第19話 欺瞞

 今頃、アグリッピナの葬儀が行われているのだろう。

 ナポリの空を見上げて、ルキウスは何気なく考える。


 アグリッピナ死亡の一報が伝わった時、ローマ市民達は真っ先に皇帝《

カエサル》ネロを疑ったという。それが事実であることは、他でもないルキウスが一番理解していた。


 そう、ルキウスは罪を犯した。


 アグリッピナを、許すことはできない。多少の危険性を負うことになっても、排除しなければならなかった。自分やオクタヴィアのためだけではなく、これ以上彼女による被害者を出すわけにはいかない。

 だが実際に手を下して初めて、自覚したのだ。自分はその、母をも超える犯罪者になったのだと。


 ローマに帰るのが怖かった。事故死した母の葬儀に出ないのは、不自然極まりない。まさに自分が殺したと白状するにも等しかったけれど、市民達が反乱の構えで待っているのではないかと恐怖の方が強かった。

 オクタヴィアは反対した。噂は噂、民もきっと、理解してくれる。何よりも国民は、あなたを愛しているのだからと説得した。


「あんまりです」


 理をもって説かれてなお、首を縦に振らないルキウスに、オクタヴィアはとうとう、顔を両手で覆った。


「ごめん、オクタヴィア……泣かないで」

「――違うの」


 ゆっくりと抱きしめて、囁く。頑固なルキウスを憂いているのかと思っていたが、オクタヴィアはそっと頭を振った。


「お義母さまが亡くなられて、あなたが一番辛いのに――誰も、ルキウスの気持ちなんて知らないのに、勝手なことばかり……」


 縋るように背中に回された手に、驚きを隠せなかった。

 オクタヴィアは、決して頭が悪いわけではない。むしろ、さすがはブリタニクスの姉と言えるほど、勘は鋭かった。

 悟られぬように偽装したのは確かだ。けれど本当に、あの頭の回転の速い彼女がまったく気付いていないはずがない。

 もしまったくその可能性を考えていないとしたら、ルキウスの言葉を端から信じ切っているからだ。一片の疑いもなく、信頼を傾けているのだろう。


 そして、こうやってルキウスのために泣いてくれている。


 胸が痛い。これほどまでに自分を想い、信じてくれている彼女に真実を伝えられぬことが――騙し通さなければならないことが、辛かった。


「だが、私と別れた直後に事故に合われた。疑われるのも無理はない。私と母上の不仲は、有名だから」

「でも、仲直りしてすぐでもありました」


 あの夜、別荘に戻ったルキウスは、宴の様子をできるだけ楽しそうに話して聞かせた。翌日届くはずの訃報を、微かでも感じさせないために。

 仲直りの品だと言って、アグリッピナからもらったブレスレットも彼女に渡した。


 ――計算通りだった。

 ルキウスが身に付けている物を渡せば、彼女も何か返してくれる。それをオクタヴィアに渡すことで、和解を主張できる、と。


 他の誰に疑われてもいい。けれど、オクタヴィアにだけは知られたくなかった。


 嫌われたくない。彼女が離れて行ってしまったらきっと、ルキウスは立ち上がることさえできなくなる。

 もっとも大切だからこそ、騙し通さなければならない。


「そのようなこと、市民が知るはずもない。声高に叫ぶことでもないし、そうしたらしたできっと、余計に疑われるだけだ」

「でも――」

「いい。構わない」


 遮り、抱きしめたままそっと、オクタヴィアの髪を撫でる。


「私には君がいる。君が、信じてくれる。言いたい者には言わせておけばいい。――私は、君だけでいい」


 だから、ほとぼりが冷めるまでローマには帰らない。

 オクタヴィアがそれ以上口を開かなかったのは、言外に含ませたルキウスの意図に気付き、尊重してくれたからだろう。


 オクタヴィアの優しさに、つけこんだ。

 これまでも、あったことだ。そしてきっと、これからも――思う程に、ルキウスは自らの醜さに嘔吐感すら覚えていた。

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