【第23回角川ビーンズ小説大賞 WEBテーマ部門 三次選考通過作品】高慢悪女とヘタレ騎士
星名こころ/角川ビーンズ文庫
第1話 婚約破棄
「アレクシア。すまないが君との婚約を解消させてもらいたい」
王宮の一角にある煌びやかな応接室。
中性的に整った顔に申し訳なさそうな表情を張り付けた第一王子クリストファーは、向かいに座る女性にそう告げた。
婚約解消を申し渡された侯爵令嬢アレクシア・ブラッドフォードは、その美しい顔になんの表情も浮かべていなかった。
怒りも、悲しみも。
アレクシアは優雅に一口お茶を飲んで、カップを静かにソーサーに戻した。
柔らかな曲線を描く銀色の髪がひと房、さらりと肩からすべり落ちる。
「殿下。わたくしの聞き間違いでなければ、今、婚約を解消したいと仰ったのですか」
「そうだ」
つとめて冷静を装ってはいるが、彼女は盛大にため息をつきたいのを必死でこらえていた。
応接室の壁際に立つ王宮の侍従や侍女、騎士たちの顔には、緊張とも気まずさともつかない表情が浮かんでいる。
「左様ですか。理由をお伺いしても?」
「まず君は金遣いが荒く贅沢が過ぎる。そのように身の丈に合わない贅沢をする者を王室の一員とすることはできない」
朝露を含んだ薔薇のようだと称される唇が、笑みの形をつくる。
艶めかしいその微笑に、たった今婚約解消を告げたばかりの第一王子も一瞬目を奪われた。
「わたくしがこの身を飾るために使ったお金などたかが知れています。身の丈に合わないと仰いますが、その程度のはした金、ブラッドフォード侯爵家にとってはどうということはありません。また、わたくしが領内で身を飾る品を買うことで、それに携わる商人や職人たちの生活が潤い、技術が守られていくのです」
「だ、だからといって」
「領地をもたない名ばかり公爵となる殿下の将来の懐事情を気になさっているのですか? それなら心配御無用ですわ。わたくしは父から香水や化粧品に関する事業を任されていて、その利益は殿下が名ばかり公爵となられた暁に支給されるであろう雀の涙ほどの金銭をはるかに凌駕するほどです。自分のものは自分で稼いだお金で買うので心配はいりませんわ」
「くっ……。だから、君のそういうところが嫌いなんだ。性格がきつすぎる!」
微笑が苦笑へと変わる。
「まあ、そのように仰られましても。クリストファーは頼りないところがあるからしっかり者のアレクシア嬢と結婚してくれれば安心との国王陛下の仰せでしたのに」
「……。しっかり者を通り越しているだろう。君は気が強すぎる。さらにはミレーヌをいじめたではないか!」
「いじめた……? ミレーヌとは、バークリー子爵令嬢のことですか。わたくしはそんなことをしておりませんわ」
アレクシアは扇子を開き、口元を隠した。
長い睫毛に縁どられた大きな目が悲しげに細められ、深い青の瞳がかすかに潤むと、クリストファーはわずかに動揺を見せた。
単純な男だと、扇子に隠れた口元がかすかに緩む。
「う、うそをつくな! 取り巻き令嬢たちと一緒にミレーヌ一人を囲んで責め立てただろう。身分の低い醜女の分際で本当に殿下に選ばれると思っているのかと、引っ叩いたそうじゃないか! 休憩室に行ったら、彼女は一人で泣いていたんだぞ!」
侍従の一人が小さくうめき声を漏らす。
休憩室ね、と扇子に隠された笑みがいよいよ深くなった。
側室である母に幼いころから甘やかされて欲しいものはなんでも手に入れてきた愚かな王子は、王妃の息子である聡明な第二王子とは比べ物にならない。
彼が次期王たる王太子ではなく
「ひどいですわ、殿下。わたくしはそんなことをしておりませんし、そんなことを言っておりません」
「とぼけるな。ミレーヌは頬を赤くして泣いていたんだぞ。それにその日だけじゃない。日頃ミレーヌにきつい言葉を投げかけていただろう」
「なんと仰られても、やっていないことをやったとは申し上げられませんわ」
「ミレーヌが嘘をついているとでも言いたいのか。君は以前から気が強かったし、周囲を見下していた。それに比べミレーヌは天使のように優しく愛らしい。どちらが信じられるか言うまでもないだろう」
この王子にとって真実はどうでもいいのだろうな、とアレクシアは思う。
事実確認すらせず君がやったんだろうと責め立てるクリストファーは、結局のところ単にアレクシアと婚約を解消したい、ミレーヌと正式に婚約したいという思いに基づいて行動しているに過ぎない。
今やクリストファーに対して何の気持ちも残っていないアレクシアは、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うのを必死でこらえ、代わりに悲しそうな表情を作った。
「もしかして殿下は……わたくしではなくミレーヌ嬢を愛していらっしゃいますの……?」
扇子で口元を覆ったままうつむく。
震える長い睫毛と彼女の弱々しい態度は愚かな王子を満足させた。
「そうだ。君はとても美しいが毒々しすぎる。私はミレーヌを愛している」
「では婚約解消のご意思は固いと。わたくしと結婚する気はないと仰るのですか」
「くどい! 君と結婚するくらいなら死んだ方がましだ!」
アレクシアがぱたん、と扇子を閉じる。
あらわになったその美しい顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「殿下のお気持ちはよくわかりました。そこの侍従と侍女、ついでに護衛の騎士。今の話しかと聞きましたわね」
「……」
彼らが一斉に下を向く。
「あなたたちには耳がないのかしら? それとも口がないの?」
「……聞いておりました」
侍従が小さな声でそう答える。
その顔にはどこか諦めの色が浮かんでいた。
「良い心がけね。まさか陛下に問われたときに偽りの証言をするほど恐れ知らずではないと信じているわ」
「アレクシア、何を……」
「殿下。殿下はわたくしに一方的に婚約
「浮気、だと? 私は」
「わたくしという婚約者がありながら、舞踏会の休憩室で未婚女性と密会とは。殿下のお話からすると二人きりだったのでしょう」
「私たちはまだ何もない! 下品な想像をするな!」
「実際にどうなのかはどうでもよいことです。問題は、周囲にそう思われているということです。休憩室だけでなく庭園などでもミレーヌ嬢と密会なさっていましたね。それを見た貴族たちが、好き勝手噂しています。それではわたくしは婚約者としての立場はありません。そしてわたくしを婚約者として尊重するよう何度申し上げても、殿下は取り合ってくださいませんでした」
「それは……」
「だからわたくしはミレーヌ嬢にも苦言を呈したのです。何も悪いことはしていません、嫉妬ですかみっともないと高笑いされましたが」
「ミレーヌがそんなこと言うはずが、ない」
そう言うクリストファーの言葉にも、どこか力がない。
「ならば殿下が取り巻きと称した令嬢たちにご確認を。彼女たちが信じられないというのならば、警護の騎士もすぐ近くにいましたわ。ああ、ちょうどそこに立っている者です。まさか高潔なる騎士が王家の婚約にかかわることで嘘をつくはずもありませんから、きっと正直に話すことでしょう」
アレクシアが騎士に視線をやると、騎士は喉の奥でうめいた。
「そこの騎士。わたくしの言ったことに誤りは?」
「……」
「どうなんだ、話してみよ。アレクシアの言うことは、嘘なのだろう?」
王子にそう言われ、騎士がようやく重い口を開く。
「……アレクシア嬢の仰ることに間違いございません。立場を弁えよと仰っただけで、叩いたところも見ておりません。件のご令嬢については……アレクシア嬢の仰る通りの反論をなさっておいでだったかと……」
舞踏会の警護につく騎士は、王族の命令でもない限りそこで見聞きしたことは決して話さないのが鉄則だ。
そして今、第一王子の言葉に従い、正直に証言した。
アレクシアの言葉に嘘はなかったと。
「そんな……」
青くなる王子に、アレクシアはさらに追い打ちをかけた。
「格下である子爵令嬢には殿下の愛を盾に馬鹿にされ、殿下は彼女を愛している、わたくしと結婚するくらいなら死んだほうがましと仰る。最早これまでですわ」
アレクシアが扇子を再び開く。
だが今度は口元を覆うことなく、不敵な笑みを隠そうともしなかった。
「一方的に婚約を破棄されたのですから、相応の慰謝料はお支払いいただきます。もちろん、わたくしの持参金がわりに王家にお納めすることになっていた魔石鉱山のお話も当然なかったことになります」
「魔石鉱山!? そんな話、私は知らない!」
「魔石鉱山目当てで
「……っ、私を試していたのか……!?」
「選ぶ権利は殿下だけではなくわたくしにもあります。陛下はわたくしを大切にするよう、ずっと仰っていたでしょう? その婚約を一方的に破棄なさったのですから、名ばかり公爵のお話もどうなるかわかりませんわね」
「そんな……そんなのは罠ではないか!」
クリストファーが立ち上がる。
アレクシアのほうに歩きだそうとしたが、侍従に小さな声で止められた。
アレクシアがやや乱暴に扇子を閉じる。
「何が罠ですの。わたくしがミレーヌ嬢をけしかけたわけでもありませんのに。殿下は魔石鉱山の話を知ってさえいれば浮気せずわたくしを大事にしたとでも? 殿下にとってわたくしは魔石鉱山の付属物か何かですか。魔石鉱山の有無で扱いを変えていいような存在だったのですか」
王子の顔は蒼白で、もはや言葉も出てこない様子だった。
アレクシアが、艶然と微笑む。
「いずれにしろ、今のわたくしには関係のないことです。殿下と夫婦になって穏やかに暮らしていければと、そう願っていた時期もありました。ですが、婚約者を大事にせず簡単に別の女性に乗り換えようとする浮気男など、わたくしには必要ありません。そして婚約破棄は殿下から言い出したことです。わたくしたち、ご縁がなかったようですわね」
「待っ……」
「愛するミレーヌ嬢と、末永くお幸せに。ではご機嫌よう」
アレクシアは立ち上がってカーテシーをすると、振り返ることなく応接室から出て行った。
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