり国から屋敷といくばくかの手当をもらいながら万が一に備えて王家の血を保持するだけのクリストファーに対し、彼女は商売を続け自らの力で大金を稼ぐ。

 嫉妬も相まって、それなら彼女に自分は必要ないのではないかと考えるようになっていった。

 そんな時に現れたのがミレーヌだった。


(彼女は私が守ってやらなければならないか弱い女性で、私のことをいつも褒め称えてくれた。彼女といると自分に自信が持てた。だから彼女を選んだが……)


 本当にそれで良かったのかという疑問が今さらながら頭をよぎる。

 アレクシアに婚約解消を告げた日の騎士の証言を考えれば、ミレーヌが本当にか弱いかどうかも疑わしい。


「お前も私を愚かだと思っているんだろう、マクシミリアン。アレクシアとあんな風になってしまって」


「そんなことは思いませんよ。ただ、その……アレクシア嬢はとても素敵な人でしたから、残念に思うだけです。そんな彼女に愛されていた兄上をうらやましく感じていたものです」


 マクシミリアンはそう言って少し目をそらし、寂しげに笑う。


(そういえばマクシミリアンはアレクシアに気があるのではないかと何度か思ったことがあったな。やはりそうなのか?)


 王である父が極上の女と称し、王太子となる弟が惹かれるほどの女性。

 そう考えると、急に惜しいことをしたのではないかと思い始めた。


(だがもう遅い。プライドの高いアレクシアが自分を振った男とよりを戻すはずがない。だが……アレクシアが私を愛していた?)


「マクシミリアンの目から見て、アレクシアは私を愛していたように見えたのか?」


「僕はそうだと感じていましたが……違ったのでしょうか」


「いや……」


 曖昧に答える。

 愛していると言われたことはなかったが、自分を見つめるアレクシアの表情はいつも柔らかだったと思い始める。

 口づけなどは許してくれなかったが、一度たまらず抱きしめた時はやんわりたしなめられただけで抵抗しなかった。


(アレクシアははっきりとした感情表現しなかっただけで、私を愛していた……?)


 なんとも言えないもやもやとした感情の芽生えを感じつつ、クリストファーは弟に別れを告げてその場を後にした。

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